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実録エッセー『キミ、本当に日本人なのか?』 カメロー万歳 第96回 白洲太郎 月刊ピンドラーマ2025年2月号

◎サンパウロへ仕入れに

2024年11月下旬。

ボクは半年ぶりにサンパウロに行くことになった。主な目的は商品の仕入れであるが、他にもいろいろとやりたいことがある。そのため、いつもなら3日ほどで切り上げる旅程を、今回は2週間と長めにとった。ボクのような自由業の人間には、比較的容易にそういうことができる。勤め人でなくて良かったと心の底から思う瞬間であるが、サラリーマンとちがって有給という制度がないため、休めば休むほどビンボーになっていくという仕組みである。

2011年に田舎町の青空市場で5レアル(約130円)を売り上げ、鮮烈な露天商デビューを飾ったボクであるから、路上商売生活も今年で15年目に突入ということになる。我ながらよくやってきたなぁ、と目を細めたくもなるが、近年は売り上げも激減。コロナ以降は週2回の行商でどうにか現状維持をしている状況であり、このままのほほんと週休5日生活を続けていれば、いずれ行き詰まるのは必定。であれば何かせねばならぬと、最近疎かになっていた露天仕事にも身を入れはじめた。

歩きながら商品を売ったり、陳列の仕方を変えてみたり。愛妻ちゃむと二人三脚、いろいろと工夫してはいるのだけど、どうも何かパンチが足りない。パンチが足りないってのはどういうことかというと、とどのつまり、ノビダーヂ(新商品)がまったくないということなのである。思い返せば、最後に仕入れに行ったのは半年前だ。
『都会の流行品を、お求めやすい価格で田舎の人々にお届けする』
という企業理念を掲げるしらす商店において、半年間もの『ノー仕入れ』は怠慢としかいえない事態なのである。

ちょうど、年末商戦がやってこようかという時期でもあった。売り上げ不振を打開するためにも、久しぶりにサンパウロに行かねばなるまい。都会の流行品を大量に買い込み、しらす商店を盛り上げる。これこそが社長であるボクの最重要ミッションだ。

「今回の仕入れはじっくり行いたい。すまんが、2週間ほど家を空けるぞ!」
胸を張ってそう宣言したボクは、内心、妻の寂しがるリアクションを期待していたが、彼女は目をキラキラと輝かせながら、
「いっといで!!」
と、快諾したのであった。
少し納得のいかない気分のボクであったが、そうと決まればまずは宿泊先を見つけねばならない。

◎宿泊先を検索

いつものようにリベルダージ近辺でホテルを検索すると、最低でも100レアル(約2600円)、まともなところでは170レアル(約4420円)以上することが分かった。となると、最低クラスのところでも2週間で1400レアル(約36400円)ほどかかるということになる。近年、物価の上昇が激しいブラジルである。バス代だってもちろん値上がりしているし、売り上げ低迷にあえぐしらす商店にとって、宿泊費はもっとも抑えたいカテゴリーのひとつであった。
「最低クラスのところに泊まるとしても1400レアルか…」

一時期は飛ぶ鳥を落とす勢いで商品を売りまくり、1日の売り上げで数か月分の家賃を荒稼ぎしたしらす商店だったが、ここ数年は見る影もない。物価の上昇に反比例して、収入が落ちているのだ。普段の生活費だけならなんとかなるが、このようなスペシャルな出費となると、手足がもがれるような痛みを覚える。こうなったらイビラプエラ公園にテントでも張ってやろうか…などと半ば本気で考えはじめたとき、ふと『県人会』の存在を思い出したのである。

ブラジルのサンパウロに多数存在する県人会は、日本からの移民が出身県ごとに結成した団体で、日系人コミュニティの文化的・社会的な拠点となっており、そのほとんどは宿泊施設を兼ね備えている。そしてその出身地に関わらず、一般の旅行者にも部屋を貸してくれるのである。それもかなりの格安で、だ。

サンパウロのリベルダージ地区には多くの県人会が軒をつらねているが、ボクはまだ一度も利用したことがなかった。これはいい機会だと思い、さっそく問い合わせてみることにしたのである。

