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こどもは自分で「決める」ことで勝手に成長してくれる。

3階建ての3階という超高層階に住むぼくのマンションの窓から見える街路樹が、赤や黄色に色づいきた。
去年はもうちょっと早くなかったかな・・・と思っているのが毎年の今頃。たぶんね。なにぶん記憶力がないので「いつ何を思っていたか」などの記憶を引っ張ってこようとしたことがまず間違いだった。

それに加えて、今年は今の場所に引っ越してきてからまだ半年なので、そもそもが初めて迎える「秋」。記憶も何も、頭の隅々まで検索してもそんな情報は乗っかってはいない。記憶力がないというよりは、ポンコツの本領発揮といったところ。

いま、気づいたことがある。

冒頭の言葉のかたまりが自虐であふれている。なんという日記だろうか。自己肯定感のなさはこんなところに随所に現れる。ぼくの日記の価値と言えば「なんのこっちゃ」だけなのを確認したよ。


今日は、引っ越し前にいた付近に行く。高速道路を使ってちょうど1時間くらい。

ぼくの中学一年生の娘は、生まれつき「血管腫」という赤アザがある。手から首元にかけてけっこう広範囲の赤アザだ。幸いにもこの血管腫という赤アザは健康にはなんの問題もない病気らしい。
ただ皮膚が赤い。それだけなんだけど、放っておいても消えるものではないから、娘が生まれた時からお医者さんには早くレーザー治療をした方がいいと言われた。

もう12年も前の話。

当時は地元に治療ができるレーザーのある皮膚科が一択しかなくて、その皮膚科も毎日混み合っていたものだから、通うのも結構大変だった。
赤ん坊の頃から始めたそれは、本人は最初はわけもわからず受けて泣きじゃくるだけだった。そりゃそうだよね。目隠しもされてバチバチと当てられるんだから。

見ている方も体を押さえ込まなきゃいけなくてかわいそうだったけど、大きくなってからの娘に嫌な思いをさせたくないし、合理的な判断としても体が小さい内の方が範囲が狭いので早くやっておきたかった。

ただ、赤ん坊の頃は体調も不安定で熱が出ていたり、予防接種があったりと予約を取るのも難しかったりして受けられない時もある。

そうこうしている間に娘の体は成長し、物心もついて治療を受けている自分にも色々な感情が湧いてくる。娘はとても我慢強く治療を続けていた。

「行くのが嫌だ」と言ったことは治療を受けている期間、一度もなかった。

何年か治療に通ったけれど、娘も小学生になってどんどん体が大きくなると治療のスピードが追いつかなくなってきた。レーザー照射も小さい時ほど効果も薄くなってきている気がする。
それに加えて・・・通っていた皮膚科の先生がかなりのご高齢の女性で。
先生自身が目が見えなくなってきていて、サポートしている看護師さんに大きな声で「ここ?」「ここ??」って何回も聞くようになった。

連れ添って行ってくれていた妻はそれはそれは心配していた。

そりゃそうだよね。レーザー当てるところが見えていないなんて、ゲームじゃないんだから勘弁してよ。よくそんな状態でこんな繁盛(?)している病院の院長なんてできたものだ。

そういえばあの先生、何回通っても娘の名前、ずっと呼び間違えていたな。

治療には、もちろん痛みも伴う。痛みと、目隠しをしている恐怖で娘は毎回ぐったりだった。
娘が小学4年生の時、あまり効果の上がらないレーザー治療と娘がそこに使う時間との比較から、ぼくは彼女に「続けたい?やめたい?」と聞いた。

彼女はしばらく考えたのち、

「やめる」と言った。

ぼくは「わかったよ。よく決めたね。」とだけ言って、彼女の赤アザの治療はストップした。赤アザはまだまだ広範囲に渡って残っていた。


娘が中学生になった。

幸い、中学に上がっても周りの友達は小学校からスライドした子達がほとんどで、娘のアザのことで何か問題が起こることはまったくなかった(と思っている)。

だけど、大きくなった娘はやっぱり自分では気にしていたんだろう。
彼女は自分から、

「やっぱり治療をしたい」

と妻に言ってきた。

ぼくも妻も娘の決断にはもちろん応援してあげたいけれど、もうあの昔の皮膚科では大した効果も期待できない。
違うところはないかと皮膚科を探してみたら、ちょうど近くに新しいクリニックができていて、美容などの専門治療もやっているらしかった。

妻が色々調べてくれて、美容形成外科なんて行ったこともないし、先天性の赤アザの治療ができるかもわからなかったし、ずっと治療をストップしていたので心配だったけれど、とにかく診察してもらおうということで行ってみた。

とてもいい先生だった。

関西のご出身で、いい人すぎて話が弾み過ぎるのがちょっとした悩みの種ではあるけれど、娘のことはとてもよく考えてくれて「時間はかかるけれど頑張ろうか!」と声をかけてくださった。


それからその新しい病院に通うようになったのだが、当然、むかし通っていたところとは治療の機材も違うし、治療の技術も雲泥の差。
とにかくスピード感が違うから、娘の体にも負担はいくぶん少なくなっているみたいだった。
もっとも、スピードがある分、一度に広範囲を治療するためにその負担はかかるんだけれども。

でもやっぱり治療の効果は高くて、娘が自分で「行く」と言ったこともあって、辛抱強く引っ越してからも今日のように月に一度くらいで車で通っている。


と、ここまで思ったよりも文字数を使ってしまった。
ぼくが思うことをひたすらに書き連ねていったら気づいたらこんなボリュームになってしまって、本当に申し訳ない。

まだ読める気力があったら、ここからが本題なのでぜひ読んでってください。


娘がレーザー治療を「やめる」と決めた時、ぼくは「自分で決めな」って言った。
再開する時も自分の意思で「やる」と決めた。

ぼくは、彼女がこれまでの人生で何かを選択した時、否定したことはない。

ぼくが彼女の選択に対していつも言うことは一つ。

「よく、決めたね」

これだけだ。

彼女がレーザー治療をやめたおかげで、効果のない治療に時間を費やすことを回避できた。

彼女が治療を再開した時も、治療をやめていた期間があったからこそ、その期間に建った、効果の高い新しい病院に通い直すことができた。

彼女が習い事を始める時もやめる時も、自分の判断でちゃんと決めさせる。

そうして自分で決めたことに対して彼女が後悔をしたり、弱音を耳にしたことはこれまでまったくない。ぼくと違って頑固で我慢強い子だから、見せないようにしているだけかもしれないけど。

でも、きっと自分で決めたことには自分で責任を持つということを幼い頃からやってきているので、彼女はこれからいくつも訪れる人生の選択を迫られた時には胸を張って「決める」ことができるだろう。

どっちが良いとか悪いとかじゃない。

自分自身で納得するために、他人ではなくて自分で決める習慣をずっと続けて行ってほしいな。


ポンコツの父から伝えたいことは、以上です。


じゃあ、またね。

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