知識労働者の生産性を高めるには
今年から読書会で読み進めている
ドラッカーの名著のうちの一冊、
『プロフェッショナルの条件』。
毎週、数ページずつ、滋養たっぷりの
中身をじっくり噛むように味わいながら
読んでいる。
先週から、「生産性をいかに高めるか」
というタイトルの章に突入。
企業・組織の生産性、個人の生産性に
関する彼の論説を輪読し、その内容に
ついて参加者がああでもないこうでも
ないと意見を述べ合っている。
前回と今回のところにおけるキモが、
「目的は何か」を問うことが重要
という指摘。
いわゆるブルーカラー、肉体労働に
関しては、生産性を上げるためには
「いかに行うか」、つまりHOWの
部分を考えれば良いとされる。
これに対して、ホワイトカラー、
知識労働の生産性を上げるためには、
HOWではなくWHY、何故それを行う
かという目的を問わねばならない。
知識労働というのは、肉体労働と
比べて、仕事の成果が見えにくい。
付加価値の伴わない「作業」をやった
だけであっても、それで「仕事」を
したと勘違いしてしまいがちだ。
ドラッカーは、こう指摘する。
組織というのは、必ず自己保全本能を
発揮するようになる。
放っておくと、仕事本来の目的を忘れて、
仕事すること自体が自己目的化してしまい、
そんな「何のためにやっているかよく
分からない仕事」がまん延する事態に
陥ることもしばしば。
それを踏まえるならば、定期的に自分
たちの仕事の目的を見直す機会を設け、
自己目的化してしまっている仕事が
ないか確認し、余計な仕事、不要な
仕事を「断捨離」していくことが
求められるのだ。
自分では、どんな仕事をするにしても
くどいほど「この目的は何か?」と
問うクセ付けが出来ていると思って
いる。
そうすることで、無駄な仕事を減らし、
より重要なことに時間をあてがうよう
心がけているわけだ。
それでも、結局時間が足りない。
あれもこれも終わらせたかったのに、
予定通り終わらない、積み残しがある。
そんな状況が割と長い間続いている
感覚がある。
そんな感覚を放っておくと、
知らずしらず感覚がマヒして、
積み残しがあっても仕方ない、
そんなマインドセットになって
しまう。
こうなると危険だ。
目的を問う、その問い方に甘さが
あるのかもしれない。
仕事が立て込んでいればこそ、
あえてその仕事の再定義を行う
時間を確保し、目的の問い直しを
しなければなるまい。