人生はハンドドリップ
愛用の象印ステンレスカップの上には、すでにコーヒー粉が入ったドリップ容器がスタンバイ済み。
朝の散歩を終えて事務作業を始めようと、違いもよくわからないクセに瞬間湯沸かし器の「100」じゃなくて「95」の温度設定ボタンを押した。
違いもよくわからないクセに普段より値段の高いペーパーフィルターを使ってハンドドリップをする。
いつもより落ちるのが遅いな・・・
なるほど、いつも使っていた100円均一のフィルターよりも“おしとやか”というわけか。
いま丁寧に粉からコーヒーを抽出し、下で待ち構えているカップの元へとしずかにコーヒーをお届けしている高級ペーパーくんは、実は望まれて我が家にやってきたわけではない。
昨夜、いつも使っているペーパーフィルターが切れているのに気づき、成城石井に買い物に来たついでに買おうと探してみた。
すると、なんと普段使いの2倍もの値段がついているものしか売っておらず、震える手を伸ばして買い物カゴに入れたのだ。
ちなみに繰り返しになるが「普段使い」は100円均一のもの。
ペーパーの上に載せたコーヒー粉に「の」の字…になっているのかわからないけれど円を描くようにお湯を注いでみる。ちゃんと落ちているのか心配になるくらいにゆっくりとお湯が少なくなっていく。
ほっと胸を撫で下ろしてゆっくりと落ちていくコーヒーを見ながら、ふと「あ、人生ってこういうもんかもな」との思いが浮かんだ。
なんてね。
ごめんなさい。
こんなことを言いながら、実はなんの根拠も理由もない。コーヒーになっていくのをジリジリと待たせるハンドドリップが、自分がただ何も考えずなんとなーく生きてきてしまって感じている人生観と重なる気がして、そんなことを書いてしまった。
なので、書き出してしまった責任を取るためにも、これからその根拠をこれから考えて既成事実にしてみたいと思う。
目的の場所にお湯をそそぐ
当たり前だけど、コーヒーカップに載ったドリッパーにお湯を注がなければ、おいしいコーヒーはいつまで経っても飲めることはない。
人生だって同じだ。
人生の中で、自分が思い描く未来はたくさんある。
ぼくの場合、日常から妄想のかたまりで、いわゆる中二病のような人生を歩んでいるなぁと自分でも思う。
何か物事を始めようとした時、あなたはどんなことを考えて始めるだろう?
これは問題とかではなく、純粋に質問だ。
新しく何かを始めようと思うということは、何かを期待して始めるはず。
それは学習によって知識を得ることかもしれない。
あるいは、ビジネスによってお金を稼ぐことかもしれない。
メルカリに不要な物を出品して売れることかもしれない。
やりたいことは人それぞれだろうし、また期待するものも人それぞれ。
ある人はお金を稼ぐことを目的にメルカリに出品をしているのかもしれないが、ある人はただ「売る」という知識と経験を得たいと思っているだけかもしれない。
ただし、どんな期待も実際にやってみて初めて得られるもの。始める物事に対してあらゆる期待をして、どんな結果が得られるのかまで想像する。
その想像した姿で満足をしてしまって、実際に行動に移すことをやめてしまうこともある。
それではドリッパーにある「期待」という名のコーヒー粉はいつまで経っても乾いたまま。当然、おいしいコーヒーにありつけることは一生ないだろう。
コーヒーをハンドドリップするのは、意外に面倒だと思うこともある。だけど、インスタントではない、あの香りとコクのあるコーヒーが飲めることを期待して、ぼくは淡々とお湯を注ぐのだ。
待っている時間も割とある
ドリッパーに向かってお湯を注いでも、すぐにコーヒーが飲めるわけではない。
今回ぼくが使った「高級ペーパーフィルター」のようにお上品なフィルターの場合は特に、お湯が落ちていくまでの時間はかなりゆっくりだ。
お湯を注いだドリッパーは、落ちているのか心配になるくらいにフィルター上に黒い水溜まりを作り出す。
でもじっと見ていると、確かにスーッと少しずつ水かさが減っていくのがわかる。ゆっくりとお湯が浸透していく様を見てホッと胸を撫で下ろし、また新たなお湯を注ぐ。
人生においても、新しい何かを始めるためにお湯を注いだら、結果がすぐに現れることはあまりない。学習だってビジネスだって、それなりの時間を使って初めて効果が現れてくる。
最初のうちは反応がないかもしれない。自分の時間やお金など、「ポットのお湯」をドリッパーに注いだとしても、コーヒーになっているかどうか、はっきりとはわからないのだ。
でも、本当は着実に効果が出ている。注いだお湯はゆっくりと時間をかけながら、少しずつ少しずつ浸透し、チョボチョボとかすかに音を立てながらコーヒーとなってカップに溜まっている。
ある程度のお湯を注いだら、少しじっくりと観察してみるのもいい。
「よし、ちゃんとコーヒーを作り出しているな」
と思えれば、次のお湯を注ぐモチベーションになる。それに、雑にお湯を注ぎ続けても、うす〜いコーヒーになってしまう恐れもある。
焦らなくていい。仕事をしているペーパーフィルターを信じて、一定のペースを守って淡々とお湯を注ごう。
感謝をしていただく
さて、出来上がったコーヒーは自分の力で生み出したものだろうか?
ペーパーフィルターに向かってお湯を注いだのは間違いなくぼくだ。コーヒーの粉をスプーンすり切り2杯測ってフィルターに投入したのもぼく。
そのがんばりは褒め称えていいと思っている。
でも本当に自分の力だけなのか?
そうじゃないだろう。コーヒーの粉はコーヒー豆からできてる。コーヒー粉にしたのは自分じゃない。コーヒー粉の販売店の店員さんだ。それより前の工程には、コーヒーを焙煎した人がいて、さらに前にはコーヒー豆を輸入した人、それから当然コーヒーそのものを栽培した人がいる。
話が飛躍しすぎて地球の裏側にまで到達してしまったので自分の手元に視線を戻すと、お湯を注いでおいしいコーヒーを生み出してくれたのはそう、ペーパーフィルターである。
ぼくが注いだ何の変哲もない95度のただのお湯を受け止め、事前に待っていたコーヒー粉と融合させて絶妙な速度で通過させる。
そういった丁寧な仕事を、ぼくが気にもしていない間にやってのけてくれているのである。
違いもよくわからないクセに買ってしまったペーパーフィルターは実に優秀で、その仕事ぶりにはいつも感謝している。
君はいつも辛抱強く、常に淡々と正確に同じ仕事をやってのける。本当にありがとう。君のおかげでおいしいコーヒーを飲みながら、この記事を書き終えることができそうだ。
ぼくが人生において実行してきたいくつもの行動にも、必ず誰かが関与している。これからも、もし何かの成果が受け取れた時には、感謝をしていただきます。
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