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第81回 実録エッセー『やっちまった!!』 カメロー万歳 白洲太郎 月刊ピンドラーマ2022年12月号


『ブラジルという国に住んでいる以上、一瞬たりとも気は抜けぬ』

常日頃、自分にそう言い聞かせ、注意深く生活をしているつもりであるが、どんなに警戒していても、ふとしたときに事件は起こるものだ。2022年の10月23日、ボクは突然、絶望のどん底に突き落とされてしまったのである。

その日は例によって自宅から約50キロほど離れた町で仕事をしていた。爽やかな日曜日、さんさんと降り注ぐ日光と、大統領選を1週間後に控えた人々の興奮が、青空市場をよりにぎやかなものにしている。

午後1時すぎ。しらす商店の商いは終始順調で、ボクとちゃぎのはホクホク顔で営業を終了した。商売道具を車に積み込み、さああとは帰るだけ!という状況である。ちゃぎのはスーパーに買い物に行き、ボクはアイス屋の前に車を止め、ぼんやりと彼女の帰りを待っていた。なんとなれば仕事のあと、アイスを食べるのが我々の習慣であったからだ。はじめは車内にいたが、ブラジルはもうすぐ夏という季節である。汗がダラダラと流れ始めたため、車の外でちゃぎのを待つことにした。今日も無事に青空市場を終えることができ、ホッとするとともに充実感がこみ上げる。流した汗の分だけ報酬が得られるというのは幸せなことだ。特定の宗教を信じているわけではないが、『神様、ありがとう』と、呟きたくなるほど朗らかな心持ちだった。

数分後、ちゃぎのが買い物から戻ってきた。ご苦労さま。という労いの気持ちから、積極的に車のドアを開けようとした、その瞬間である。

ガチャガチャガチャ。

普段、簡単に開くはずのドアが開かない。

血の気が引いていくのが自分でもはっきりと感ぜられ、それでも必死に冷静を保ち、窓越しに車内を観察すると、イグニッションに突き刺さったままのキーが、無残にも置き去りにされていたのである!

『やっちまった!!』

マンガの主人公のように頭を抱え、奇妙な雄叫びをあげたボクは文字通りその場にうずくまった。なんという痛恨のミスであろうか。平和な仕事終わりから急転直下、車に入れない状況になってしまったのである!

『自分で自分を殴り飛ばしてやりたい!』

心の底からそう思ったが、悔やんだところで物事が好転することはない。大事なのは失敗後の行動であり、そのためには冷静に現状を把握することだ。

まずはスペアキーの存在であるが、間抜けなことに、ここから約50キロ離れた自宅の引き出しに大事にしまわれている。もしスペアキーを取りに帰るならば、カギがささったままの車を放置しなければならず、とても不安である。何せ商売道具一式が積み込んであるのだ。万が一のことを考えると、とてもそのリスクは冒せない。

1番確実なのは業者を呼ぶことだが、今日はあいにくの日曜日。スーパー以外の店は大体シャッターを下ろしているし、ブラジルのど田舎とあっては、電話一本でJAFを呼ぶというわけにもいかない。

まさに、今ここ。この場所で問題を解決するしか安全な方法はないのである。

『しかし、どうやって?』

焦る気持ちを落ち着かせようと、ちゃぎのが買ってきた缶ビールをグイと飲み干したボクは、兎にも角にもアミーゴに助けを求めることにした。百戦錬磨の地元ブラジル人なら何か良いアイデアを授けてくれるかもしれぬ。思いついたが吉日、とばかり、露天商仲間のクレイトンの屋台へ駆けていくと、彼はあちゃあ〜という顔をしながらも、どこかワクワクした様子で手助けを快諾してくれたのである。

さっそくクレイトンとともに車の場所へ戻ったが、彼とて何か特別な策があるわけではない。車内に置き去りにされているイグニッションキーの存在を確認すると、

『どこのドアもがっちりロックされていやがる。こりゃスペアキーを取りに帰るしかないんじゃないか?』

などと至極まっとうなことをいうのである。が、先ほど述べた理由により、それだけはしたくない。最後の手段としては窓をぶち破ることすら考えているボクなのだ。商売道具が積まれた車を、カギがささったまま放置するなど絶対にしてはいけないことなのである。