◎県人会に電話がけ

翌日。

週休5日の実力を発揮して、平日の午前中からテレアポを開始することにした。何せ47都道府県すべてに『県人会』的な団体があるというのだから、えらいこっちゃである。まずは、入手したリストの一番上にあった愛知県人会からいってみよう。とばかり、スカイプで電話をかけると、しばらくして呼び出し音が鳴った。チャララー♪チャーララー♪というスカイプ独特のサウンドが耳朶の奥深くに染み込んでくる。電話なんてするのは久しぶりだからキンチョーするなぁ。という自分と、『案外、一発目でキマッちゃうかもね』という楽観的な自分が共存していたが、いざかけてみると、待てど暮らせど誰も電話に出ない。仕方なく、リストの2番目にあった秋田県人会にコールしたが、こちらもスカイプの呼出音が虚しくループするのみであった。

あまりの反応のなさに拍子抜けするボク。とはいえ、かけた電話はまだたったの2件だ。これしきのことで挫けていては物事を成就することなどトーテーできない。

「んじゃあ、次は青森いってみっか?」
努めて明るく声に出し、ボクは闇バイトの『かけ子』のごとく、電話をかけまくった。しかし、チャララー♪チャーララー♪という呼出音が延々と鳴り続けるばかりで、何回かけても温かみのある人間の声にたどり着くことができない。その後も10件ほどチャレンジしたが、ナシのつぶてであった。

やる気あんのか!いいかげんにしろよ!

人声恋しくなったボクは、泣きそうになりながらちゃむの部屋に向かい、わが身の窮状を訴えた。

「県人会のみんながオレの電話に出ねえんだよ。ガン無視だよ」
「そらあんた、今日祝日やからなあ」
「……」

◎宿を確保

別の日。

平日であることを必要以上に確認したボクは、再び『伝説のかけ子』となるべく、テーブルの前に陣取った。アツアツのコーヒーをお供に、再びスカイプの鬼となる所存である。

今日こそはキメる。

『必勝』の思いを胸に、ボクは再び受話器(スマホ)をとった。

試しに20件ほど電話してみたのだが、さすがは平日。祝日は全滅であったのに対し、今回は10件ほどの県人会とコンタクトを取ることができたのである。が、結果は芳しくなかった。県人会の宿泊施設はホテルというよりは寮であり、いわゆる長期滞在者向けの仕様のため、常に部屋が満室気味という事実が明らかになったのだ。空きがあったとしてもドミトリーなどの相部屋で、健康な成人男子であるボクの場合、急にセンズリがこきたくなったときに都合が悪い。ここはやはり個室にこだわりたいところである。

とはいえまあ、47都道府県のうちの10がダメだっただけであり、残りは37もある。週休5日野郎のクセに妙に真面目なところがあるボクは、その後もコツコツと電話をかけ続けた。そしてついに当たりを引いたのである。

どこの県人会か、ということについては名を伏せることにするが、ボクとは縁もゆかりもない県であることだけはマチガイない。ちょうどひと部屋空きが出たとのことで、諦めずにテレアポを続けて良かったと心の底から思う瞬間であった。

賃料は月800レアル(約20800円)で、1ヶ月未満の滞在の場合は、日割計算をして返金までしてくれるという。さすがは日本の県人会、素晴らしい配慮という他ない。担当者に日割り表を確認してもらったところ、2週間前後の滞在だと500レアル(約13000円)ほどになるということが分かった。これにはボクも、ちゃむと手をとりあって喜んだ。

そしてあっという間に、出発当日を迎えたのである。 

◎サンパウロ到着

翌日。

バスに30時間ほど揺られ、サンパウロに到着したボクが県人会の門を叩くと、管理人の幸村さん(仮名)がにこやかに出迎えてくれた。まずは宿泊費を支払い、ひととおり施設の案内をしてもらう。バス、トイレ、キッチン、洗濯場などは共同で、部屋の中はシングルベッド、テーブル、クローゼット、小さな洗面台で構成されていた。こじんまりとしてはいるが、アコガレの個室である。ひとつ難を挙げるとすれば部屋唯一の窓が通路側にしかないことで、開けっぱなしにしておくと外から丸見えになることであった。通気性はほぼなく、夜はたいそう寝苦しそうだが、それにしたって月800レアルである。これしきのことで文句を言うワケにはいかない。

幸村さんに説明を受けたボクは、シャワーを浴び、ひとまず部屋で落ち着くことにした。ベッドに寝転がりながら、ここまで来た目的を声に出して反芻する。

「しらす商店の未来のために、サンパウロでじっくりと新商材を探そう。人ともたくさん会って、将来を模索するのだ。いつまでも露天仕事で金が稼げると思っちゃいけない。手遅れになる前に、丁稚からやり直す気持ちで頑張ろう。これまで週休5日でずいぶんと楽をしてきたが、これからがオレの本気の人生だ。ひとつひとつの出会いを大切にして、世知辛い世の中をちゃむと生き抜く。そのためには俺自身、人としてもっとしっかりしなくちゃいけない」

などと、『殊勝モード』だったボクなのだが、その日の夜、さっそくトラブルが発生してしまった。なんと、県人会の先輩住人である若林さん(仮名)と、あわや取っ組み合いの大ゲンカ!というところまでいってしまったのである!

