京都三条糸屋の娘
いわゆる「起承転結」の例文として
よく引用される俗謡である。
起:京都三条という舞台で、
登場人物として出て来るのが
糸屋という屋号の店にいる
娘たち。
承:その娘というのは二人姉妹、
姉が十八歳、妹が十五歳という
若い美しさを謳歌する年頃。
転:突然、何の脈絡もなく、
諸国大名の話が出て来て急展開。
武士は弓矢を使って人を殺すという、
次のオチにつながる論理の提示。
結:武士は弓矢で人を殺すが、
糸屋の娘は「目」という武器で
男を「殺す」、要は「虜にする」
というオチ。
「起承転結」と聞くと、
何となく論理的な文章である
との印象を持つ。
しかしながら、これが本当に論理的
なのかというと、諸説ある様子。
Wikipediaを見てみたが、
批判的な立場の言説も多い。
「論理的」と言えば、
A=B
B=C
よって
A=C
という三段論法、即ち演繹法の方が
より一般的だろう。
演繹法と並んで、帰納法がもう一つの
論理的思考法である。
これは、個別の事例を集め、一定の
パターン・規則性を見つけ出すもの。
これら演繹法や帰納法と比較すると、
起承転結はあくまでも漢詩の構成に
過ぎず、論理的な文章構成ではない
という話には、確かにそうだと感じ
ざるを得ない。
今回、誰かに聞いた受け売りで
「起承転結=論理的」
という思い込みが頭の中に常識として
住み着いていたことが分かった。
こういう類の思い込みというのは、
いつまで経ってもなくならないの
であろう。
地道に、根気よく、見つけ次第
改めて行くしかない。
過去にどういう経緯で思い込むに
至ったのか、反省を組み込むこと
まで出来たら、予防策にもつながる
のでより望ましい。
何故、急にこの「糸屋の娘」の話を
取り上げたかというと、
実はこの「起承転結」に「糸屋の娘」を
例示した人物が、頼山陽であるという
一般論を否定する説を聞いたから。
頼山陽でなく、平賀源内だというのが
異説としてあるそうなのだ。
事の真偽は全く分からないのだが、
確かにそうだったとしてもおかしく
ない話ではある。
まぁ、源内さんの場合、
「本日土用丑の日」という
史上類を見ない名キャッチコピーを
作ったとされつつも、実はこれは
源内さん作ではないという噂が
あるような状況。
何が真実なのか、今となっては
分からないし、調べるにしても
相当手間と時間がかかりそうだ。
いずれにせよ、
思い込みには常に注意を払うべし、
というのが今日の結論である。
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。