エルネスタ・ヴェーバー(1920年代ブラジルに滞在したドイツ女性作家) ブラジル版百人一語 岸和田仁
#ブラジル版百人一語
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#岸和田仁 (きしわだひとし) 文
20世紀に入って1920年代までの日本における「フランスかぶれ」は、相当なものであった。「おフランス」のものなら何でも崇拝するようになった理由の一つが雑誌「明星」に関係した作家や詩人たちの文学パワーのおかげといわれるが、『ふらんす物語』の永井荷風もさることながら、アナーキスト思想家にしてフランス語にもロシア語にも通じていた大杉栄の翻訳家としての文才のおかげだろう、と筆者はみている。今日でも読まれ続けているファーブル『昆虫記』を日本語に最初に全訳したのが大杉であったからだ。もちろんルソー『社会契約論』を『民約論』として訳出した中江兆民によるフランス共和思想の啓蒙活動も大きな影響を残したが、広範な日本人読者層に受け入れられた『昆虫記』のほうが文化的インパクトがあった、と思われるのだ。
そんな日本に比べると、ブラジルの知識層・富裕層の「フランスかぶれ」は、時間軸の長さの点でもその広がり具合からも、はるかに“筋金入り”である。「ミナスの陰謀」や「1817年革命」といった独立運動の時代から影響力を有したのがフランスであったが、なんといっても、ブラジル国旗のなかの標語「Ordem e Progresso」とブラジル文学アカデミーが、フランス崇拝の象徴事例といえるだろう。
ブラジルには「秩序も進歩」も欠如しているから、国旗のなかに「秩序と進歩」と入れたのだ、と自嘲気味にいうブラジル人インテリは少なくないが、この標語は、1889年の共和革命を主導した軍人たちが信奉していたフランスの実証主義哲学者オーギュスト・コントの基本コンセプトであった。
一方、17世紀に創設されたフランスの国立学術団体「アカデミー・フランセーズ」をモデルとして、「ポルトガル語とブラジル文学を振興する」目的で1897年リオに設置された、非営利文化団体が「ブラジル文学アカデミー」(略称ABL)で、初代会長は、文豪マシャード・デ・アシスであった。本家と同じく、定員は40名、終身制となっているので、会員は“imortal”(不死の人、名声不朽の人、の意)と呼ばれるのが伝統である。
現在のリオのABL本部は、ベルサイユ宮殿内にある小トリアノン宮殿(マリー・アントワネットの私的な宮殿)を模した石造建築で、1923年フランス政府から、「ブラジル独立100周年」を記念して寄贈されたものだ。ブラジルの知識層にとっては、あこがれのフランス文明を象徴する建造物であり、その中に40席しかない文学アカデミー会員の特別スペースに入れることは、文学者にとっては、最高の栄誉である。
冒頭に引用したのは、ドイツの女性作家エルネスタ・ヴェーバーの『私の見たブラジル』(初版1930年、再版1942年)からだ。この著書については、1920年代当時、ブラジル文学アカデミー会員であった作家ウンベルト・デ・カンポスが、「Dra.Ernestaは、好奇心の塊であり、洞察力の鋭い、非凡な精神の持ち主であり、現代のクロニスタ(年代記作家)といえるだろう」と高く評価しているが、本書のどこにも彼女の経歴など書かれておらず、ヨーロッパからやってきて5年以上滞在して、ブラジルに心底惚れた、という程度のことしかわからない。再版のあとがきに「現在の危機的状況を救うのは、チャーチルとルーズベルトの二巨頭だ」と書かれていることから、反ナチスのドイツ人であることは確認できるが、それ以上の彼女に関する情報は不明だ。
月刊ピンドラーマ2022年2月号
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