康定には脳がバグるほど美味しいコーヒーが飲めるカフェがある(目的は理塘で鳥葬)
2019年の年明けは中国で迎えた。
堂々と長期休みを取得できる年末年始。
当初は毎朝のアイプチにかかる手間と時間と瞼の痒みから解放されるべく、埋没二重手術をしようと思い海外旅行は見送るだっ方針だったのだが
看護師さんの「年内は予約でいっぱいです」
の一言で急遽Skyscannerに張り付く日々となった。
直前かつ年末年始の航空券は当たり前だが高い。
必然的に候補地は近隣に絞られた。
候補地1 ウルムチ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%81%E5%B8%82
中国新疆ウイグル自治区内の都市で、中国といえども全く中国感がなさそうな場所である。
私はGoogleMapを見るのが好きなのだが、特にユーラシア大陸の真ん中あたりを見ると非常にテンションが上がる。
ロシア語表記の都市名を見て、
「一体ここでどんな暮らしを・・・」
冬はどれだけ寒いんだろうか。どれだけ乾燥するんだろうか。
星がどれだけ見えるのだろうか。
など思いを馳せる。
さすがにユーラシア大陸の真ん中あたりの、絶対到達不可能なロシアの村は現実的ではない。(写真参照)
しかしウルムチは「世界で最も内陸に位置し、四方のどの海からも2,300km以上離れて到達不能極に近く、「世界で最も海から遠い都市」としてギネス記録になっており」(Wikipedia「ウルムチ」のページよりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%81%E5%B8%82)
とギネスに認められた現実的に訪問できる場所なのだ。
以前からウルムチ~カシュガルに目を付けており、行きたい場所などもあったのだが、
真冬すぎてどこもかしもこ雪だらけなのでは?
という懸念により却下となった。
候補地2 ミャンマーの僻地
これは前記事、ラダックで出会いプロポーズ中の山田さん(仮)から提案された場所である。
これといって行きたいと思う場所が見当たらなかったため却下となった。
(しかし、その後高野秀行さん著「謎のアジア納豆」を読み、
今はアジア納豆を食べるためにミャンマー ミッチーナに行きたくてしょうがない。
ミッチーナ https://goo.gl/maps/BLKeVaS6RMaszxcS7)
決め手は
日々の生活で疲れ切って、冬の寒さにも嫌気がさしていた私の希望としては
・暖かいところ
・ゆったりできるところ
の2点であった。
先に言うと、理塘は暖かくもなければ、ゆったりしたリゾート地でもない。
むしろ
「リタンの町は海抜4,014mという高原地帯にあり、チベットの主都ラサより400m高所にあり世界でも最も高い場所にある街の一つである」(Wikipedia「理塘県」よりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E5%A1%98%E7%9C%8C)
という寒い上にバスを乗り継いでしか辿り着けない、僻地に行くことにしたのである。
辺境ラダックに行ったことで色んな人に驚かれ、話のネタになったことに味をしめた私は
「あったかくてゆっくりできる」
以上に
「話のネタになる」
を重要項目として位置付けるようになっていた。
理塘では鳥葬を見ることができるのである。
鳥葬はチベットの伝統的な葬儀なのだが、私が調べた限りでは今や中国でも見ることができる場所は数少ないようだった。
(ランガルゴンパでも行われているようだが、外国人が行くことは非常に難しくなっている様子)
2019年の幕開けは、理塘で鳥葬鑑賞に決まった。
すぐ恋に落ちる女
まず関空から成都へ飛ぶ。
途中昆明乗り継ぎだったのだが、荷物も出てくるややこしいタイプの乗り継ぎだった。
旅にトラブルは付き物で、案の定
荷物が出てこない
という状況に陥ったのだが、移動の時から「この人イケメンすぎる」と思って見ていたイケメンも同様のトラブルに見舞われていた。
