実録エッセー『ひとり100レアルはイケるやろ』 カメロー万歳 第93回 白洲太郎 月刊ピンドラーマ2024年8月号
ブラジル冬の風物詩、サン・ジョアン祭りを無事に終えた7月初旬のとある日、ボクたちはいつものように青空市場で安物アクセサリーを販売していた。書き入れ時のシーズンにもかかわらず、今年は期待していたほどの売り上げを達成することができなかった白洲商店であったが、意外なことに祭りが終わったあとのフェイラ(市場)が好調で、なんとか面目を保つことができそうな塩梅である。
お昼が過ぎ、その日の商いを滞りなく終えて、
(さあ帰ろうか)
というとき、見覚えのあるおばちゃんが杖をつきながら白洲商店の屋台に近づいてきた。よく見れば、ボクのブラジル生活における恩人のひとり、ドーナ・ルヂアである。今から遡ること10数年前、この町にほぼ無一文の状態でたどり着いた若き日の白洲太郎は、一時期、彼女のコーヒー農園で働くことによって生活の糧を得ていたのである。
そんな経緯もあって、ルヂアおばちゃんには恩義を感じているボクである。久しぶりの再会に思わず顔を綻ばせると、ガッチリと握手を交わし、お互いの近況などを話した。
昔は恰幅のよかったルヂアおばちゃんも、今ではバンビのように細くなった足をフルフルと震わせながら、杖に頼っての歩行を余儀なくされている。いくつになったのか正確な年齢はわからぬが、もうとっくに年金をもらい受けているお年頃であろう。
そんな彼女から思わぬ申し出を受けた。今年はコーヒーの実の付きが悪く、収穫もその大半が終わってはいるものの、まだ少し実が残っている畑もあるし、久しぶりにバイトでもしてみないかい?というお誘いであった。
週2の行商以外は潤沢な時間のある白洲商店である。ちゃむも目を輝かせてやる気になっているし、普段ものぐさなボクもここらで一度、原点に戻ってみるのも悪くない。フェイラの帰りに収穫用の軍手を購入したボクらは、意気揚々と家路に着いたのである。
翌朝7時。愛車ウーノで農園に向けて出発したボクらは8時頃から作業を開始した。この農園の3分の2は急傾斜の土地で形成されており、そこにところ狭しと約10000本のコーヒーの木が植えられている。コンパニオンプランツとしてバナナやパパイヤ、オレンジやレモンの木も存在しているが、メインはやはり圧倒的にコーヒーの木である。
基本的には植えっぱなしというスタイルのようで、剪定もされていなければ、農薬が撒かれた気配もない。葉っぱは虫に食われ、茎の節々には幼虫の卵らしき物体が散乱していることから、ある意味まったくの放ったからしに見えるが、自然に任せたオーガニック栽培だと主張されれば、まあそうともいえるかもしれない。
最初の30分こそ、ビデオ撮影や記念写真で忙しかった我々であったが、やるからにはしっかりと稼がねばならぬ。
ルヂアおばちゃんによると、
『頑張ればひとり100レアル(約3000円)はイケる』
とのことであるが、その言葉が本当であれば2人で日当200レアル。ブラジルの田舎町で200レアルといえば、ちょっとした金額である。実はボクらの好きなブラジルレゲエ界の大物バンド、Natirutsが解散ライブを開催するというので、旅行をする計画を立てていたのだが、チケット代や交通費、宿泊費も含めて2000レアル(約6万円)ほどの予算が必要という試算結果が出ている。
2000レアルか…。
決して払えぬ額というわけではないけれども、
『もしその予算を臨時収入で賄うことができたらどんなにステキだろう?』
という妄想は急速に我々のブームとなった。何せコーヒーの収穫を10日頑張れば、旅費が手に入るのだ。降って湧いたようなバイト話にボクもちゃむもやる気を漲らせていたのである。
