カルロス・ディエゲス(映画監督、1940年マセイオ生まれ) ブラジル版百人一語 岸和田仁 月刊ピンドラーマ2022年4月号
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#岸和田仁 (きしわだひとし) 文
2003年11月、第16回東京国際映画祭コンペティションで話題作『ゴッド イズ ブラジリアン』(原題Deus é Brasileiro)を上映することになったため、カルロス・ディエゲス監督が初来日した。この貴重な機会をとらえ筆者はこの「シネマ・ノーヴォ運動の最も若い参列者」であった監督にインタビューした。
その前日、京都を訪ねていたためか、興奮冷めやらぬ雰囲気であった監督をポルトガル語の冗談や気さくな雑談でリラックスしてもらってから、1時間くらいインタビューしたが、そんな雑談の最初に、監督はユーモラスに「ミゾグチ(溝口健二)やクロサワ(黒澤明)、オズ(小津安二郎)の作品を通じてしか日本を知らなかったが、今回自分の眼で見ることができて感激している。あえて不満をいえばサムライが一人も歩いていないことだね」と話し始めたのは、今でも記憶に新しい。
このインタビューでは、監督の諸作品(『シカ・ダ・シルヴァ』(1976年)、『バイバイ・ブラジル』(1979年)、『オルフェ』(1999年)『ガンガ・ズンバ』(1963年)など)を取り上げて、それぞれの作品に関わるエピソードなどを聞いていったのだが、それだけでは面白くないので、筆者の思いつきもあって、ちょっと意地悪な質問もしてみた。
「作家ジョルジ・アマードの表現を借りると、監督は『アラゴアス州生まれでありながらカリオカとなり、その後あらゆる地域的狭小性を喪失した人』といえるが、ご自身をどう自己規定するか」
との質問に対しての答えは、
「自分はアラゴアス出身のカリオカで地域主義的心性を持たない人間だが、あえて自己規定すれば『ブラジル知りたがり屋』かな。『ブラジルという地理的領域に限りない好奇心を抱いている男』だな」
さらには、
「監督の映画作品はラブシーンが少ないですね、何故?」
という野暮な質問に対しては、
「それは単純な理由による。映画監督のなかには男女のラブ交歓図を描かせたら天才的な人も多い、例えば、ベルトリッチ監督はスペシャリストといえるだろう。私は、その対極に位置していて、この辺は弱いんだ。ラブシーンは今でも苦手だね」
との生真面目な答えを頂戴した。こうした”証言”を引き出せたのは、インタビューアーとしての”成果”だと思っているが、ディエゲス監督は、全身全霊を注いでブラジル的価値を追求した映画人であった。
そんなディエゲス監督が書いた、14ページにも及ぶ渾身のグラウベル・ローシャ論が、『BRASILEIROS』(Editora Nova Fronteira, 2020)に収録されている。冒頭に引用したのは、この回想録的文章からであるが、このバイーア出身の詩人的アジテーター監督ともいうべきローシャの錯綜的魅力を包み隠さず語るディエゲスの文章も読者を魅了する素敵な追悼文となっている。
月刊ピンドラーマ2022年4月号
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