肉体労働、知識労働、感情労働
毎週日曜日の朝に参加している
読書勉強会で、ドラッカーの
『プロフェッショナルの条件』を
読み進めている。
「知識労働者」という言葉を
ドラッカーはよく使うのであるが、
これはもちろん「肉体労働者」と
対比される概念。
「頭脳労働者」と、意味合いとしては
同じと考えて良いだろう。
昔は、労働と言えば肉体労働を指す
のが一般的。
それが、時代の変遷とともに、
肉体を直接さほどに動かすことなく、
頭脳、知識を働かせることで「仕事」
として成り立つような職種が増えて
来たのは間違いない。
今の時代、「頭脳(知識)労働」が
圧倒的マジョリティ。
そのうちの一部として扱われてきた
「感情労働」という言葉があるのを、
先日の会で初めて知った。
某老舗レストランで働いている方が、
自分の職場をして「感情労働」の
典型である旨の発言をされていたの
である。
これは、アメリカの社会学者である、
アーリー・ラッセル・ホックシールド
女史が初めて提唱した概念らしい。
彼女がこの「感情労働」を「頭脳労働」
から切り分けた意義は、これが作業習熟
による労働効率の向上をほぼ期待できない
点において、頭脳労働とも肉体労働とも
異なるという点にある。
キャビンアテンダントや看護師、
コールセンターのヘルプデスク、
苦情処理部門などの職種が、
感情労働の典型とされる。
しかし、上記引用の後半の方に
「年功序列」とある通り、実は
職種での切り分けにとどまらず、
職場の制度によっても感情労働的な
働き方は発生し得るようだ。
「年功序列」に限らず、職場には
様々な制度、慣習、掟、ルールが
あるもの。
そして、それはときに人を理不尽に
縛り付ける。
そう考えると、「頭脳(知識)労働」と
言われる職種であっても、「感情労働」
的な側面は少なからずあるのだ。
そして、だからこそ、どんな職場で
あっても、うつ病を始めとするメンタル
ヘルスの悪化例が後を絶たないのだと
思われる。
コロナ禍で、うつ病の症状を訴える人は
益々増えたという。
実際、私自身の身の回りを見ても、
不調を訴える人や、実際に休職する人
など、とにかく人数が増えたことを
ヒシヒシと感じる。
「感情労働」的な性質を持つ仕事だから
と言って、一概にそれが人間にとって
「害」だということではない。
CAに代表される「接客業」にせよ、
「看護師」や「ヘルプデスク」にせよ、
サービスの担い手と受け手の双方が、
お互いとてもハッピーな気分になれる
素晴らしい仕事である。
しかし、いわゆるクレーム、苦情を
言う・受ける段となると、お互いに
ストレスがたまるものとなり、特に
受ける側にとっては、
「尊厳の無償の明け渡しを半ば強制」
されることになってしまう。
こういったケースにおいては、
感情を持たないAIに極力任せられる
ような仕組みを作る等の対策を、
真剣に考えるべきなのだろう。
Googleの調査で有名になった
「心理的安全性」の概念も、いわば
「感情労働」的側面に左右されない
職場づくりと言い換えることも可能
かもしれない。
まずは自分の身の回りから。
「感情労働」の負の側面が表面化
しない職場づくりを実践することを
意識したい。