◎キッチンでの出来事

夜の9時。事件は共同キッチンのテーブルで起こった。

知り合ったばかりのボクとルーカスがにこやかに談笑していると、そこに若林さんが現れたのである。彼のウワサはすでに聞いていて、どうもここの長老的存在らしい。キッチンの汚れや風紀の乱れに厳しく、若い住人がテキトーなことをしたりすると、ありがたいお小言をいただくこともしばしば、という人物であった。

こういうときは初めの印象が肝心だ。とばかり、
「どうも、しらすたろうです!!」
元気良くアイサツをし、簡単な自己紹介をしたボクであったが、若林さんは怪訝な顔をして、
「キミ、本当に日本人なのか?」
と、いきなり警戒モードである。真っ黒に日焼けした肌と、威勢の良さが裏目に出たのか、なかなかボクを日本人だと信じてくれないのである。こんなに日本語をペラペラ喋っているのに、何でこの人はオレを日本人だと分からないのだろう?と、少しずつイライラしてきたボクは、バス旅の疲れもあってだんだんと不機嫌になってきた。

尚もしつこく、
「あんた本当に日本生まれの日本人?ブラジル生まれじゃなくて?」
と、尋問のような質問を重ねる若林さんに、
「オレが日本人じゃなかったら、誰が日本人なんだよ!!」
と、つい語気を荒げて言い返すと、そこからは売り言葉に買い言葉の応酬が続き、銀髪丹精な若林さんの顔が見る見るうちに紅潮していく。
ついには、
「俺は70年以上生きてきたが、お前みたいな失礼な日本人に会ったのは初めてだ!」
とまで言われてしまった。
「そりゃ、こっちのセリフだ!!」
自分の父親と同世代の若林さんに負けじとやり返すボク。10分前まで早朝の公園のように平和だった共同キッチンは、急転直下、あさま山荘なみに緊迫した現場と成り果ててしまったのである!

◎奇跡的な仲直りへ

怒りはフツフツと煮えたぎっていたが、それでも、
(これから2週間もお世話になるところで、いきなりやっちまったぁぁぁ〜!!)
などと、心の中で大後悔していたのも事実である。

ルーカスが固唾をのんで見守るなか、険しい顔でボクを睨みつける若林さん。まさに一触即発、スキがあればすぐにでも飛びかかってきそうな雰囲気である。まことにもって『ガンギレ』の様相であった。

しかしよく観察してみると、そこはやはり70代の熟年である。真っ白な髪に、身体の隅々に刻み込まれたシワ。そのひとつひとつが、ボクよりもはるかに多くの経験を積んだ人生の大先輩であることを物語っている。オレはこのような老人(といっては失礼だけど)を、ここまで怒らせて何をやってるんだ!

突然己の過ちを自覚したボクは、野獣モードから一転、心の底から非礼を侘びた。その唐突なモードチェンジに面食らった様子の若林さんだったが、彼とて不毛なケンカなどはしたくなかったのだろう。少しずつお互いの心がほぐれ、最後はビールなどを飲みながら深夜まで話し込むという奇跡的な仲直りへとつながったのであった。

このように、今回のサンパウロ旅では実に様々なドラマが展開され、初日から盛りだくさんの内容であった。ボクの力不足でそのすべてを記すことができぬのは非常に残念であるが、折に触れて綴っていく予定である。

というわけで、また再来月にお会いしましょう!!


白洲太郎(しらすたろう)
2009年から海外放浪スタート。
約50か国を放浪後、2011年、貯金が尽きたのでブラジルにて路上企業。
以後、カメローとしてブラジル中を行商して周っている。
yutanky@gmail.com
Instagram: taro_shirasu_brasil
YouTube: しらすたろう
Twitter: https://twitter.com/tarou_shirasu

月刊ピンドラーマ2025年2月号表紙

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