半田知雄(画家・移民史研究家、1906-1996) ブラジル版百人一語 岸和田仁 月刊ピンドラーマ2023年6月号
その集りはなんとも和やかな雰囲気であったという印象が今でも記憶に残っている。高野さんと一緒に、椅子に座っていた半田知雄さんのところへ歩み寄り、数分程度であったが半田さんと会話することが出来た。筆者からは、学生時代の1974年に広島のアンドウ・ゼンパチ氏を訪ねたこと、その時、執筆中であった岩波書店版『ブラジル史』の生原稿をみせてもらいながら、“生意気な学生”でしかなかった筆者の不躾な質問にもアンドウ氏には辛抱強く答えていただいた、という貴重な経験についてお話をしたのであった。半田さんは、ニコニコしながらも、「ゼンパチさんか、懐かしいなあ」と故人(ゼンパチ氏は1983年没)について語っていただいたのであった。
生身の半田知雄さんとお会いしたのはこの時限りであったが、筆者にとって半田さんは移民画家というよりも、エッセイ集『今なお旅路にありー或る移民の随想』や歴史書『移民の生活の歴史』を書き上げた文筆家であり、尊敬すべき日系移民知識人であった。
とりわけ、今では日系移民史研究の古典となっている『移民の生活の歴史』(初版1970年)は、移民を常民ととらえ、その生活史を詳細に記録・叙述した作品である。筆者の手元にあるのは1976年刊の再版であるが、二段組みで800頁という、膨大な日系移民史の情報量が書き込まれた大著で、この度、改めて再読してみたが、その叙述の写実性、緻密さには、何度も深く感服してしまった。11歳でブラジル移民となりサンパウロ内陸部の農場労働現場を経験した著者だからこそ書き得る内容で、写実派画家としての感性に文人的知性を加味した叙述となっているからだ。第一回笠戸丸移民、第二回旅順丸移民の配耕先での日常、サンパウロ市における初期移民、独立小農への発展、移民と風物、終戦後のカチマケ抗争、等々が詳述されており、初期移民のブラジル食文化との“格闘”、限られた食材を創意工夫して和食らしい食事を創出していくプロセス、さらには豚を屠る様子も、その現場にいるかの如く写実的な文章で綴っている。
この歴史叙述者としての半田知雄をアカデミズム(歴史学)の観点から検証しきちんと再評価したのが、イタリア系ブラジル人研究者フェリッペ・モッタ氏(京都外国語大学講師)の著作『移民が移民を考える』(大阪大学出版会)である。「半田知雄と日系ブラジル社会の歴史叙述」という副題を持つ学術書は、博士論文に加筆されたものだが、大学生になって日本語を学び始めたモッタ氏の日本語能力はフツーの日本人を遥かに凌駕していることには素直に驚くばかりだ。
尚、冒頭に引用したのは、日伯毎日新聞1979年新年特別号に半田知雄が寄稿した「マンジョーカ粉」というエッセイから、である。
月刊ピンドラーマ2023年6月号
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