自分が好きじゃないなら「尊い」でどうかな?
空気が澄んでいるなーと感じる今日。
やっぱり気温が下がって寒くなると、雲が減って「雲ひとつない晴天」とか「星がよく見える夜」が多くなっている気がする。なぜかな?教えて、天気に詳しい人。
自分のことを「好きだ」と言える人ってどのくらいいるんだろう?
ぼくは「好きだ」・・・と思いたい。
けれど、現実はなかなかそうはなれない。いつかどこかの記事でたぶん書いたけれど、ぼくはものすごく自己肯定感の低い人間だ。自分のことを認めて褒めたとしても、長続きはしない。ある日に自分がしたことに対して「よくやった」という気分になったとしても、翌日目を覚ますと自分の不甲斐なさを感じて気分が沈む。
さっき「いつかどこかで」と書いたように、特にぼくは記憶力が壊滅的で、とにかく物覚えも悪く、覚えたことも忘れる能力にはめちゃくちゃ長けている。
この記憶力がない話も、きっといつかどこかの記事に書いた。これはいろんなところに散りばめられている。
お願いだ。ぼくが忘れてしまった文章を、誰か見つけて拾ってきておくれ。
ただ、言い換えればぼくの欠点はここに集中しているような気もしてきた。とにかく全部忘れてしまうので、同じ失敗を何度も繰り返してしまうのだ。
ふつうであれば一度大きな失敗をしたりすると、それを教訓として次からは失敗しないぞ…となるよね?
たしかにぼくも失敗した時は「次は絶対に失敗しないぞ!」と心に誓う。
ところが、
ぼくの場合はその強い決心自体が記憶の彼方へ忘れ去られてしまう。「記憶の彼方」って言うことは、記憶自体はどこか彼方にあるわけで、なくなっていないということか。
お願いだ。ぼくが忘れてしまった失敗を、誰か見つけて拾ってきておくれ。
失敗したと言う事実を忘れてしまうこともあるし、失敗した時の気持ちや考えを忘れてしまうこともある。本当なら、過去に失敗したことのある何かにまた遭遇した時、その時の記憶が蘇って危険を察知したり、あらかじめ何かの予防策を講じたりして、失敗から回避したりするんだろうね。
だけどぼくにはそれができない。大きな失敗を次の場面に生かすことができないという事実は、人生においては無理ゲーを極めていると言っても過言ではない。
そんなぼくが、自分を「好きになる」瞬間は今後、訪れるのかな?
ふと、ぼくの壊滅的な記憶の彼方から奇跡的に一つの言葉が舞い戻ってきてくれた。「尊い」という言葉だ。「尊い(とうとい)」ってなんかいいな。響きがいい。少し切なくて、そのくせちょっと暖かい。
「そのくせ」って書いたけれど、決してディスっているわけじゃない。ぼくなりのひねくれた愛情表現だ。どうか許してほしい。
真面目なことを言うとね、人ってこの世においてはみんなそれぞれ唯一の存在でしょ?誰一人として同じ人間は存在しない。自分は、自分。
親が居ようが、妻が居ようが、子供が居ようが、自分はこの世に一人しかいない。
誰かといっしょに住んでいたとしても、自分自身の存在は一点にしかないわけだ。
それってものすごく「尊い」よね?
少し砕けた言い方をすると、「尊くね?」となるだろうか。
物忘れがひどく、壊滅的な記憶力しか備えていなかったとしても、自分自身はこの世に一人。失敗を繰り返しては落ち込んでいる自分は、それでも唯一の存在。自分自身は一人しかいないのだとしたら、自分だけは自分の味方でいたいな。
幸いにも、今のところぼくは誰かに攻撃されたり、批判されたりといったことはない。別に誰から直接「嫌い」と言われた記憶もない。誰からも嫌われないくらいに存在感が薄いと言うのも問題な気がするけど。
それはさておき、自分に味方がいる or いないに関係なく、自分は尊いと思っていればちょっとは救われる気がする。
「尊い」っていう言葉、ネットでは子供とかペットとか、自分とは別の存在の何かに向けて使うことが多いと思う。それを自分に向けて使ってみるだけで、自分が少し愛おしくなってくる。
ここで、尊いの意味を調べてみた(ここまできて)。
尊いとは、ある事柄について価値が高い、身分が高いことを示す形容詞
(引用元:weblio辞書)
さらに…
ネット用語としての「尊い」は、ある事柄に対して「非常に強い愛着」、または「近寄りがたいたいほどの憧れ」を抱いていることを示す、「最上級の褒め言葉」としての意味を持つ。
(引用元:weblio辞書)
やはり、尊いな。
意味を明記すると途端に自分を過大評価しているように聞こえてしまうが、言葉の使いやすさと本来の意味のギャップがまた尊いではないか。
とはいえ、本当なら自分のことを自分で好きだと胸を張って言えるようになりたい。誰かに豪語する必要はないが、自分自身にむかって「自分のことが好きだ」と言えることは、ぼくが生きていく上での目標だ。
きっと、自分が好きであれば何も怖くない。
自分が好きであるならば、自分がしていること、しようと思っていることすべてが尊いと思えるだろう。
それは自分を認めることになり、そのこと自体が自己肯定感へとつながるのだと思う。
自己肯定感の高い人間に生まれ変わるその日まで、まずはぼく自身を「尊い存在」だと認めあげることからスタートだ。
この地球上で、命あるすべての存在は尊いもののはず。どんな自分であっても、それはきっと変わらない。
この記事、尊いわ〜
じゃあ、またね。
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