ふと思ったこと(不感症問題)
iPhone14pro
カメラの性能が凄すぎて、カメラ購入を他人に薦めるのは止めようと思いました。ラジオスターの悲劇(tv killed radio star)という懐かしい曲がありますが、ラジオを殺したテレビはYouTubeに殺されつつあります。同じように、カメラもスマートフォンに殺されてしまうのでしょうか。そんな切なさを感じてしまいました。
山奥の秘湯で
湯治目的などに利用される秘湯で、1日5時間ほど湯船に浸かり、同じく5時間ほど部屋でヨガやピラティスをおこなうというそんな数日を過ごしました。帰る前日の夜、「若いのにこんなところに...」と男性が話しかけてきました。実際には彼とは同世代で、話を聞いていると医師で本の執筆などもされているとのこと。スピリチュアル的な観点で、特別な場所だから行くようにと薦められて来たのだと教えてくれました。「で、何か感じますか」と聞かれて、手短に感想は述べました。
料理などでもそうです。あきらかにずば抜けた、まったく違うものが世の中には存在しています。これが、同じ蕎麦なのか。今まで食べてきた蕎麦は一体、なんだったんだと撃ち抜かれるような衝撃。ヨガやピラティスでも同じです。サイゼリヤレベルのピラティスが世の中ではほとんどで、まったく違うものが存在していることを、知っている人は知っています。自分の感性感覚によって、違いを感じ取れている場合もあれば、違うことを頭では知っているが感覚ではわからないということもあります。
浴場で出会った彼の場合、後者でしょう。緩めるべきレイヤーが緩まっておらず、彼には硬さ(過剰な緊張)があり、感じ取れないのです。鈍感というより、ある種の麻痺です。彼の人柄の良さと医師という職業的な権威と人の縁などで周りにはそういった感覚の良い人たちがいて、金銭的にも時間的にも余裕があり、薦められるままに行っている。でも、違いが感じられない。「違いがわからないです...」と吐露する彼。少し可哀想に思いました。
この話をある人にしところ、「その違いを感じ取れなくても、効果は平等に受け取れるのでしょうか」と質問されました。鋭い、良い質問です。僕の考えは、またいつか何処かで。
お仕事のこと
そう言えば最近、「葉坂先生は趣味人間ですね」と生徒さんに言われてしまいました。「葉坂先生は仕事人間ですね」と言われたり、「葉坂くんは仕事依存です」と目上の人に嗜められたりしたのが懐かしいです。コロナ禍で、随分と変わりました。兎も角、もう少し仕事をしようということで、大阪でのグループレッスンを増やしていきます。
近々に日中のグループレッスンについても案内しますが、平日の夜、毎週水曜日から固定でレッスンすることにしました。久しぶりです。もしよかったら、体験レッスンなど受講しに来てください。興味がある方は、メールください( taikihasaka★gmail.com )。
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