マリーズ・コンデ(グアドループ出身の作家・大学教授、1934年生まれ) ブラジル版百人一語 岸和田仁 月刊ピンドラーマ2024年2月号
西欧諸国によって植民地化されたブラジルやカリブ諸国で展開されたサトウキビ栽培の労働力としてアフリカからアメリカ大陸へ強制連行された黒人奴隷の数は、“着荷ベース”で最低でも1千万人とみられているが、その最大の輸入国がブラジル(400万人以上)であり、それを若干下回る400万人弱を引き受けたのがカリブ諸国(キューバ、ドミニカ、ハイチ、ジャマイカ、バルバドス、トリニダッドなど)であった。
そうした歴史的背景を有するカリブ出身の黒人知識人たちは、20世紀に入ると、様々な試行錯誤を経て、黒人意識回復運動、アフリカ統一運動のような黒人アイデンティティ確立運動を展開するようになる。代表例をあげれば、英語圏のパンアフリカニズム運動、フランス語圏のネグリチュード運動が1930年代から広がりを見せる。
ネグリチュード運動の機関誌的な雑誌として1947年にパリで創刊されたのが、「プレザンス・アフリケーヌ(アフリカの存在)」誌であったが、この雑誌編集にも関与しながら文学活動も展開するようになったのが、黒人女性作家マリーズ・コンデである。
1934年フランス領グアドループで生まれた彼女は、十代半ばで本国フランスへ移り、ソルボンヌ大学(専攻は英米文学)を卒業、博士論文を書き上げてから、ギニア人と結婚し、西アフリカ(ギニア、セネガル、ガーナ)でフランス語教師として10年ほど滞在してから、米国に移りコロンビア大学教授として活躍してきた。ネグリチュード運動の主導者といえる詩人エメ・セゼールに影響され、アフリカ系黒人としてのアイデンティティに誇りをもっていたコンデは、フランス文化もアフリカ文化も吸収しながら知的彷徨や内的葛藤を経て、「フランスでもなくアフリカでもなくカリブ人」との自己アイデンティティを確立するに至る。
彼女の作品のうち、『生命の樹』、『わたしはティチューバ』など6作品が邦訳されているので、筆者もそのうちの何冊かは読んでいるが、なかでも一番感服したのが2001年刊行の『越境するクレオール』(岩波書店)であった。この一冊は、日本で独自に編集されたもので、いくつもの講演やエッセイが収録されており、この中の一文「私はカリビアンに生まれたのではない、カリビアンになったのだ。」の含意する奥深さに圧倒された。三つの大陸の文化を批判的に吸収し、地理的にも三大陸で実際に生活したコンデだからこその説得力ある一言である。
そんな彼女の邦訳最新刊『料理と人生』(左右社、2023年7月)もまた、魅力的な自伝であり、料理と文学と人生、という三つの相互関係が縦横に語り尽くされている作品である。
フランス語や英語で世界各国の文化や文学を柔軟に吸収してきた彼女は、実は、ブラジルからの影響についても本書のあちこちで言及している。ジルベルト・フレイレから薫陶を受け、ジョルジ・アマードの文学作品もパウロ・フレイレの教育思想も読み込んだ由で、冒頭に掲載したのは、この自伝の13章から引用したもので、その章のタイトルは「人喰いか否か、それが問題だ」。
その結語は、
「カニバリズムの理論は芸術のあらゆるジャンルに当てはまるということではないか。以来、自分で深めつつある考えのなかで、新たに見つけたこの理論が大きな位置を占めることになる。わたしはこれに、「文学のカニバリズム、すなわち新奇で衝撃的なメタファー」と命名した。」
というものだ。
月刊ピンドラーマ2024年2月号表紙
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