ピンチはチャンス、不幸中の幸い、majiで恋する5秒前である。
しかもイケメンは神戸に留学中の元プロゲーマーで日本語が堪能だった。
イケメンは家族が迎えに来ていたにも関わらず、私の荷物がでてくるまで一緒に待ってくれ
「ぜひ今度神戸で食事でも」
と連絡先を聞きたかったのだが、いかにも
中国の家族愛が強いお祖母ちゃん
らしき方がずっとこっちを見てきたので泣く泣く立ち去ることにした。
帰国後神戸の語学学校を調べまくったが再会は叶っていない。
TikTokとパンダの町 成都
そんなこんなで到着した成都は、大都会だった。
特に太古里は日本未上陸の海外ブランドも入っているショッピングセンターで
TikTokで爆イケおしゃれ美女たちが髪の毛なびかせながらカメラ目線で闊歩するやつ
でよく見る場所だった。
中国に行くと毎度驚くのが若者の多さである。
成都は「若者が多い」に加えて「皆おしゃれ」で
鳥葬対応の全身ユニクロの私がダントツでダサかった。
成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地に行った時が一番落ち着く
というぐらいに皆おしゃれだった。
成都から理糖までは約500㎞
直行のバスもあるようだが、私は高山病にびびって順応の為にも間に位置する「康定」で一泊することにした。
バスターミナルに着き、予約していた宿へ向かう。
康定は山間の町で、メインストリートの横にはいかにも冷たそうな水が轟々と流れる川がある。岩肌むき出しの山がずっと連なっており、風がとても冷たい。
勤労の奨励をするように農作業にいそしむ男女の銅像されており、共産主義国家にいることを実感する。
Trip.comで予約した宿には誰もおらず、取り直した宿はシャワーを浴びるにはトイレの便器にまたがらないといけない仕様の宿(Deqingkezhan)であった。
しかし、それ以外は電気毛布があったり、笑顔だったことしか思い出せない「お母さん」と呼びたくなるようなオーナーだったり、忘れたハンカチをとっておいてくれたりと、帰りも再度泊まるほど居心地が良い宿であった。
ちなみに私は浪費家のくせに変なところをケチるので、海外旅行に行く際も大抵wi-fiを借りず
現地のwi-fiを駆使したりGoogleMapの位置情報だけで凌いでいる。
しかし今回は超絶監視社会で、鉄壁のグレートファイヤーウォールを設置しておりLINEをはじめInstagram、twitterといったSNSは全てアクセスができない中国だ。
さすがに怖かったので今回はイモトのwi-fiを借りて上陸しており
着いたら宿が開いていなかった
という最悪の事態にもなんとか対応することができた。
イモトのwi-fi様様である。
インターネットが使えるってなんて便利なんだろうか
という、人類が数十年前に抱いた感想を噛みしめ荷物をほどいた。
おしゃれカフェと牛の頭の混在する町 康定
康定は程よいサイズ感の町だった。
田舎すぎないけども、歩いて網羅でき、おしゃれなカフェもある。
石畳の道には伝統的な建物が連なっていて
チベット地域の象徴であるマニ車と欧米文化の象徴Nikeが混在する。
別の道には食料品の露店がならんでおり、野菜やキノコ類といったものから、牛の頭、舌、足など各パーツが並べられていた。
こっちではこれが「当たり前」なのだ。
スーパーできれいにパックされた肉しか普段目にすることがないので、
元の姿が陳列されていると幾分かの居心地の悪さを感じる。
インドなどでもそうだが、
いつもは見えない「きれいに見えるための前段部分」
を見せつけられることで
「あぁそうだった」
と平成生まれで日本の都市部で育った私は、現実を実感することができる。
牛の舌を見ただけで大げさな話である。
康定は松茸を含むキノコ類が有名で、しかも温泉があるとのことだった。
ブログでチェックしていた菌王府という店で店員さんにクスクス笑われながら4人前ぐらいありそうなキノコ鍋を食べた。
4人前の鍋を食べきってしまうぐらい美味しかったのだが、楽しみにしていた松茸はゴリゴリに香辛料が効いたタレでかき消されていた。
