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「商工会議所視察旅行」 伯国邦字紙四方山話 第6回 松本浩治 月刊ピンドラーマ2024年10月号
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ブラジルの日刊邦字3紙(サンパウロ新聞、パウリスタ新聞、日伯毎日新聞)がまだ紙面競争をしていた1996年8月、ブラジル日本商工会議所が主催する「産業視察旅行」に参加する機会があった。当時、3紙の経済担当記者が持ち回りで年に数回だったか、日本からの進出企業駐在員に同行して地方の企業等を視察、取材するというものだった。
なぜか商工会議所の取材を行っていた記者がこの時期の視察旅行に同行したのは、マット・グロッソ州にある大湿原地パンタナール方面への旅。当時書いた記事を見返すと、商工会議所の会員企業とその家族ら約60人が2班に分かれて現地での視察や観光を楽しんだとあるから、豪勢な大名旅行の取材だったと言える。
名目が「視察旅行」となっているので一応、食肉加工会社のサジア社など同州の企業視察や州知事との懇親夕食会もあった。しかし、ほとんどが駐在員とその家族向けの観光で、4日間の日程のうち、大半はパンタナールの観光だった。
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最初のうちはパンタナールの大自然を満喫し、ワニやピラニアの姿を見て写真を撮って喜んでいた駐在員とその家族たちもだんだんと飽きがくる。同地域は気候的に暑かったこともあり、同行した記者も昼食時からビールばかり飲んでいたことを覚えている。旅行期間中、暑さと観光疲れで一部の駐在員からは、パンタナールよりもマット・グロッソ州都の都市クイアバに早く戻りたいとの声もあった。
そうした中、同じグループだったある銀行関係の駐在員男性Aさんと知り合い、2人で夜のクイアバの歓楽街へと繰り出すことになった。
夕食ですでにアルコールが入っており、その後に意気揚々とタクシーで地元のボアッチ(ナイトクラブ)に行こうとしたのだが、なぜか途中でタクシーを下ろされ、ボアッチを探して周辺をウロウロと徘徊することに。Aさんは結構酔っ払っており、プロの女性と間違えてか、街を歩いている素人のブラジル人女性に声をかけ、「いくらか?」と値段交渉しだしたのには驚いた。それを見ていた女性の母親と思しきオバちゃんが烈火のごとく怒り出し、「アンタたちが行くのはアッチ」と指さした方向にディスコがあった。「まあ、いいか」とのノリで2人してディスコに入ったが、巨大な空間が広がり、爆音が鳴り響いていた。当然そこはボアッチではないのだが、Aさんは酔いの勢いを借りてか「ここぞ」とばかりに踊りまくったことで、さらに酩酊状態に陥ってしまった。
結局、ボアッチには行けず、ディスコで疲労困憊となった我々はホテルへと戻ったが、どうやって帰ったかは記憶にない。
(つづく)
松本浩治(まつもとこうじ)
在伯25年。
HP「マツモトコージ写真館」
月刊ピンドラーマ2024年10月号表紙
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