第75回 実録エッセー『すべてのお母さんに感謝をこめて』 カメロー万歳 白洲太郎 2022年6月号
#カメロー万歳
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#白洲太郎 (しらすたろう) 文
これを書いている今、つまり2022年の5月8日ということになるが、時計の針はすでに午後4時を回っている。皆さんもご存知のとおり、本日はいわゆる『母の日』というやつで、ブラジルではDia das mães と呼ばれているが、買い物好き、プレゼント好きのブラジル人が、いつにも増して消費に一生懸命になる日として知られている。そんな日の青空市場ともなれば、金を遣いたくてたまらない連中が手ぐすねを引いて待ち構えているのであり、露天商にとってはこの上ない書き入れ時となる。当然、我らが白洲商店も隣町の青空市場に出店したが、今回はそんなボクらの一日を簡単に紹介してみよう。ブラジルの田舎に暮らす『いち露天商の生活』がどのようなものなのか、少しでも伝われば幸いである。
まず、当然のことながら朝は早起きである。日の出前の3時15分に起床し、まずはコーヒーを沸かす。しっかりと目を覚ましてから運転するのがボクの流儀なので、家を出る時間は4時30分くらいだ。ちなみに友人のブラジル人露天商の多くは起床してから30分以内には家を出発するようである。少しでも長く寝ていたいということなのだろうが、ボクには到底真似のできぬ芸当である。
隣町までは車で1時間ぐらいの距離だ。ちょうど夜明けを迎えようとする頃合いに到着。朝焼けを眺めながら屋台を設営するが、この景色がまた美しく、空気はとても新鮮である。30分もかからずに店が完成すると、家から持参してきたおにぎりを頬張りつつ、近くのパダリア(パン屋)でソンヨと呼ばれる菓子パンを購入したり、自転車の荷台で売られているパモーニャ(蒸したトウモロコシのおやつ)を買い食いしたりなどして、腹を満たす。この時間帯は、野菜やフルーツ、パステウなどの屋台以外は割と閑散としていて、露天商たちは開店準備に勤しんだり、朝食などを摂ったりして時間をつぶすのである。
しかし今日は泣く子も黙る『Dia das mães』、普段は現れることのない流れ者のcamelô (露天商)がウヨウヨしているので、全体的に落ち着かない雰囲気だ。こういうときに起こりがちなのが『ポント問題』である。毎週レギュラーで仕事をしている露天商には、当然自分のポント(定位置)があるが、事情を把握していない流れ者がルールを破ってしまうこともしばしば。そのような場合には醜い喧嘩にまで発展するケースもある。見ている分には楽しい人の喧嘩であるが、当事者にはなりたくないのが人情というものだ。
そのようなハプニングを期待しつつ、市場を注意深く観察していると、見知らぬ屋台がバッシーニョのポントに設営されている。バッシーニョは時計やサングラス、ラジオなどの雑貨を販売するベテラン露天商で、あだ名のbaixinhoは『チビ助』というような意味合いであるが、『小さい犬ほどよく吠える』の言葉どおり、敵に回すとかなり厄介な存在だ。長い付き合いのなかで彼とは3回ほど小競り合いをしたが、頑固なブラジル人ほど面倒な相手はいない。自分の主張は絶対に曲げないし、それ以前に人の話をまったく聞かないのである。
バッシーニョの到着はいつも遅めだが、現れない可能性もゼロではない。しかし幸か不幸か、本日はDia das mães である。普通に考えれば、彼は意気揚々とやってくるはずだ。その時どのようなバトルが展開されるのか、ボクは不謹慎ながらも楽しみにしていた。
それにしてもなんと不注意な流れ者であろうか。初見の町で仕事をするときは、まずはフィスカウ(管理人)に問い合わせをするのが常識というものである。一体どんなマヌケが屋台の持ち主なのだろう?と俄然、興味が湧いてきたボクとちゃぎのであったが、果たして流れ者の正体は如何に?
固唾をのんで見守っていると、現れたのは青空市場に似つかわしくない格好をしたブリンブリンのねーちゃんであった。よく手入れされたふわふわの髪の毛、下着が見えてしまいそうなほどのミニスカート、そこから臨むことのできる真っ白な太ももはとてもジューシーで、男性はもちろん女性までもがふり返ってしまうほどの妖艶なオーラを発散していたのである。下僕のような男をひとり連れているが、恋人という感じではない。屋台の運搬・設営などは彼の仕事で、ねーちゃんは接客担当ということなのだろう。それにしても異色の存在である。ど田舎の広場に突如マリリン・モンローが現れたようなもので、その衝撃はまたたく間に青空市場内に広がっていったのであった。
さすがのボクも好奇心を隠しきれず、サングラス越しにブリンブリンねーちゃんの身体を楽しませてもらったが、そんなことばかりしている訳にもいかない。なぜなら今日はDia das mães、金を遣いたくてたまらん連中が市場をウヨウヨと徘徊しているのだから。
さあ、仕事だ仕事!
気持ちを切り替えようとした矢先に、本日ひとり目の客が現れ、いきなり極太チェーンのネックレスをお買い上げ。ボクとちゃぎのは色めき立ち、そこからあっという間に5時間が経過したのである。
午前11時30分。
普段なら客足が落ち着きはじめる時間帯であるが、さすがは『母の日』である。小銭を握りしめて母親へのプレゼントを買いに来る少年少女が後を絶たず、しらす商店ならではの微笑ましい光景が展開されていた。忙しさのピークは過ぎ、客の相手をしながらパステウを頬張ったり、サトウキビジュースを飲んだりといった余裕もでてきたので、ここにきてようやく、ボクらはあのブリンブリンねーちゃんの存在を思い出したのであった。
どういうわけかバッシーニョは今日のフェイラ(市場)に現れなかったようで、ねーちゃんの屋台にはいまだに人が群がっている。商いは大盛況の様子であり、その証拠にねーちゃんは、何事かを叫びながらノリノリで客とセルフィーを撮ったりしているのである。まさに『本日の主役』といった趣きであった。
しかし気になる点がひとつある。
なぜかというと、ねーちゃんを囲む群衆のなかによく知った顔があったからだ。露天商仲間のファビオである。ファビオとは家族ぐるみで仲良くさせてもらっているが、その彼がデレ顔でねーちゃんと会話をしているのである。ボクとちゃぎのは戦慄した。なぜならファビオにはクレイアという愛妻がおり、彼女もフェイラで仕事をしているからだ。慌てて彼女の方に目を向けると、そこには鬼の形相でねーちゃんを睨みつけるクレイアの姿が。そんな視線に微塵も気づかぬ2人はそのまま顔と顔を寄せ合って…という展開になったかどうかは定かではないが、いずれにせよファビオはタダでは済まないだろう。
屋台を片付けると、時計はすでに14時を回っていた。普段なら13時過ぎには撤収するが、今日のフェイラはそれだけ勢いがあったということだ。周りの露天商はダラダラと商いを続けているが、我々はさっさっと帰る派である。ブリンブリンねーちゃんとファビオ、そしてクレイアによる三角関係の行方は気になるが、そんなゴシップよりも、早く家に帰って休みたいというのが本音であった。
アイス屋でささやかな祝杯を上げ、車に乗り込む。
あとは雄大な景色を眺めながらのドライブである。今日もやりきったという充実感が、じわじわとこみ上げてくるのもこの時だ。
そんなこんなで大きなトラブルもなく、今年も無事に母の日を終えることができた。
すべてのお母さんに感謝をこめて。
Feliz dia das mães!!
月刊ピンドラーマ2022年6月号
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