日本人の私が勝手に松茸の風味をありがたがっているだけで、これもこっちでの「当たり前」なのだ。
温泉の方はといえば、歩いていくには少し遠くバスかタクシーがいいのだが一向にバスを捕まえることができず、タクシーはお金がもったいないと思い断念した。
結局カフェに行きすぎてカフェ代でタクシー往復ぐらいになりそうだった。
脳がバグるコーヒー
それぐらい康定のカフェに行った私が圧倒的におススメするカフェが
「HIMALAYAN COFFEE」だ。
(百度地図では「喜马拉雅珈琲」で登録されてます。)
長時間のバス移動や宿が取れてなかったハプニングといった疲労補正があったとしても、今までの人生で圧倒的に美味しくス〇バなどと比べ物にならないほどで
美味しすぎて
なぜ中国の山に囲まれた地方の町でこんなにも美味しいコーヒーがでてきたのかが理解不能すぎて脳がバグった
ぐらいに最高のコーヒーがでてきた。
そんなこんなで康定を堪能し翌朝、今回の目的地である理塘へ向かうバスへ乗り込んだ。
康定が快適すぎるのもあり、出発前にブログで見た衝撃写真(嘴を真っ赤に染めているハゲタカ)の実物を見に行くと思うと嫌でしょうがなかったのだが自分で決めたことなので行くしかない。
正直に言うと、自分で決めたことにも関わらず日本に帰りたくなってた。
パンゴン湖の道中で高山病になり盛大にゲロったトラウマで、道中どうなることかとかなりおびえていたのだが理塘には案外あっさりと到着した。
果たして黒幕は
目に突き刺さる日差し
突き抜けるほどの青空
強風
あぁ標高の高いところだ。
そんなに交通量もないであろう道は綺麗に舗装されており
不自然なほどきれいな道に、一定の間隔で監視カメラが付いている。
ホテル自体は立派で新しいが、薄暗く、宿泊者は自分一人なのでは?と不安になるほどに人気がなかった。
チベット風の部屋には民芸品らしきお面が飾られており、静けさと相まってさらに不気味さを増長させていた。
荷物を置いて早速街へ向かう。
ズィビーズをモチーフにした街灯とラダックのレーで見たような様式の建物が並ぶが、レーの建物と大きく違う点があった。
全ての建物にはためく中華人民共和国の赤い国旗
不自然なまでにきれいな道、監視カメラ、両脇に連なる赤地に星が描かれた旗
非共産主義国家でのほほんと生きてきた私には、
なぜここまでやるのかということと
その利益を享受できる人は、ほんの一握りのはずなのに
都市部からかなり離れたこの地までも徹底されていることが不思議だった。
他民族を認めることはそんなにも恐ろしいことなのだろうか。
不利益を被ることなのだろうか。
広大な国家にも関わらず、一部の人間の力で、多くの人を動かし、
自由を奪うことができる仕組みが徹底されていることに、またもや私の脳はバグりそうになった。
康定でもチベットの民族衣装を着ている人を見たが、大半は普通の格好で
女の子にいたってはパステルカラーのおしゃれなアウターに
目もとは赤系のワンホンメイク
と漢民族が多い感じだったが
理塘では服装や、それを着ている人たちも、かなりチベットだった。
漢民族よりもなんとなく親しみのある顔立ちの人たちなのだが、上記のようなこともあってかあまり居心地はよくなかった。
そもそも
「あたたかくて、ゆっくりできるところ」
を望んでいたので、
己の選択とはいえ願望とのギャップと、
1ミリたりとも言葉が伝わらない環境に疲れ切ってしまい
「セブンイレブンに行きたい・・・」
との呟きを動画に残すほど日常が恋しくなっていた。
町唯一の名所ダライラマの生家と、その側にある理塘の町では珍しいおしゃれカフェをとりあえずチェックし早々にホテルに戻った。
相変わらずホテルは人気がなく薄暗かった。
心細さを紛らわすために謎の歌番組を見ていたが突然停電となり、更に恐怖が増した。
向かいにある「やまや」みたいなお店で買ったカップラーメンをすすって早々に寝ることにした。
明日の朝は鳥葬だ。
鳥葬を見る
理塘の鳥葬は曜日が決まっているようで、月水金曜日の朝7時から行われるようなのだが
