ジャイメ・レルネル(建築家、元パラナ州知事、1937-2021) ブラジル版百人一語 岸和田仁 月刊ピンドラーマ2024年4月号
2021年5月27日、建築家・都市計画家として国際的に著名なジャイメ・レルネル元パラナ州知事が亡くなった。世界中のメディアが訃報記事を報じていたが、ユダヤ専門通信社であるJTA(ユダヤ通信社)の英文記事では、「世界で最も影響力のある建築家・都市計画家であるジャイメ・レルネルが亡くなった。彼はブラジル・ユダヤコミュニティーにも深く関与していた」と書き始め、後半では、「わがユダヤコミュニティーは、一人の偉大なユダヤ人を失い、ブラジルは一人の偉大な人物を失った」とのパラナ・ユダヤ連盟会長イサク・バリルの言を引いていた。
ユダヤ系ポーランド移民二世としてクリチバに生まれた彼は、同市を、環境にやさしい人間都市のモデル都市に変貌させた立役者であった。ここで、あらためて「人間都市」クリチバについて軽く復習しておこう。
1950年は18万であったクリチバ市の人口は、1960年36万、1970年61万、1980年102万、2000年158万というように急増してきたが、1960年代からマスタープランを策定して計画的な都市政策を実施してきたおかげで、国連環境都市賞(受賞1990年)に象徴されるような、環境にやさしい都市となっている。その要点を列記してみる。
以上ざっくりとクリチバの都市政策の実績についてメモしてみたが、この都市計画のマスタープランのコンペ(1964年)に参加した時は、レルネルはまだ大学生だった。すなわち、彼は、パラナ連邦大学工学部(土木工学科)を1960年に卒業してから、同大学建築学部(都市計画学科)に再入学し、1964年に卒業している。
1971年初めて市長に当選してからは、市行政の責任者として、自分が立案した都市政策を実行していったが、当選した時「20年後にはクリチバ市民は、市に誇りを持ち、積極的に市政に関わるであろう」と宣言したことでも有名である。
彼は市長を三期(1971-75、1979-84、1989-1992)、パラナ州知事を二期(1995-2002)も務めたので、建築家人生よりも政治家人生のほうが長くなってしまったが、政治イデオロギー色が少ない、ブラジル人政治家としては珍しい人物であった。軍政時代は、与党(ARENA)に属し、後にブリゾーラ率いるPDT(民主労働党)に転じるが、1998年にはPFL現DEM民主党)、と政治的には穏健派の立場をとっていた。
今風にいえば、ESG(環境・社会・企業統治)投資の理念をクリチバという地方自治体に適合させ実行してきた、社会的先駆者であった。
冒頭に引用したのは、彼が心から尊敬する建築家オスカー・ニーマイヤーに関する小論(”BRASILEIROS” Org. JoséRoberto de Castro Neves, Ed. Nova Fronteira, 2020所収)の前半部分からである。
月刊ピンドラーマ2024年4月号表紙
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