「自分は大丈夫」バイアス
「危機管理」という言葉がある。
個人的には苦手な分野だ。
危機=リスクを想定し、万一それが
起きた時にどのように対応するかを
予め決めておく。
危機が起こらないことは絶対にない
のだから、危機管理の重要性もまた
下がることはない。
とはいえ、頻度や確率、ひいては
危機がもたらす想定被害の大きさを
踏まえて、どの程度の備えにするか
バランスよく考える必要がある。
なぜ自分が「危機管理」に苦手意識
を持っているのか考えてみたのだが、
一つ大きな理由として、今までに
あまり大きな失敗をして来なかった
ということがあるかもしれない。
勿論、小さな失敗は無数にして来た
し、自分としてはそれなりに大きな
失敗もしたと思う。
それでも、世の中にあふれている
「大きな失敗」
「過酷な試練」
といった類のエピソードを伺えば、
自分の過去の失敗など大したことが
ないように思えてくる。
そして、根拠はとても薄いのだが、
きっと自分はツイている、いざと
なれば何とかなる、そんな楽観的な
気持ちも心に住み着いている。
それこそが、タイトルにも書いた
「自分は大丈夫」バイアスだ。
こういう楽観的なところや、ツキを
信じるところは、基本的には
「やるべきことはやる」
「あとは運を天に任せる」
というマインドとひと揃えになって
こそ意味がある。
やるべきこともやらず、ただただ
闇雲に「自分は大丈夫」と信じて
いるようでは、天もあきれてしまう
だろう。
「危機管理」が苦手なもう一つの
理由、それは、ワクワクしないから
である。
リスクを回避するために色々と準備
というか、仕込みをする必要がある
わけだが、例えば震災対策で飲料水
を備蓄する、ティッシュペーパー等
の紙類を備蓄する、などの行動が
なかなか自分の心の中でワクワクと
結びつかない。
いやいや、仕方なくやらされている
感との戦いになってしまっている。
人に行動を起こさせるには、
「快」を呼び起こす方向性と、
「恐怖」で焚きつける方向性の
全く真逆のアプローチがある。
私は極力「快」で動かされたい、
動かしたいと考える性質なのだが、
「恐怖」でないと人は動かないと
達観(?)している人も多い。
だから、「危機管理」を行動にまで
落とし込む際に、何らかの「快」を
得られるような仕組みづくりをする
しかないのかもしれない。
「恐怖」で縛るよりは、ずっと健全
である。
明日は、かつて関東大震災があった
がゆえの「防災の日」。
「危機管理」について改めて考え、
行動を起こしていきたいものだ。