もちろん人が亡くなった場合に執り行われるので、鳥葬を見られるかどうかは行ってみないとわからない。
タクシーに「天葬台」と書いた紙を見せると、「ハイハイ」という感じで街を抜け丘の上まで連れて行ってくれた。
「帰るときは電話しな」
と電話番号が書かれた紙を受け取り、私はタクシーを降りた。
(ちなみに私は中国語は1ミリも話せないが、電話したら来てくれたので中国語や現地の言葉が話せなくてもなんとかなります。)
ドキドキしながら周りを見渡し、それらしき場所を探す。
大地にも、空にも遮るものが全くない。
自分の影が何メートルも先まで伸びる。
そのもっと先に小さい小屋があった。
人とハゲワシも見える。
チベット教は
「魂が抜けた肉体は、物体にすぎない」
という考えで、ハゲワシに文字通り骨まで食べつくしてもらい、魂を天に返すみたいな意味も持つらしい。
一見酷いように思う儀式も、やはりこちらの「当たり前」で
実際その場に足を運び見てみると酷さは感じなかった。
朝靄がかかって白くきらめく草原に、360度見渡せる真っ青な空
あまりにも力強い太陽の光
ここで影も形も残さず啄んでもらったら、魂が解放されそうだった。
眩しすぎる空を見上げ、私は自分の魂が大空を自由に飛び回る空想をした。
狭くて暗いところで焼かれた挙句、壺に押し込められるより全然良さそうである。
啄まれる前に切り刻まれるとはいえ、死んでるので関係ない。
ちなみに私の祖父と母は他界しているのだが
お墓がない
という非常にシンプル極まりない理由で祖母と実家のそれぞれの家の仏壇に骨壺が置かれ、かれこれ10年以上同居している。
祖父と母にどちらがいいか聞いてみたいところである。
せっかく日本から飛行機とバスを乗り継いでここまで来たので、最後まで見届けたいと思っていたのだが、
その思いを軽く吹き飛ばすぐらいに寒く、本気で足の指がもげそうだったのでタクシーのおっちゃんに電話し街に戻ることにした。
絶対に嘘だと思うがタクシーに乗り込むと温度計がマイナス20度を示していた。
(本当に寒かったけど流石に絶対嘘)
静寂のバスターミナル
お兄さんが蒸篭開けると
モワっと湯気が立ち込め、美味しそうな肉まんが出てきた。
震えながら頬張って、やっと指先が生き返ったのもつかの間
半分ぐらい食べたところで、肉まんはすでに冷たくなり始めていた。
今回の旅の目的も果たしたので、もう理塘に未練はなく、むしろ康定のHIMALAYAN COFFEEに行って脳のバグるコーヒーをもう一度飲みたかった。
チェックアウトしようとレセプションに行くと、お姉さんは毛布をかぶって寝ていた。海外のこういう緩さと、金額に見合ったサービスが私は好きだ。
照れ笑いをするお姉さんに挨拶をしてバスターミナルへ向かった。
康定行のバスは1日1本。
時間を確認して20分前からターミナルで待機していた私はバスに乗り損ねた。
事前にお姉さんに康定行のバスに乗ることを伝え、誰もいないロビーでおとなしく待っていたにも関わらずである。
お姉さん曰く
「いなかったから出発したわよ」
一体どこにいればよかったのか。
そもそもあんなに気配を消して到着出発するバスがあるのか・・・
アナウンスかなんかしてくれよ!と思うけども海外でそれを求める私がアホである。
もう1泊して成都まで直行のバスで戻るという選択肢もあったのだが、絶対になんとしてでもHIMALAYAN COFFEEに行きたかった。
なんせ、もう二度と飲むことができないのかもしれないのだ。
食い意地が人の倍以上ある私は絶対に諦めるなどできない。なんならチーズケーキももう一回食べたい。
私はお姉さんに泣きついた。
いろんな人に電話をかけてくれた結果、多分こっち基準ではちょっとイケてる感じの若いお兄さんが迎えに来てくれた。
それにしてもこういう地方の若い男性は皆、デビュー時のジャスティン・ビーバーや1Dみたいな恰好しているのはなぜなのか。
これで戻れると喜んだのも束の間、なぜかジャスティンビーバーファッションのお兄さんと理塘観光が始まり、タクシー乗り場で康定へ行く人を待つ間キスをせがまれ続けた。
