劇場版『SHIROBAKO』を観て思ったこと。若いうちの苦労はやはり買ってでもするべきだ。
アニメを作るアニメ、SHIROBAKO。
ファンには説明不要だろうが、零細アニメ制作会社のリアルが描かれている非常に面白い作品である。
放送当時、私も駆け出しの社会人とあって、新人の苦労や、自分の思いに反する組織事情に、深く共感したものである。
今回の劇場版はTVアニメ版から四年が経過し、登場人物たちもそれぞれ重要な役割を任されている。
主人公の宮森あおい(通称みゃーもり)は、制作進行のエースとして、TV版の時から並外れた活躍を見せていた。
本作でも八面六臂の活躍を期待していたが、社会人としての壁にぶち当たっていた。そう、自己と周囲とのギャップである。
個人の頑張りにもかかわらず、組織としての会社の仕事は減り、下請けに甘んじていた。
人は去り、かつて自分が夢見ていたアニメーション作りとは程遠い場所にいた。
アニメ業界からのリタイアを含め、悩む描写が見られた。
前社長の営むバーで、カレーを頬張りながら涙を流す姿は胸に来るものがあった。
がんばれ、みゃーもり。
気づけばそんなエールを心の中で送っていた。
その苦悩の先に、きっと成長がある。
人は困難に立ち向かわなければ成長しない。
誰が何を言おうと、これは事実である。
困難を前に逃げて、ぬるま湯のような環境にいて、精神的な安らぎを求めるだけでは、成長はない。
私の現在の仕事も、かつて忙しかったが、今は仕事を取り上げられている部署だ。もっと苦労しなければとつくづく思う。
だからこそ、みゃーもりのように、揉まれながら成長する若者がまぶしい。
私も必死だった若手時代を思い出すと、それほど悪くなったなと思い始めている。
4月から働く新社会人に告ぐ。
とりあえず、何でもいいから苦労はしておこう。
私から言えるのはそれだけだ。