論理思考はできなくとも、マネごとならできるようになるもんだ。
ぼくは常々、論理思考ができる人のことがうらやましいと思っている。どれだけ自分が「そうなりたい」と思っても、どうやらぼくの頭の構造上、無理な話らしい。
プログラマーのぼくにはかなり致命的なことなんだけど、こればかりは受け入れるほかないと思っている。
無理なものは無理なのだ。これを受け入れるのも40年かかってしまった。
プライドなのか意地なのかなんなのかはわからないけど、とにかく「自分はできるはず」と思いながら生きてきたんだよね。
でも無理だった。今は無理だと受け入れて開き直ったからこそ、今年はぼくが生き延びるための方法を試しながらやってきたけど、論理思考のできる人の仕事には到底叶わない。
ただ、できる人のようにスーパーな論理思考はできないまでも、開き直りつつずっとそれが必要な環境に置かれていたおかげか、少しはマシになってきた気がする。
人間、ある環境下に置かれ続ければそれなりに適応するもんだね。
ポイントは
「考えるよりもまずはやり始めてみること」
どうせぼくの頭ではやる前に考えてみたって見えやしない。頭の良いい人のようにやる前から「こうなるだろう」とエスパーのような思考力はぼくには備わってはいない。
だからアレコレ考えるんじゃなく、とにかくやってみるしかない。逆に、無い頭であれをやったらどうなるか?を先に考え出すと途中で思考がこんがらがって、一人で「どうしよう、どうしよう」とパニックになってしまう。
そうなってしまわないためにも、落ち着いて何もわかっていない状態で、もっとわかりやすく言うと何もわかっていないアホのまま、とりあえず手をつけてみて「どんな感じか」を探る。
するとようやく「あ、こんな感じか」みたいなものが見えてくる。その感覚を頼りに、
大変そうなのか?
意外と簡単なのか?
他の問題があるのか?
どれくらいかかる作業なのか?
などを考えていく。
無知って強いね。メンタル弱々なぼくの経験上、最初にアレコレ考えるよりも、なーんにもわかってない状態で始めたことの方がスムーズにコトが運ぶ。
自分がどれだけがんばってもできないことなら、あきらめることが肝心。あきらめた上で別の方法を考えれば良い。
方法をあきらめたとて、目的を見捨てたわけじゃない。
突然だけど、ふだん「買い物」はしてますか?
服とかのショッピングじゃなくて、スーパーの買い物。食料品とか、日用品もあるかな。
そのスーパーで買うことができる物は、結構いろんなところに散らばってるよね?
そんなところで買い物をするとなると、無意識に結構いろんなことを考えている。
回ってみて全体を把握する
セール品を確認する
効率の良い周り方を考える
売り切れになっている物の代わりを考える
こういった一つ一つの思考が繋がると、ある種の論理思考になっている。初めて行くようなスーパーだと、どういう並びになっているかもわからないから、まずは構造を把握するところから始まる。
これもぼくがさっき言ったように「まずはやり始めてみる」ってことと同じ。まずやってみないことには様子がわからない。
買い物をするのに全体がわかったら、自分が求めている物の効率の良い周り方を考えてみる。
そしていざ買い物を始めると、どこかでエラー(品切れ)が発生したりることもあるかもしれない。
だけどそこで「買い物やめたー」となるわけではなくて、それの代わりになる商品を探す。
それも論理思考においては重要。想定外のことが起きた時にすぐに代替案を考えることができれば、パニックになることもない。
反対に、セール品など掘り出し物に出会うこともあるかもしれない。そういった「チャンス」に気がつくということも大事だよね。
自分の考えたことよりも効率の良い方法とか、良い結果を期待できる場合に柔軟に方向性を変えるのも、時には必要。
そこに関してもぼく自身の課題で、自分で考えたプランよりも良いプランが持ち上がった時にも躊躇してしまうことが多々ある。
無い頭を使って自分で建てたプランは欠陥が多いはずなのに、それに固執してしまう。
きっと不安なんだろうね。想定外のことが起きた時にどうしていいかわからなくなる。だから方針転換して結果が良さそうであっても、なかなか受け入れることができなかったりする。
そこで臨機応変に方向を変えることができれば、もっと気楽に動けるようになったり、スムーズにコトを運べるようになるんだろうな。
買い物に話を戻すと、欲しいものが集まったら後は会計を済ませるだけ。無事に会計を済ませておしまい…じゃなかった。
買った商品を袋に詰めないと。
この商品を袋に詰める時にも考えることがある。重いものはきっと先に入れるよね?
肉とか魚とかを重い物の下に入れてしまうと潰れてしまう。あとは卵や果物なんかも。
それからもしもお惣菜など温かいものを買ったとしたら、それは冷たい物とは離さないといけない。なんなら別に持つ必要があるかもね。
そしてあとはどうやってこの袋に全部詰め込むか。配置を考えて入れていかないといけない。
…ていう風に、買い物をする時も結構思考を巡らせているんだよね。
袋詰めにしたって、とりあえずざっくりとしたプランを元になんとなく入れてってみて、入らなければ入れ替える。
それを繰り返して最適な形に持っていく。
確かに、やる前から完成形を描ける人はスゴい。
ルービックキューブの達人や、囲碁とか将棋のプロ棋士もそういったことが自然とできるはず。
でもポンコツのぼくにはそうはいかない。なんとなしに手をつけて、試行錯誤を繰り返しながらゴールまでなんとか持っていく。
そこで大事なのは、手を止めないこと。立ち止まって少し考える時間はあってもいい。ただし、「どうしよう!」と頭を抱えることはしない。
最近思うのは、この「どうしよう!」の前にある言葉を付けると全然自分の思考が変わる。
それが、「さて」だ。
「さて、どうしよう」
「さて」って付けるだけで、なんか賢そうでしょ?余裕があるように聞こえるじゃない。
これを呟きながら少しイスにもたれ気味になって腕組みをしたら完璧だ。
どこから見ても「天才が考え事をしている」ようにしか見えないね。
ま、それは冗談だけど「さて」って一呼吸置くだけで余裕が出るのは本当。
何かに迷った時、想定外のことが起きた時にはすぐに頭を抱えるんじゃなくて「さて…」を呟いてみて。そのあとは目をつむったり、下を向いたり、あるいは天井を眺めたりすると気分が落ち着くから。
ポンコツのぼくが保証します。ポンコツが保証するって、なんと説得力のないことか。
でも、できない人にはできない人なりのやり方がある。
それが、ぼくが40年かけて編み出した秘訣です。
「そんなこと知ってるよ」っていうあなたにひと言。
…あなたは天才だ!ぼくの先生になってください。
じゃあ、またね。
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