「貪瞋痴」読めますか?
先般、『京セラフィロソフィ』の
読書勉強会が始まったことについて
書きました。
先週、既に2回目の会が行われまして、
「稲盛節」に目一杯浸ることのできる
有り難い時間を過ごしています。
1回目に続き2回目の輪読範囲も
割とスピリチュアルな内容が多く、
節のタイトル通り「心を高める」と
いう言葉や考え方が大事なのだという
ことに多くの時間が割かれました。
稲盛さんご自身、実は得度している、
つまりお坊さんになったというのは、
割と有名な話だと思います。
だからということもあるのでしょう、
稲盛さんのエピソードには、
宗教っぽさ、スピリチュアルっぽさが
時折(頻繁に?)顔を覗かせますよね。
例えば、京セラの経営理念には、
こう書かれています。
気宇壮大な理念であることは
万人が認めるところであると共に、
どこか宗教的な厳かさをも感じる
ことができると思うのです。
40年以上にわたり京セラグループに
お勤めされた読書会主催の松木さんは、
京セラで学んだことの中で結局最後に
自分の血肉として残ったものは
「フィロソフィ」であったとの趣旨を
語ってくれました。
その「フィロソフィ」とは、
人としての「考え方」であり
「あり方」であって、
どのように「心」を高めるか、
「愛に満ちた心」を持てるか、
それを一生をかけて追求していく
心構えであり、態度なのだと
私自身は捉えています。
そして、その心構え・態度を身に付ける
上で有用な様々な事例を、正に漆塗りの
ように何度も何度も繰り返し語っている
ものが、この本の正体だと言っても
良いのではないでしょうか。
そんなわけで、仏教を中心に、
宗教的な色合いの濃い言葉なども
本の中によく出てくるのですが、
今回の勉強会の中で参加者の方から
「貪瞋痴」という言葉が出ました。
皆さんは、この漢字を何と読むか、
ご存知でしょうか?
ということで、「とんじんち」が
正解となります。
これらは、「三毒」とも言われるもので、
辞書の解説を以下に引用しましょう。
稲盛さんのいう「心を高める」とは、
この「三毒」「貪瞋痴」を起こさぬよう、
自分を徹底的にコントロールできるように
することだと言い換えられそうです。
キリスト教の「七つの大罪」にも、
「瞋り」や「貪り」が入っており、
古今東西を通じて昔から、これらを
いかに制御し、乗り越えられるかが
人間にとって大切であったと言える
でしょう。
ちなみに「瞋り」とは、
「怒って目をカッとみはる、にらむ」
という意味です。
日々、「貪瞋痴」のコントロールを
徹底して参りましょう。