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本家の後継 4 母の苦悩
子供を愛する気持ちというのは、自然に湧いてくるものなのでしょうか?
血の繋がり
一緒にいることで湧く愛着
自分の分身、うつし鏡
世間体
一種の自己実現
責任と使命感
もしかしたら愛情の裏には、様々な理由があるってことなのでしょうか?
でも、理由があって愛するってなんだか本当の愛情とは違うような気もします。
人生を重ねて行くうちに、親子という関係は初めから愛情があると言うよりは、時間をかけて愛情を学んだり育てていく関係なのでは無いかと、思うようになりました。
この話の内容には、実在の人物が登場するため仮名をつかわせていただいてまいす。
江戸時代に離縁状や三行半という離婚の制度があったことを知っているでしょうか。
昔だからといって、必ずしも封建的で女には決定権が全く無かったわけでは無く、女性の側からの離縁の申し立てや、男性側からの一方的な離縁に対しての女性側に対しての保護的な決まり事はあったようです。
ただ、万民に対してそれが通用していたかどうか。
現代でも、法律などがあっても最終的には当人の状態によって思うようにならないこともあります。
昭和40年代。
まさ子は、真一の日頃の生活態度にはもう我慢の限界だった。
姑も家のことはやっていたが、農家の仕事の大半は自分がしなければならなった。
真一は仕事から帰った後、毎日のように夜遅くまでダラダラと酒を飲んでいる。
機嫌の良い酒ならまだしも、一人で飲んでいる時には機嫌の悪いことの方が多いから、家族に当たり散らしたりする。
一人で飲むのがつまらないと、酒好きな輩を家に呼んでは、家にある酒がなくなるまで飲むことがしょっちゅうだった。
呼ばれた人はタダで飲めるし、自分の家でそんなに飲んでいたら間違いなく家族にどやされるから、喜んで飲みにきていた。
まさ子や家族にとっては大変迷惑な話であるが、真一は人に何か諭されるのは嫌いだから、一言でも言おうものなら怒りを爆発させ乱暴をふるうので、強くは言えなかった。
勝手に飲んでいるのは仕方ないが、酒の世話や後片付け、時には飲んだ後のにご飯が食べたいだの、真一が寝るまで付き合わなくてはまさ子も寝ることができなかった。
田んぼをしている人の朝は早い。朝の3時には起きて、田んぼに水を張りに行かなくてはならない。
しかし真一は毎日、遅い時間まで深酒をするせいでそんな時間に起きることは出来ない。必然的にまさ子の仕事になった。
夜寝るのが遅くなり、眠い目をこすりながら起きて田んぼに出かけていく。草刈りをしたり一段落して朝ご飯の用意に家に戻ると、やっと起きた真一がお茶を飲んで待っている。
こっちは一生懸命に働いてきて、疲れているのに朝からイラついている真一に、ご飯を急かされる。
正直、腹立たしい。
休みの日には、朝から景気付けだと言って酒を口にする。
そんなだから、だるくて仕事がはかどらないし、他の家よりも農作業の時期も遅れてしまう。
近所の家の人は、夫婦で助け合いながらやっている分、それだけ農家の仕事もはかどるが、真一の家は農作物の育ちかたや手入れの状態で、他よりも遅れているのは一目瞭然だった。
当然、近所に陰口を叩かれることになり、自業自得なのに、一層、真一の不満の種になった。
真一にしてみれば、自分は日中仕事に行っているから「お前らは昼寝ができるから良いな」ということらしいが、実際は農家の仕事はキリがないし、力仕事である。それに他の家では家族でこなしているのに。
農耕用に牛も飼っていたので、餌となる草を刈ってきたり、牛舎に敷いてある藁も古いのを片付けて堆肥を作るところに運び、そして新しい藁をしいてあげなくてはならない。
まさ子は、まだ若くて意外に馬鹿力だったので体力には自信があったから労働すること自体は仕方のないことだと受け止めてはいた。
しかし、毎日一生懸命やっているのに家族ということで自分も悪く言われている上に、こんな男にイヤイヤ身を捧げ続けることに我慢が出来ない。
しかもこれ以上、男の跡取りが欲しいというだけで、次々に子供を生まされるのも耐えられない。「家畜じゃあるまいし!」
子供を四人産んだが、母乳をあげたりオムツを替える時以外はほとんど農作業に明け暮れ、母親として子供と触れ合う時間なんてほとんど与えられなかった。
母親らしいことをしてみたいという気持ちはあった。
真一と一緒になって10年以上経つが、真一が自分を改めるどころか、まさ子が来たことでむしろ、自分がすべき家の仕事を押し付けて好き放題しているような有様だった。
「離婚したい。」
まさ子の両親は、子供を四人連れて離婚した場合の生活を考え、自分たちの負担が大きくなるのもあり、はじめは説得しようとしたが、まさ子の心は決まっていた。
子供達を引き取るつもりで、真一と離婚の話し合いをしたが、真一も姑も簡単には離婚に応じてくれなかった。
真一は「子供を渡さない」と言ったら、まさ子が考え直してくれるのでは無いかという戦略だったが、まさ子の意志は固く、それではということで家庭裁判所で調停されることになった。
真一は、嫁に逃げられたとあっては世間体がもっと悪くなるので離婚したく無いというのもあったが、子供を手放したく無い理由が他にもあった。
これには、姑も絡んでいたであろうと思われる。
それは、戦死した隆雄の恩給である。恩給はその支給対象に伴侶や子供はもちろん、実は孫も対象となり支給金額に反映されるらしい。
真一は調停で
「自分の反省を受け入れない、わがままで心の狭い母親象」をでっち上げ、
「母子家庭の劣悪な環境では子供がかわいそうだ」
「家の後継が必要だ」
などを並べ立て、自分を棚に上げた訴えをして、まさ子の主張を不利にした。
まさ子は、真一がそんな汚い手を使ってくるとは思ってなかったので、悪知恵も湧かず、戦略的なことも何も出来なかった。
調停員は封建的な時代背景も手伝って、女の人が離婚して働きに出ても子供達が十分な環境で暮らせる可能性は低いとし、親権をまさ子に渡さなかった。
離婚は成立した。
心が痛んだ。
恨んだ。
泣いた。
仕事ばかりで、子供達と触れ合う時間が少なかったからか、子供への愛着が薄かったのは幸いだったかもしれない。
隆子、二歳の時のことである。
この続きはまた、次回に。