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「なんか好き」の威力よ

「自分の好き」を説明せよと言われて、その理由や成り立ちをパッと答えられる人っているかな?

ぼくには、ちょっと無理だな。

人でもいいし、物とかでもいい。景色や芸術、音楽…上げ出したらキリがないけど、とにかく「好き」を言語化することはぼくにとっては難しい。
たぶん自分の中にある好きは正確に誰かに伝えることって不可能だとさえ思っている。

「好きな人」を例に取ってみると、ある人は「やさしい人が好き」と答えるかもしれない。
さっきの問いかけであれば「あなたはなぜあの人が好きなの?」の答えが「やさしいから」になるのかな。

では意地悪な質問で、

「やさしい人なら誰でもいいの?」

と返ってきたとすると、あなたならどう答えるかな?
「やさしい人」でなくても「おもしろい人」でもいいんだけど、とにかく「どんな人が好き」と問われた時に出てくる特徴の人は、本当に正確に相手に伝わっているかな?

たぶん、自分で思い描く「好き」と相手が受け取った「好き」にはきっとギャップがあると思うんだよね。それぐらい「好き」を説明することは難しい。
しかも、うまく伝えられたとしても共感されるとは限らない。
そりゃそうだよね、「好き」の基準は本来自分の中にしかないんだから。

ぼくは好きの理由を聞かれて「なんか好き」って答えちゃうことがよくある。
正直なところ、説明するのがめんどくさいってこともあるとは思うんだけど、それ以上に自分でうまく説明できる自信がないんだよね。


このところぼくの中では「歩道橋」に登るのがアツい。歩道橋を目にすると無性に登りたくなる。そういう時は大抵の場合、リュックからカメラを取り出して撮影する。
だから歩道橋に登る時にはその歩道橋の上から見られる景色を想像する。

歩道橋の上から見られる景色って、あなたは想像がつくかな?

歩道橋って、小学校の登下校ではよく渡っていたと思うんだけど、大人になってからだと歩道橋っていうものを渡る機会が減ったと思わない?
なぜなら、歩道橋の近くには大概、横断歩道があるから。たとえ横断歩道がなかったとしても、車の往来が途切れる瞬間を待ってシャッと渡っちゃうでしょ?

そこを“あえて”時間のかかる歩道橋を渡ろうとする大人は少ない。そもそも、歩道橋がある交差点は車の往来が多いところが多い。つまり、そこを通るときは車に乗っていることが多いということ。

そこをあえてね、渡るわけですよ。歩いて。そりゃそうだ、だって「歩道橋」なんだから歩いて渡るに決まっている。自転車も渡れる歩道橋もあるか。

あ、でも自転車で渡る時はちゃんと降りて引きながら渡ってくださいね。

歩道橋なんだから。たまに自転車に跨ったまんま、「シャー!」って渡られる方がおられるんですけれれども、あれメチャクチャ危ないので絶対にやめてほしいんだよね。

でもいいよ、歩道橋は。まず運動になる。あえて歩道橋を登ることによって運動することができる。あの階段が太腿を鍛えてくれるんです。ぼくはジムとかに行っても絶対に続かない人なので、普段の生活の中で自分の行動に負荷をかけるように意識している。

特に移動手段で体に負荷をかけるのがオススメ。だって移動は変えられないから。どこかに行こうと思って移動しているところを「やっぱ行くのやめた」って、ならないでしょ?
仕事に行く時に移動手段として歩くことを選択してしまったら、あとは歩くしかない。途中の横断歩道を渡らずに歩道橋を登り出したら、登り切って渡るしかない。

そうやって負荷がかかる方を選択していくことによって、自然と運動してしまう状況を作り出すのがぼくの運動の習慣なの。


話が逸れてしまったので、肝心の歩道橋の話に戻るんだけど、歩道橋から見える景色ってすごいんだよ。高いところから見える景色だっていうのはなんとなくわかると思う。それはその通りだし、それだけでも価値があるは思う。

でももう一つ挙げるとするならそれは、

「普段は見るはずもない角度から景色が見える」ということ。

歩道橋がかかっているところって、だいたい車の往来が結構あって、交通量の多いところだっていうことはさっき説明したよね。

だから、歩道橋がかかっているところは、大抵は大きな道路を横断しているんだ。
そんな大きな道路の上からの景色なんて、まず見ることってないでしょ?
それってつまり「未知の領域」なんだよ!あ、興奮した、ごめん。

歩道橋を下から見上げていると、

あの上からの見たことのない景色を見ずして、ぼくはこの場を立ち去れるのか?

という葛藤がいつも襲ってくる。散歩の合間に見つけると、一旦は通り過ぎようとするんだけど、でもやっぱりもしかしたらもう来ないかもしれないとか考えて戻ってしまう。
その場で歩道橋を登っておかないと、帰ってからもずっとあの歩道橋に登らなかったことを思い出して、そわそわしちゃうと思うんだ。

だからぼくは、見つけた歩道橋には登る。そしていつも「登っておいてよかった」と思って満足して反対側の階段を降りるんだ。

歩道橋の上からは、それまでに見たことのない景色が広がっている。下だけじゃない。その角度から見える景色というのは、下界の歩道を歩いているだけでは味わうことができないんだ。
場所によっては高い木の中腹まで登れたり、いつもは素通りしているビルも2〜3階付近から水平に眺めたりすることだってできるかもしれない。

とにかく自分の視点をいつもよりも高いところにおいて、この世界を眺めることができるんだよ。それってすごいと思わない?

未だかつて「歩道橋」をこんなに熱く語った者があなたの周りにいただろうか。こんなヤツが学生時代の友人に含まれていたらきっとウザいだろう。ぼくだってそう思う。ただ、それができてしまうのがnoteの世界。ぼくのnote。誰にも文句は言わせない。


ということで今日は、歩道橋が「なんか好き」の理屈を言語化してみました。
さてこのぼくの好きは、あなたにどれだけ伝わったかな?


じゃあ、またね。


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