「せえへんわ!!!」と言い続けているうちに乗せて行ってくれる人が見つかったようで、お兄さんはヘラヘラ笑いながら去っていった。
(お兄さんが買ってくれた飲むヨーグルト。普通に美味しい)
ちなみに、これは私の海外旅行ライフハックなのだが
・不快なことがあったら日本語でもいいから主張する
・そもそも舐められないように、奇抜な格好をする
・人気のない道を歩くときは「近づいたら〇す」という目つきをする
を意識している。
寄せ付けない、舐められない、泣き寝入りしない
一人で見知らぬ土地に行くため、効果があるかはさておき、できる限りの自衛である。
念願の康定へ
康定行の車に乗せてくれるだけでも有難かったのだが、さらに謎肉のお菓子をくれたり、「トイレ大丈夫?」と休憩を取ってくれたり、非常に親切な方で、無事に康定に着いた際にお金を渡そうとしても受け取らなかった。
インドしかり、中国しかり、悪意を持って接してくる人もいれば、親切の塊みたいな人もいる。
椿の花咲くころのヨンシクのセリフ
「悪人はそういないが、善人はいくらでもいる。」
である。
(ある程度の生活水準が保証されている地域に限る話かもしれないけども)
その国に住んでいるというだけで攻撃する人、嫌悪感を表す人などいるが、あまりに馬鹿げた話だといつも思う。
中国の親切な皆さまのおかげで、康定に戻りHIMALAYAN COFFEEで再び脳をバグらせ、マグカップやドリップコーヒーなどを買い込み日本でも余韻に浸ることができた。
なぜか「もしもーし」という日本語で話しかけてくれるおっちゃんたちに見送られ、成都行きのバスに乗り込んだ。
(売店で買った飲み物を作ってくれるおっちゃん達)
弾かれるVISAカード
先述したように成都はファッショナブルな都市で、太古里は超絶おしゃスポットだった。
実はそこのショーウィンドウに飾られていたニットに一目惚れしていた。
IRO Parisというパリのブランドで、理塘に行っている間も頭から離れずイモトのwi-fiをフル活用して調べ続けた結果、日本未上陸、farfetchでわずかに取り扱いがあるのみ。
展示されていた商品に関しては、どんだけ調べても、公式のHPにすら載っていなかった。
ここで行動を起こさなかったら多分一生見ることも、着ることもできない。
相変わらず鳥葬スタイルであったが、帰って毎夜後悔するよりかマシである。とりあえず一回試着したい。
海外のファッションモールの好きなところは、ハイブランドでも店員さんが適当で日本みたいに気負わずブラっと入店できることである。(相手を見ているのだと思うが)
ジェスチャーで「これを試したい」と訴えて袖を通した。
可愛いすぎてまた脳がバグった。
当たり前だ。8万円する。
でも絶対に欲しい。向こう半年もやしを食べることになっても欲しい。
こんな欲しいと思うものに出会えることなんてない。
人間、食べる時と買う時はありとあらゆる言い訳を思いつくことができる。
私はカードを差し出していた。
しかし、ここですんなり買えないのが中国である。何回やっても決済できず、お姉さんに「しょうがないわね」という顔をされて泣く泣く店を後にした。
調べたところ中国国内で日本で発行したクレジットカードが利用できる地域は限られており、成都はどうも対象外のようだった。
となればカードが使える地域で買えばいい。
幸いいも帰りの飛行機は上海乗り換えで、さらに虹橋空港着、浦東空港発。搭乗手続きなどの時間も考慮するとタイムリミットは30分程度である。
上海には何店舗かあったのだが芮欧百貨店に狙いを定め、百度地図で移動のシミュレーションを行い、脇目もふらずキャリーケースを転がし店舗に駆け込む。
モノはあった。秒でレジへ持って行く。
カードを差し出し、祈るような気持ちで処理を待つ。
私は無事、中国旗と同じ真っ赤なセーターを抱えて日本へ向かう飛行機に乗り込んだ。
バッドエンド
帰国後さっそく話のネタにしようと意気込んでいたが、着飾って、香水の匂いをまき散らし、夢を見てもらうための夜の店では「鳥葬」をテーマにした土産話はウケるどころかドン引きで、旅一番の目的を果たすことはできずに幕を閉じた。