見出し画像

仕事は「考える」を楽しむ場所なのかも。

今さらながら「ちいかわ」の存在が気になり出して、人気のヒミツを探ろうと躍起になって見ています。

カワイイのにどこか切ないよねあの子たち。

こんにちは。「でかひょろ」こと、ぴこつです。


普段のぼくはITエンジニアの仕事をしていて、中でも「プログラマー」としてプログラミングをしていることが多い。ただ自称「ポンコツプログラマー」なので、いつも頭を抱えながらプログラミングしていることが多い。

数年前から「プログラマーは将来不要になる」みたいな話をよく聞くんだけど、現場でその任務に携わる身として感じているのは、一向にそんな気配はないということ。

むしろ、なんなら慢性的な人手不足になっていて、まさに猫の手も借りたい状況のところが多いんじゃないかと思っている。ぼくなら、猫の手を借りて肉球をプニプニ触りながら仕事したい。癒しのパワーで2人分働きますので!

そんなしょーもないことはさておき、人が足りていないというのは本当で、経験が浅い中途の人材や新卒の人であっても、エンジニア経験が約20年のぼくが現場で仕事をご一緒することもたくさんある。

今でもデスクの隣に座っているのは入社1年目の人だし、少し前だと斜め向かいには60歳手前の方も座っていた。

というわけで、いかにポンコツエンジニアのぼくであっても経験だけはあるからかはわからないけれど、おかげさまで今のところは仕事に困ることはない状態。

でもフリーランスなので、突然「もういらない」と言われるリスクもあるにはあるんだけど。


ぼくは、エンジニア経験が約20年あるって言ったけど、実はその間に何度もエンジニアをやめようと思ったことがある。
ていうか、実際に2回くらいエンジニアを引退するつもりで仕事をやめている。

やめた後は「投資で稼いでやる!」とか「ブログで成功してやる!」とか意気込んではやり出してみたりしたんだけど、そんな甘いわけないよね。
ぼくは何かを同時にすることがとても苦手なので、前の仕事をやりながら「副業」として努力することもせずに、勢いで辞めてしまうので困りもの。

自分のことなんだけど、でも当時は本当に追い詰められていたんだと思う。

「このままずっと苦手なエンジニアの仕事で生きていくなんて嫌だ」

の一心で、とにかくなんでもいいから他のことで食べていきたかったんだよね。

でもやっぱりぼくには家庭という守るべき物もあるし、ほかに何かをするスキルもない。仕事から逃げるよりも、妻や娘の人生をサポートするために何ができるかを考えた時、今はこの仕事で稼ぐのがぼくの役割だと開き直った。


ただ、開き直って今の仕事に戻ってからは、不思議なことに昔ほどの苦手意識がなくなった気がする。

いや、ポンコツなのは変わらないよ(笑)

ただ「嫌で嫌で堪らない」という昔の心境とはだいぶ違う自分がいる。
要因はいくつかあると思う。

  • ペーパーレス化で「紙のレイアウト」を意識する必要がなくなった

  • 職場近くに引っ越して通勤が楽になった

  • ポンコツを受け入れて「できる自分」を演じるのをやめた

これらはたびたび記事でも書いたことがあるような気がする。

エンジニアの仕事をしていると、周りにはやっぱり理系で頭の回転が早い人が多くて、論理的思考を苦手としているぼくはどう頑張っても劣っているし、そういう人たちの仕事を見て、いつも凹んでしまう。

だけど、「自分はポンコツで、できることしかできない」と割り切っている今は、みんなも理解してくれたかどうかはわからないけれど、わからないことは遠慮なく何回も聞くし、簡単な質問だってする。

はたして40歳にもなって、こんな風にバカな振る舞いをしている人がいるかどうかは知らない。

けれど、所詮ぼくはフリーランス。

どのみち「使えない」と判断されれば切られるだけの話で、まだ契約を切られていないということはそれなりに貢献できているのだろうと勝手に解釈している。

むしろ、会社員時代で大した仕事もできていないのに雇われたままの状態でいる方がいたたまれない感じがして嫌だった。


ふと、劣等感を抱いて仕事に向かっていた頃の自分を思い出して、全く違う心境で朝を迎えている自分がいることに気付いた。

苦手な仕事に向かうのだから「うれしくて堪らない」なんてことはない。ただ、あの嫌で嫌で堪らなかった時代とは比べ物にならないくらいに仕事に向かう足取りは軽い。

ぼくが今のエンジニアの仕事をするようになったきっかけは、プログラミングが面白いと思ったから。
確かに、仕事でするプログラミングは当時のぼくの想像を遥かに超える難易度で、全然ついていけなかったこともある。

それでも、これまでなんとか続けてきた経験のおかげで、今の職場ならばやっていけるくらいの自信がついた。そのわずかに存在する自信のおかげということもあるかもしれない。

その自信があることによって昔よりも心にも余裕があって、プログラミングを学び始め頃の「おもしろい」の感覚が少しだけ戻ったような気がする。

プログラムをどんな風に組んだら、仕様通りの動きになるのか?

そういうことを考えるのが始めた頃は好きだった。
今でも、何かの仕組みを考えたり、理屈を読み解いていく作業は割と好き。

ただやっぱりポンコツなので、頭のいい人ならすぐにでも答えが出そうなところを数時間もかけてしまうことはザラにある。

それでも、好きだからこそ何時間かけても考えることができる。

「考える」という作業を楽しめる自分がいる限りは、今の仕事を続けていく価値はあるのかもしれないと最近は思い始めている。
それも、何度も言うように「クライアントから必要とされている間だけ」という条件付きだけど。

ぼくが、昔にはなかった「エンジニアを自分の仕事として認めている」ということは人生においてプラスであることは間違いない。

考えることが楽しめている間は、生きるための仕事としてやっていこう。


それと「ちいかわ」の研究もね。


じゃあ、またね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?