かつて子供のころにあったはずの好奇心と、振り返って思い出す希望めいたもの
大人になっていくと、子供の頃は無邪気に「あれがやりたい」「これがやりたい」「あれが欲しい」「これが欲しい」という欲求の穴を一つづつ埋めていっているような気がする。
小学校の時に友達と学校の隅に埋めたタイムカプセルも、埋めたことすら忘れていたし、思い出した今は一年もしない内に我慢できない一部の男子が掘り起こしてしまったことも同時に思い起こされた。
当然、「一部の男子」にはぼくも含まれている。
そして肝心な自分たちが何を埋めたのかすら忘れてしまった。
大体の子供の頃の記憶がそんなもん。
やっている時は高揚し、タイムカプセルも埋めた後の未来に何があるのかワクワクしながら想像を膨らませる。
半年後、大して変わっていないことに早くも落胆し、「そんなことなら」と熟成期間半年の安っぽい宝物を掘り返してしまっていた。
思い出は半年しか経っていなかったけれど、掘り返されただけまだマシだったのかもしれないな。
大人になってからは日々、それこそ大して変わらない毎日を送ることになり、未来に何かよくわからないけど抱いていた希望を持つことも忘れ、ただひたすらに時間の経過を味わっていた。
今なら埋めたタイムカプセルもあっという間に10年くらいは熟成させられたかもしれない。もしも子供の頃にウイスキーを埋めていて、今掘り返したら価値は高かったんだろうか?
仮に売れなかったとしても大人になった今の自分ならきっと美味しくいただけた。
そういう発想が子供の頃にはなかったから、きっとぼくは当時から純粋だっんだろう。
今のぼくが自分のことを純粋だと言うと、職場の人は「純ブラックだ」と返してくる。きっと純粋だからこそ日々悩んだり目的を探していたりすると思うんだけどな。
子供の頃には人生に目的なんて考えなくてよかった。その時々が楽しかったんだろう。大きな夢や目標があったわけじゃない。でも、家の近所で入ったことのない暗がりには冒険心を駆られたし、歩いて30分ほどの距離でも遠出をした気分を味わえた。
ふだんから生きる目的を探しているような自分からは想像もできないほどに好奇心にあふれていて、何をそんなに興奮していたんだろうかと思うほどに活発だったあの頃の自分はなんだったんだろう。
今の自分も何かに夢中になれることが出てくるだろうか?
一緒に生きていく家族があって、その家族を守るためにする仕事も今はある。そんな中であっても自分の未来にもまだ希望があると思ってる。
傷の治りが遅くなっていたり、油っこいものは体が受け付けなくなっているなどの「老い」を感じるようにはなったけど、今よりもっと無気力だった若い時に比べれば人生を豊かにできる望みはある。
興味を持って探求する。
みんなが当たり前のようにしているそのことができるようになることが当面のテーマだね。
じゃあ、またね。
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