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チベット編 せきらら☆難民レポート 第21回(番外編) 2021年7月号

#せきらら☆難民レポート
#月刊ピンドラーマ  2021年7月号 HPはこちら
#ピンドラーマ編集部 企画
#おおうらともこ  文と写真

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「現在、ブラジルでは、私を含めて3人のチベット人難民と認められる人が暮らしています。北米には、数千人います」

と語るのは、『チベットハウス・ブラジル』のジグメ・ツェリンさん(54歳)。ツェリンさんは、パンデミックが始まる直前の2020年、世界13か所(2021年1月時点)にあるチベット亡命政権代表部(通称チベットハウス)ブラジル事務所の所長に赴任するため、初めて南米に足を踏み入れた。元所長に迎えられ、彼のアパートで暮らし始めた矢先、サンパウロでは外出自粛令が発せられた。

「インドのチベット人は、難民として日々の生活で多くの課題に直面していますが、少なくともコミュニティで一緒に生活しています。しかし、ブラジルで私はほぼ1年間、ほとんど他者と現実の交流がなく、孤立状態でした」

 来たばかりの異国の土地で、ブラジル人をはじめ、対面での人との交流を隔絶されたことは、信じられないほど大変なものだった。新型コロナの第2波が訪れた今年3月、インドに戻る必要に迫られ、現地で子どもたちに迎えられた時には、ツェリンさんの目には涙があふれていた。子どもたちは父親が戦地から戻ったかのように感じていた。

ツェリン[1]

ジグメ・ツェリンさん

◆生まれながらの難民

 ツェリンさんは、チベットに近いインドのレー(Leh-Ladhak)で生まれた。両親は1960年代初頭、ダライ・ラマ14世に続き、生存のためにチベットを逃れた亡命者だった。やがて南インドのチベット人集落に移り、ツェリンさんもそこで育ち、その後、ダラムシャーラーにあるチベット亡命首都で長年働いてきた。

「私は生まれた時から難民で、チベットに行ったことがなくても、チベットに属していると言わなければなりません」

◆複雑なインドのチベット人の出国事情

 ツェリンさんは就労ビザを取得し、ブラジルに入国した。しかし、一般にインドのチベット人難民は、ビザを取得するのは難しい。問題は、標準のパスポートと異なり、チベット人難民には、パスポートにインド政府から発行される「イエローブック」と呼ばれるものが必要で、これを入手するのに長いプロセスを要する。チベット人はインド人とは異なり、海外へ渡航するために、警察からの出国許可と帰国のビザが必要で、多くの国ではこのイエローブックの存在が認識されていない。これはチベット人が海外へ移民するのを複雑にもしている。

 インド政府は現在、チベット人難民がインドの市民権とパスポートを申請することを許可しているが、官僚的な手続きを通過するのは狭き門となっている。

◆チベットハウスを支える日系人の存在

 ツェリンさんによると、約700万人のチベット人はチベットに住み、全世界に約15万人のチベット人難民が散在する。大部分がインドとネパール在住で、約10万人が暮らす。

 ダライ・ラマ14世はブラジルを4回訪問し、大変な歓迎を受けた。それで、ブラジルの人々と「チベットの精神的および文化的遺産を促進し、その深い知恵と美しさを共有する」というミッションを掲げ、2016年3月、サンパウロにチベットハウスが設立された。設立やこれまでの活動には、日系ブラジル人も深く関わってきた。

「パンデミックでリアルな人との交流がなく、ポルトガル語を学ぶのが困難な中、日系人の先生がとても親切にオンラインで勉強できる機会を提供してくれました」
と、ツェリンさんは謝意を表す。

 ツェリンさんは、母語はチベット語で、英語とヒンディー語も話す。ほぼパンデミック下のブラジルしか知らないツェリンさんだが、サンパウロで感じた小さなことは、様々な人種が混在している土地に見え、見知らぬ人でも温かく受け入れて助けてくれる人々がいるということだ。

「人々がもっと多くの言語を話せたら、もっと良かったように思います」
と言う。

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チベットハウス・ブラジル

◆パンデミックも救う!チベット仏教の知恵

「サンパウロに来て、健康不安はもちろん、初めての土地で言語的にも文化的にも孤立した状態の中、私自身もチベット仏教の知恵とチベットハウスのビジョンが困難を克服する助けとなりました」