『そもそもスペアキーなんてのは、肌身離さずもっておくものだ』

そう言われると頭をかいて照れるしかないが、スペアキーを家宝のごとくタンスにしまっておいたのはボクの大きなミスであった。

しばし考えこむ様子のクレイトン。しばらくして、

『ジャイを呼ぼう。彼ならなんとかしてくれるかもしれない』

と、希望の光を口にした。

ジャイもなじみの露天商仲間である。鍵の複製を生業にしているおっさんで、車専門ではないが、素人よりははるかに頼りになるはずだ。彼の屋台に事情を説明しにいくと、すぐに来てくれるということになった。ピッキング道具一式を携えて現場にやってきたジャイは、威風堂々と作業を開始したが、ボクもただ指をくわえて眺めていたわけではない。ジャイはありとあらゆる車の使われなくなったイグニッションキーを所持していて、運が良ければそれでシリンダーが回ることもあるという。半信半疑ではあるが、ボクとちゃぎのとクレイトンにできることといえばそれぐらいしかない。ターゲットを後部ハッチにしぼり、3人がかりで様々な鍵をあてがってみた。ボクの車はFIATだが、ダメ元でフォルクスワーゲンやフォード、シボレーなどのカギでもグリグリやってみる。当然のことながらシリンダーはビクともしない。そしてここでアクシデントが起きた。業を煮やしたクレイトンが少し強引に作業を行ったところ、なんと鍵穴の中でキーが折れてしまったのである!折れたカギはシリンダーの奥深くに突き刺さっているため、もうどうすることもできない。これで後部ハッチは完全に死んだ。ボクの車は2ドア製なので、残るは右か左かのどちらかということになる。右ドアの方はジャイが懸命に作業をしているが、未だに目立った進展はない。だが、ドア窓の縁についているラバーカバーを強引に引き剥がしたり、かなり荒っぽくやっている様子である。ボクのための行動なのは百も承知であるが、愛車が傷つけられていく姿を目の当たりにするのはやはり悲しい。

炎天下のなか、30分は経過したであろうか。

わずかなドア窓の隙間から針金を差し込むことに成功したジャイが、汗を滴らせながら四苦八苦している。あともう一息でロックを解除できそうなのだが、すんでのところでスルリと逃げられる。そんな展開を何十、何百回と繰り返し、さすがの鍵屋も疲労の色が濃く滲んでいた。

(ジャイがギブアップするのも時間の問題かもしれない。そうなった時は、いよいよ窓をぶち破るしかない。車ごと商売道具を盗まれるよりはよっぽどマシだ)

そんな覚悟を決めかけた、まさにその時である。

スーパーの制服を着た青年がバイクで通りかかり、声をかけてきたのだ。男3人が車に張りついている様子を見て異常を感じ取ったのだろう。簡潔に状況を説明すると、

『これ使ってみ?』

とばかりに、自分の車のカギを差し出してきたではないか。おいおい、ボーイ!嬉しい申し出だが、そんなことは散々試している。人の車のカギでオレの車が開くわけないし、そもそも開いちゃいけないんだよ!

そう叫び出したい気持ちを抑えながら、ダメ元で青年の差し出すキーを車の鍵穴に突っ込んでみると、なんということであろうか、いとも簡単に開いてしまったのである!!

歓喜の雄叫びをあげると同時に少し複雑な気持ちにもなった。

『オレの車、他人のカギでも開いちゃうんだ…』

聞けば、この青年の車もボクと同じウーノであるらしい。古い年式の車はカギのパターンが数種類しかないため、こういうことも起こりえるのだという。

マジで?

車のセキュリティが急に心配になってしまうが、この時はそのような不安よりも喜びが勝った。青年、クレイトン、ジャイの3人に丁重に礼を言い、命からがら家にたどり着いたボクとちゃぎのは心の底から安堵したのである。

しかし後部ハッチの鍵穴には折れたキーが突き刺さったままだし、ジャイが作業をしていたドア窓付近のカバーはバリバリに剥がされてしまっている。アミーゴの協力に感謝しつつも、ため息しかでない出来事であった。誰のせいかといえばボクのせいでしかないのだけれど…。

というわけで皆さん、くれぐれも自動車のインロックにはお気をつけて。

それではまた次号!


白洲太郎(しらすたろう)
2009年から海外放浪スタート。
約50か国を放浪後、2011年、貯金が尽きたのでブラジルにて路上企業。
以後、カメローとしてブラジル中を行商して周っている。
yutanky@gmail.com
Instagram: taro_shirasu_brasil
YouTube: しらすたろう
Twitter: https://twitter.com/tarou_shirasu


月刊ピンドラーマ2022年12月号
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