高岡熊雄(法学博士・農学博士、北大総長、1871-1961) ブラジル版百人一語 岸和田仁 月刊ピンドラーマ2023年12月号
かつてリベルダージのアメリコ・デ・カンポス通りに「のんき堂」という古本屋があった。当時ノルデスチに住んでいた筆者にとっては、1979年から80年代半ば頃まで、サンパウロ出張のたびにリベルダージ街の本屋を覘くのが至上の喜びであったが、古本ではのんき堂に立ち寄ることを、自ら“義務”と課していたものだ。
のんき堂の書棚には、駐在員が帰国の際残していったビジネス関係書や時代小説群がまとまって並んでいたかと思うと、その隣に絶版になって久しい『スターリン全集』や哲学書が転がっていて、この“雑然の中の秩序”は、それこそ興奮するほどのスゴさだった。筆者に起きた一例をあげると、戦時中の1943年に栗田書店から刊行された翻訳書『捕鯨』(世界貿易産業研究叢書)を見つけた時の驚愕は、今でも記憶に鮮明である。この訳者は、宇野弘蔵、そう、マルクス経済学の大御所だ。彼が人民戦線事件に連座して逮捕され、東北帝大を辞職して、メシを食うため就職した「日本貿易振興協会」(JETROの前身)でのドイツ語からの翻訳仕事だ。岩波書店から刊行された宇野弘蔵著作集全11巻にも収録されていない、超稀覯本だが、こんな“お宝本”も並んでいたのが、のんき堂であった。
この古書店で入手できた貴重本の一冊が、大正14年(1925年)に刊行された高岡熊雄著『ブラジル移民研究』である。著者の高岡熊雄は、山口県生まれ北海道育ち、ドイツ留学で博士(法学博士&農学博士)となり北大(前身の札幌農学校、北海道帝大)の教授を経て総長も務めた農業経済・農業政策研究の大家であるが、1922年の欧米視察(米国、カナダ、ブラジル、イギリス、フランス、ドイツを歴訪)の成果として発表したのが、このブラジル移民研究書である。大正14年10月25日発刊で、出版元の宝文館は、教科書や学術書を手掛けていて、明治大正時代は大手出版社だった。価格3円50銭(現在の貨幣価値で1万円くらいか)で402頁もの大部で高価な学術本なので、一般読者向けというよりも知識層や企業経営者向けの“小難しい論著”といえる。なにしろ法学者らしい、句読点も全くなければ、改行もほとんどない、古風にして冗長な文体で終始しているので、我々が読み進むにはなんとも骨の折れる“旧字体の古文書”といわざるをえない。
序にあるように「我が国の人口問題農村問題等を解決する政策の一として海外移民の必要なることを常に唱道しつつある吾人は一昨年欧米に再遊せし際親しく南米諸国を視察する機会を得た」由だが、“ブラジル移民研究”というよりも“ブラジル進出を検討する企業家・資本家向けの上から目線のブラジル事情解説”というのが、この本の実態だろう。冒頭に引用したのは、さわりの部分と結語の一部だが、廉価な輸入代替日用品を製造する事業をやったらうまくいくぞ、とか、ブラジル資本との共同事業を推薦、などは“先見の明のある説教”といえようが。
月刊ピンドラーマ2023年12月号表紙
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