「セックスボランティア」河合香織
手に取ったのは正直、興味本位なところがある。障碍者福祉に関するイベントに参加し、障害を持つ方と距離が近くかかわることが増えた。イベント以外にも打ち上げに行ってお酒を飲んだ。これまでこんな経験がなく、当たり前なのだけれど、「お酒飲めるんだー」と思った。障害を持つ人を「お酒が飲めない」「呑み会に行かない」と勘違いしている自分に気づいた。
どこまで一緒で、どこからが違うんだろう。ていうか、そもそも違いってあるのか。手段や方法が違うだけで感情も欲望も違いはないのではないか。そう考える中の一つに、「性」「愛」というテーマがあった。
本の描写はどこまでも素直に、丁寧に言葉がつづられていた。手に取るようにイメージできた。セックスボランティア、出張ホストクラブ、障害者専門風俗店を利用する人々。性のワークショップで恋愛の仕方を説明する人々。オランダの「SAR」(選択的な人間関係財団)や障害者と健常者の夫婦へのインタビューを通して、彼らの恋愛観やや性事情まで余すことなく事細かに書かれていた。印象的であった部分を抜粋する。
障害者だからといってできないと決めつけてしまうのは違う。
重い障害を持ち、他人の手を借りなければ好きなこともできず自由も少ない。仕事もできなかったし、信仰も持たず、家庭などは望むべくもなかった。竹田さん(本著に出てくる69歳老人。身体障害程度一級、言語障害、日本国有鉄道旅客運賃減額第一種、脳性麻痺による両上肢機能障害者(日常生活動作不能)、移動機能障害(歩行不能)をもつ)は自分の生きがいとは何だろうか、と20代のころから考え続けてきた。
女性との出会いと彼女とのやり取りが、たとえセックスを介さなくてもそれは性を満たすものであったのではないか。
「障害」に人一倍敏感になって、人一倍身構えていたのは自分かもしれない。そんな筆者の気づきが自分にも当てはまった。それは障がい者福祉をうたったイベントでも感じた。誰もが当たり前のようにその場にいて一緒にいることに大きな意味や感動をしていたがそれはあくまでも普通のことで、歌うのも踊るのも感動する必要もない。ただ、ありのままの姿をそのまま受け入れればいい。そんな、肩の荷が下りたような、そして知らずのうちに偏見をもってしまっていた自分を知った。
最後に。
「社会のために」「何か」しないと。「そういっても実際やってないとわからない」よく言われる言葉だ。自分もこれまでそう思ってイベントやボランティア、施設を訪ねてきた。この考えにはハッとさせられる。もちろん私は自分で本を書く予定も技術もないが、「なにかしないと」の使命感にはこれ、本当にそうなのかな?みたいな自分自身を疑う気持ちもあったので、もう少しに詰めてみたいと思った。
これまで知ることもない話ばかりで、その描写に驚いたり、セリフににやりとしてしまったり。考えさせられるところも多い反面、読み進めやすく、話し手の表現はストンと胸に落ちてきた。「性」を語ることにいいも悪いもないし、「障害を持つ人の性」にタブーも何もないと感じた。ただ、自分の偏見がいかほどかを気づかされた一冊。またいつか戻ってくるはずだ。
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