リマ・バヘット(作家・ジャーナリスト 1881-1922) ブラジル版百人一語 岸和田仁 月刊ピンドラーマ2024年10月号
今時の日本で流行っているテレビ番組風に意訳すれば、「ブラジルとは公金というオイシイ食べ物のデカ盛りハンターがうようよしている国家」とでもなろうか。確かに、ブラジルは昔も今も、軍政時代も、民政復帰してからも、公職について権力を乱用できるようになると、政治家は公金を横領するノウハウを“技術発展”してきた。右翼であれ、左翼であれ、中道であれ、いずれも金額の大小はあっても、公金ドロボーの歴史はしっかりと繰り返されてきた。
冒頭の、ブラジルは公金ドロボー国家だ、との明快な一文は、作家リマ・バヘット(1881-1922)が、週刊誌A.B.C.(1918年10月26日付)に寄稿したものである。
わずか41年間という短い人生を駆け抜けた作家リマ・バヘットが生きた時代に起きた歴史的事件を列記してみると、黒人奴隷制廃止(1888年)、帝制から共和制へ、皇帝ペドロ二世の英国亡命(1889年)、第一回日本人移民(笠戸丸)サントス着(1908年)といったところが目に付く。彼の生年月日は、1881年5月13日であるから、まさに、その7年後の5月13日が、「奴隷解放令」記念日となったのである。
彼の没年(1922年)には、陸軍青年将校の反乱も起きたし、サンパウロでは「近代芸術週間」を契機に近代主義(モデルニズモ)が産声をあげた年であった。この時間軸からいっても、彼が「前近代主義」作家と文学辞典において分類されるのも当然だろう。
オーギュスト・コントの実証主義に影響されて樹立された第一共和制の「ブラジル合衆国」の新しい国旗に書き込まれた標語が「秩序と進歩」であったが、このブラジル版共和制が行ったことは、カフェ・コン・レイチという一語に象徴されたように、サンパウロとミナスジェライスが交代で大統領を出しっこする、という寡頭政治体制でしかなかった。この“カフェオレ”政治の腐敗ぶりを正面から批判していたのが作家リマ・バヘットであった。
父親が植字工という黒人(ムラト)家庭に生まれたリマは、経済的には豊かではなかったが、親戚・支援者の資金援助もあって、有名高校、工科大学(中退)まで学ぶことができた。当時の黒人層で高等教育まで受けられたのは全体の1%以下だったから、その点では彼は超高学歴ムラトであり、早くから文才を発揮していたが、生涯、黒人への偏見に苦しみ、うつ病とアルコール中毒に侵された一生であった。
実は、リマ・バヘットの作品など全く読んだことのなかった筆者が、この作家に惹かれたのは、リリア・シュワルツ教授の分厚いバヘット評伝(2017年刊)をたまたま入手して、その文字量にタメ息をつきつつなんとか読了したからだ。サブタイトルが「悲しき夢想家」となっている、この浩瀚な評伝(全646頁!)は、とにかくスゴイというしかない。リマの小説諸作品や短編・時評などの深読みはもちろんのこと、さらに彼の生きた時代のリオの物理的社会的状況を詳細に叙述していくリリア教授の筆は、学術的文体というよりも文学者とジャーナリストの両面を兼ね備えた、流れるような文体でとにかく読者を惹き込んでいく。
あとがきも、9ページもあって、これだけで一つの強烈に面白い作品になっている。リリア教授の配偶者ルイス・シュワルツがブラジリエンセ出版の若手編集者であった時(1979年)手掛けたのがリマ・バヘット短編小説選で、という話から始まって、ある歴史人類学調査を行った時に世話になった個人図書館が偶々、リマ関連の貴重な蔵書を買収していた、これがのちにUSP(サンパウロ大学)に寄贈されて、とか、様々なリリア人脈ネットワークが二次方程式に機能して、彼女の学術的調査が複次的に深まっていく経緯はまるで小説のようだ。その成果を文学者的な文体で書き込んだ結果が、この評伝となったのだから、労作とか力作というワード以上の作品になっている。
月刊ピンドラーマ2024年10月号表紙
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