が、実際に畑を見て、そのような夢物語は虚しく霧散していった。なぜならほとんどのコーヒーの実がすでに収穫されたあとで、残されていたのはごく少量の、若い緑の実ばかり。今回はそのような残党をすべて刈っていいとのことであったが、さすがに数が少なすぎる。おまけに若い実というのは枝にしっかりとくっついており、いちいち指に力を入れて摘んでやらねばならない。これが熟した実だと、枝に手を滑らせるだけでバラバラと落ちてくれるのだ。
事前に聞いていたとはいえ、想像以上の痩せ畑であった。
ルヂアおばちゃんの、
『ひとり100レアルはイケる』
のお言葉は、リップサービスというよりは『罠』に近いものであったのかもしれない。それでも、コーヒーの木によっては実が結集しているような部分も散見せられ、まるで希望がないというわけでもなさそうである。やる気を継続するためにも、1日の目標を『2人で100レアル』に下方修正した我々は、脇目もふらず収穫作業に没頭した。先にも書いた通り、この農園の土地は傾斜しているため足場が悪く、おまけにやたらと蟻塚が多いものだから油断できない。ちゃむなど、知らぬうちに蟻の巣を踏んづけてしまい、気がついたときにはもうアウト。下半身の至るところに小さな蟻が入り込み、おまけにチクッと噛んでくるタイプなもんだからたまったものではない。痛みと恐怖で踊り狂うちゃむを『明日はわが身』と怯えながら眺めるボクであったが、パンツの中にまで侵入してきた蟻に亀頭を噛まれ、絶叫する羽目に陥るのはこれより5分ほど後のことである。
昼になり、持参してきたおにぎりを2人でほおばる。やる気がみなぎっているため、30分ほどで休憩を切り上げ、すぐに収穫作業に戻った。無心で取り組んでいるうちに、だんだんと自信が芽生え、自分にはコーヒー収穫における『才能』のようなモノがあるのではないかと、本気で考えはじめる。優れた観察力に正確無比なピッキング、そして類まれなる集中力。この三拍子が揃ったプレイヤーは、ブラジル広しといえどそう多くは存在しまい。
『オレこそがコーヒー収穫界の大谷翔平だ!!』
と、思わず怪気炎を上げたボクであったが、いつの間にか時計の針は15時を指している。初日から飛ばしすぎると翌日への影響が心配だし、現に肩や背中や腰など、身体のあちこちが痛んでいる。それに気がつくと同時に、凄まじい疲労感がどっと全身に押し寄せた。
収穫したコーヒーの実をゼーゼー言いながら、ビニールハウスのあるところまで運ぶと、いよいよ計量である。ルヂアおばちゃんが差し出してきたのは約20リットルほどの、元はペンキが入っていた空き缶で、油の一斗缶とほぼ同じサイズである。収穫者はこの空き缶1杯につき10レアル(約300円)の賃金を得ることができるのだ。
果たして結果や如何に?
固唾を飲んで計量を見守る我々。
1缶目。そして2缶目…。
さらに3缶目が満たされた時点でボクらの顔面は蒼白となった。なんとなれば、約6時間にも及ぶ労働で勝ち得た2人分の収穫物があっという間に計量し尽くされてしまったからだ。
つまり我々の日当は30レアル(約900円)。ひとり頭で計算すると450円という、見るも無残な結果と成り果ててしまったのである。ちなみに時給に換算すると75円であった。
ボクとちゃむはボロボロの身体を引きずるようにして車に乗り込んだ。2人とも無言だったが、心の中で思っていることは一緒である。
(今日で収穫界から引退しよう)
というわけで、コーヒー農園で稼いだ金でNatiruts のライブに行くという夢はわずか1日で潰えることになったのである。
お金を稼ぐのは本当に大変なことなんだなぁ、と再認識させられた1日であった。
それでは、また再来月!!
月刊ピンドラーマ2024年8月号表紙
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