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どんどん忘れる、それでもOK

このnoteを毎日更新し始めて、
今年は既に4年目。
1,100日以上が過ぎた。
恐らく今日が1,108日目。

誰かが私の記事に「スキ」
付けてくれると、通知が来る。
直近で書いたものに「スキ」が
付くことが殆どであるが、
時折タイトルを見ても分からない、
思い出せない記事
のときがある。

実際、それを機会に自分の記事を
見返してみるのだが、
「えっ、こんなこと書いたっけ?」
と自分で驚くことが、一度ならず
二度三度
とあった。

自分で書いたものである。
一言一句覚えていることはないに
せよ、「こんなこと書いたなぁ」
と思い出せるのが当然だろうと
思っていたのだが、さにあらず。

決してアルツハイマーではない。
と思う。
でも、歳を取るにしたがって、
「あれ、あれだよ、何だっけ?」
「ほら、あの人、名前何だっけ?」

というセリフが増えたのも間違い
ない。

少し前までは、こんな経験をする度に
自分が歳を取ったことを残念に思って
しまう
、そんな自分がいた。

しかし、そんな自分をも自分で受け
入れていこう
、それがありのままの
自分
なのだから、誤魔化さずに、
そんな自分を認めよう
、そう思う
ように心を改めつつある。

忘れてしまうということは、
脳が「それは大切ではない」と
判断した
と思えばいい。
生きて行く上で、必ずしもそれを
覚えていなくても、安全に安心に
暮らせるのだから気にするな、
そう言われていると思えばいい。

逆に、生きて行く上で欠かせない
知恵
ならば、必死に覚えようとする。
頑張る。
もがく。
本気で取り組んでみる。

そうやってメリハリを付ければ、
覚えるべきことはきっと覚えられる

はずなのだ。

それこそ、きちんと覚えたかったら、
このnoteに書いて、書いて、書きまくる
とよい。
「書く」際に、あれこれ考えを巡らせる
ことを通じて、そのことが記憶に粘り
つきやすくなる
はずである。

実際、「書く」という行為は、
何かを覚えるにあたってかなり有効性の
高い方法
として、多くの人に利用されて
いるのが事実。

そんな方法を取っているにも
関わらず、内容を覚えていないと
いうことは、書いたときに
・気分が乗っていなかった
・注意散漫だった
・内容を覚える気がなかった
などのうちのどれかに該当するの
だろう。

「毎日更新」すること自体を目標に
しているわけでは決してない。
とはいえ、ネタが思いつかないなと
いうモードになり、何とか更新をする
ためにネタをひねり出そうとする

ことは確かにある。

そういう場合、自分の興味の範囲に
ないネタ
だったりすれば、書いても
すぐに忘れてしまう
のは、ある程度
仕方のないことかもしれない。

逆に、どんなことでも、新鮮なる
驚きをもって触れるようにすれば、
忘れることもきっと減るのだろう。

忘れるものは、忘れるに任せる。
それで全然かまわない。
逆に、忘れてる場合じゃない、
忘れることなどとてもできない、
そんな強い興味・関心を持って
世の中を眺めまわす、味わい尽くす。

そんな人生にしていければ、
いつしか物忘れすることを
本当に忘れられるのかもしれない。

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ahiraga
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。