 チベットハウスでは、パンデミック以来、人々が抱えるストレスに対処するのを助けること目的とし、チベット仏教の心理学に関するオンラインコースも提供するようになった。パンデミックまで対面で行われていたイベント活動は、現在は全てオンラインに切り替えられ、3か月ごとにスケジュールが発表されている。

◆ヒマラヤ山脈逃避行で足指を切断

 チベットハウスで特に人気のイベントの一つが、チベット料理の講習会。現在はオンラインのみで、その講師を務めるのがリオグランデドスル州トレス・コロアス在住のオギェン・シェイクさん。

 チベットのDiga Tibetで生まれ育ったオギェンさんは、16歳の時、3人の兄弟を含めた30人の仲間と共に、自由を求めて徒歩でヒマラヤ越えを2か月かけて決行した。映画さながらの逃避行で、チベットとネパールの国境を越えた時には、数人の命を失い、自身は凍傷による壊疽(えそ)のため、ネパールの難民病院に入院して足指を切断した。回復後は、インドのダラムシャーラーにあるチベット難民キャンプに住み、そこで兄弟と再会し、彼らを支えるためにも懸命に働いた。仏教美術アーティストとして寺院で絵を描く他、料理人としての腕を磨く機会にも恵まれた。

 ブラジルに来るチャンスが訪れたのは2006年。サンパウロ州コチアのチベット仏教寺院Odsal Lingで、仏画を描く仕事に携わることになった。3年後には、リオグランデドスル州トレス・コロアスの寺院でボランティアをしていた現在の妻アドリアーナさんに出会った。 

「オギェンさんの陽気さに一瞬で魅せられました」

 2人は結婚し、オギェンさんは永住権を取得。2013年にはトレス・コロアスの豊かな自然環境の中で、ブラジル初のチベット料理レストラン『エスパッソ・チベット』をオープン。シックな装いの店内で、チベット料理とブラジルのスパイスとの出会いが、新たな味を展開する。今年5月のオンライン料理教室では、トレス・コロアスの厨房から、チベット料理を代表するモモなどが紹介された。

「このレストランでは、チベットへの情熱を分かち合いたいと思います」
と、笑顔のオギェンさん。ブラジルはチベットやインドのように、オギェンさんを成長させてくれる第3の故郷となっている。

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チベット・ハウスのオンライン料理教室
​オギェン・シェイクさん

◆夢はチベットでの生活に戻ること

 ツェリンさんは、「地球で最も標高の高いチベット高原は、長い冬は雪に覆われ、生活がとても厳しい」と、両親に教えられて育った。

「私はチベットに住んだことは一度もありません。しかし、自分の家、国とは、何があっても快適な場所です。チベット人は、インドの暑い平原よりも、雪国に住むように遺伝的に備えられています」
と話す。

 心の故郷であるチベットに行って生活するのが夢のツェリンさんだが、今はサンパウロのチベットハウスでの活動を通じて、人類普遍の兄弟愛と平和のメッセージを広めるという、ダライ・ラマ法王のビジョンをブラジルで果たすのが優先課題である。

「チベットは私の祖先の土地。両親はチベットからインドに亡命しました。避難先で生まれた私も他のチベット人も、帰りたい場所はチベットです。私たちは夢と希望を決してあきらめません。願いがかなうまで、私たちは世界中の借地にチベット文化を築き、大切に保存し続けます」

企画/ピンドラーマ編集部 協力/ Tibet House Brasil
文/おおうらともこ

◎インフォメーション

『Tibet House Brasil』
住所:Al. Lorena, 349 - Jardim Paulista
http://tibethouse.org.br/

『EspaçoTibet』
R. Alagoas, 361 - Águas Brancas, Três Coroas - RS
https://www.espacotibet.com.br/

■チベット人による難民がテーマの詩

 チベット人難民テンジン・ツンドイ氏(インド在住)の難民をテーマにした英語詩集が、5月にブラジルでもポルトガル語で発行された(対訳付)。同氏は詩人、教育家、活動家であり、「インドの優雅な50人」に選出されている。

“Poesia Selecionada de Tenzin Tsundue(テンジン・ツンドイ詩撰集)”

入手先: https://digipub.me/shop 
連絡先:digipub@digipub.me
PDFのみで販売(eBook)、価格R$40 売上の一部はチベット独立運動に寄付される。


月刊ピンドラーマ2021年7月号
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