日本史の謎は「地形」で解ける!?
元・建設官僚の方が、全国を飛び回って
各地の河川の治水と国土保全行政に
携わった過程で、地形と気象と格闘し、
知り尽くすに至った。
その知見を、公共事業の説明任務で
生かしているうちに、地形と気象の
上に立脚している下部構造としての
インフラと、その上で様々に活動する
人間社会=文明のモデルのイメージが
固まった。
地形と気象によって作られた舞台の
上で、役者たる人間がどんな芝居を
演じているか。
そんな視点で歴史や文化に光を当てる
ことで、様々な定説がひっくり返ると
いうのだが、これがめっぽう面白い。
竹村公太郎氏の
『日本史の謎は「地形」で解ける』
は、シリーズ化されて4冊ほどある様子。
私が手に取ったのは「文明・文化篇」で、
Kindle Unlimited に入っている人なら
無料で読める。
全ての章をそれぞれ紹介したい位の
気分だが、それだと何日かかるか
分からないので、2回ないし3回に
分けて特に興味深かったところに
触れていきたい。
日本の国土は、7割が緑に覆われている
のは皆さんご承知のところ。
これに比べて、中国や韓国はかなり
禿山が多く、気候や歴史的経緯の違いは
あれども、国民性によって森を育てる
だけの我慢ができる、できないという
差が出たのかと当て推量を決めていた。
しかし、それは正に文字通り思い込みに
過ぎないことが、竹村氏の見事な説明で
分かったのだ。
彼は、広重の絵などに書かれた日本の
江戸時代の国土を観察し、他の歴史資料
とも重ね合わせて、当時木の伐採が
かなり進んで各地に禿山が相当増えて
いたことを指摘している。
料理にせよ、暖を取るにせよ、
当時燃料として頼れるのは木しか
なかったことは容易に想像可能。
戦乱の世が終わり、政治が安定した
ことによって、人口が急激に増えた。
そうすると木の消費量は当然上がり、
日本列島広しといえど、増えた分を
段々カバーしきれなくなっていった
のだろう。
それを救ったのが、意外なことに、
なんとペリーの黒船来航だというから
興味深い。
黒船は、石炭を燃やすことで蒸気機関を
動かすというのが動力源だ。
この、石炭という化石エネルギーとの
出会いで、日本の森林の禿山化が止まった
ということなのだ。
もしペリーが来るのが遅かったら、
日本の山林はもっとひどい状態に
陥っていたかもしれないと思うと、
なんとも不思議な気分である。
日本人の教養として、
是非とも一読をオススメしたい。