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意味があるって自分で決めてしまえば、それでいい。

今日も今日とて地下鉄に揺られながらスマホに指を滑らせる。noteに日記を書くためだ。

「便利な世の中になった」なんてセリフは、3000年前に言っておくべき言葉かもしれないが、今はスマホで日記を書いて、しかもそれを読んでくれるあなたがいる。

こんなにすばらしいことはないよね。

いつもありがとう。ありがとう。

ぼくは自分でもウンザリするほどのネガティブな思想の持ち主だ。
なんだろうね?これ。

他人に聞いたって答えが出ないのはわかりきっているんだけどね。
「今日からぼくは生まれ変わった!」
なんて調子ブッこいてしまっても、踏み出して3歩目には我に返って
「ぼくは何をしているんだ…」
と闇落ちする始末。

切れかかった蛍光灯のように、パチパチいいながら明るくなったり暗くなったり。

今、ルームライトの蛍光灯だってLEDに変わってる時代だよ?
いつまでそんな古臭い文化を続けてるんだか。…あ、でもぼく昭和生まれだからしょうがないか。

何か新しいことを始めるまでは良いものの、しばらく続くと途端にその行為自体に何の意味があるのかを考え出し、手が止まる。足が止まる。

「もう、いいかな」

と投げ出してしまうこと数千回。そういう自分の特性を知っていながら、なにか有効な対策を講じることもできず、生まれて40年も経ってしまった。

もともとの性格だから仕方がないことなのかな?

で も 。

本当に仕方がないことだとしたら、ぼくはこれからもずっと何も続けられない人間のままだということになってしまう。それだとちょっと人生がもったいないような気もするな。
生誕40周年を迎えてしまったとはいえ、平均寿命ぐらいまでは生きられるという多少ぜいたくな試算をしたのならば、まだこれまでと同じか、ワンチャンもっと長い期間の人生を送れる可能性がある。

それってすごいことだよね。

0歳で生まれてからこの40年間の人生を、もう1ターン経験できるということだ。そう考えると40歳って折り返し地点と言ってもいいくらい。

いいよね?

ね、いいよね!?

と少し興奮気味になってしまったけれど、言いたいことはそれじゃなくて。

これからの40年を、これまでと同じように「意味がない」と感じながら生きていくのはちょっと苦しい。根本的にネガティブ人間なので、今後は何かを始めるとなったら「どうせ意味がないんだから」っていう思考に陥りかねない。

そうならないために、ぼくはこれからの人生をどう生きていけばいいだろうか。

ただお金を稼ぐために働いて、ただ呼吸をして生きていくためだけに時間を使う。そんな人生にはしたくないなー。

そもそも、ぼくのこれまでの人生は本当に無意味でしょーもなかったんだろうか?

確かにぼくはポンコツだし、全然お金も貯められなかったし、夢中になって取り組むことも見つけられなかった。ずっと冷めた人間だった。

それでも、なんとなく生きてきたとはいえ、おかげさまでそれなりには稼ぎをもらっている。フリーランスという立場上、会社員と比べることはできないだろうけど、会社員に毛が生えるくらいのお金はもらっているんじゃないだろうか。

もっとも、扶養控除とか保険料とかではまったく優遇措置がないので苦しいところは苦しいんだけど。

だけどね。

自分が「それなり」だと思って続けている仕事でも、取引をさせてもらっているお客さんからも「それなり」には評価されているからこそ契約を続けていただけているんだろう。

そういうところを見ていくと、

「案外自分も捨てたもんじゃないのかもしれない」

と思うのはとんだうぬぼれなんだろうか?

でもそうやって、自分のしてきたこと、やっていることの見方を変えてみるとポジティブな面も見える気がする。

「捨てたもんじゃない」って、いい響きだな。

ネガティブなぼくには、少々自虐も効いていて、なんだか心地よい言葉の気がするよ。しかもちょっとだけ自己肯定も含まれている気もする。
きっと自分にはちょうどいい塩梅の言葉なんだと思う。

ひねくれ者という性質の自分にもやっぱり合っている。普通に褒めれれるよりも受け入れやすいニュアンスの言葉だ。

自己肯定感の低さとか、なんでもネガティブに捉えてしまうような、そういう性格自体はこれからだって簡単には変わらない。理屈じゃないしね。

直感で「やだな」って思ってしまうものは止めようがない。


でも、その後で少し考え直してみる。

自分がやっていること、やろうとしていることには本当に意味がないんだろうか?

ほんのささいなことでもいい。
何かこじつけられる「意味のあること」を自分で見つけて、「捨てたもんじゃない」って思えるくらいになれたら、折り返し地点を過ぎた後のこれからの40年。

そんなに捨てたもんじゃないのかもしれないな。


この記事を書き始めた当初、もう少し違うことを書きたかった気がするんだ。
でも、これはこれで別の味が出てていいんじゃないだろうか

そっちだって自分だし、これを見てくれているあなたには、ぼくが当初考えていたことなんて知る由もないもんね。

こんな記事を書いている今のぼくを、誰かがどこかで見て評価してくればそれでぼくは満足だな。

それだけで、今日のぼくは捨てたもんじゃない存在になれたと思うよ。


いつもありがとう。ほんとうに。



じゃあ、またね。

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