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春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来る。

いくぶんか寒さが和らいだなあと思ったけど、お正月にも同じ期待を抱いて見事に裏切られたから油断はしません。

油断大敵、ぴこつです。

こう毎日のように「寒い寒い」と言っていると、暑い暑い夏のことがまったくのウソか幻想だったような気がしてくる。
これも毎年思うこと。だけど時期が来ればきっとあの暑い夏も訪れる。そらが地球が持つ普遍のサイクルなのだから。

ぼくら人間にも、自分では意識していないだけできっとサイクルがある。ほかの動物と同じように髪の毛だって生え変わるし、なぜか秋になると食欲が増す。

精神面だと去年、冬に入った頃には「冬季うつ病」って言葉もよく見たよね。

個人的には、季節の移り変わりとは別でメンタルにもサイクルがあるような気がしている。
それは去年のぼくのように「引っ越しをして住む環境が変わった」とか、「職場が変わって人間関係が変わった」とかいう目に見えて変化したことがあるわけでもなく、自然と気分が上がる時期があったり下がる時期があったりというサイクルだ。

きっと、あなたにもあるんじゃないかな?

ぼくの場合だと、やっぱり寒い間は少し気分が落ち込み気味な時が多い気がする。「うつ」というほどでもないんだけど、どこか不安になったり、落ち着かないようになったり。

仮に、お天気がぼくの期待を裏切らないでいてくれたなら、これから少しずつ春に向かって暖かくなるにつれて「漠然とした不安」も無くなっていくんだろうなと淡い期待を抱いている。

毎年、この時期になると同じようなことを考えているような気がするんだよね。

春というのは不思議なパワーを持っているのかも。

ぼくはスピリチュアルなことはさっぱりわからないんだけど、いつも春が近づくとどことなく根拠のない自信がみなぎって、なんかちょっと調子に乗ってしまう。

お正月に何か目標を立てる人は多いけど、ぼくは春先にふと「今年はこれを目標にしよう!」なんてことを思いつくこともある。


ぼくの妻で成人マンガ家のnikoさん(@nikonikopun17)は、そんな長いスパンでのサイクルを感じるまでもなく、毎月のように精神のサイクルがある。

その毎月やってくるマンガ家特有のの精神サイクルを業界用語で「〆切」というんだけど、この〆切がなかなか厄介。

nikoさんは電子マンガで連載を描いているから、毎月お約束のようにそれと戦っている。以前ぼくが

「それは〆切が近づくまで本気を出していないから追い込まれるんでしょ?」

と言っていたんだけど、〆切関係なく粛々と毎日描いて土壇場の「追い込み」をかける必要がなさそうな月でも月末が近づくと夜の寝つきが悪くなったりしていたので、そのサイクルが遺伝子レベルでインプットされてしまったのかもしれない。

漫画家という職業の宿命だろうか。

ただ、本当に物理的に追い込まれていたらもっと悲惨な状況に陥るのは間違いないから、ぼくはこれからもniko先生の監視役として定期的に進捗確認をしていきますね、担当編集さん


地球上に居て、太陽や月がなくならない限りはきっと四季は毎年同じように訪れる。それってでも本当はすごいことだよね。

ぼくは学者でもないし、化学とか物理とかにも全く持って疎いので、なぜそうなるかなんて説明もつかない。きっとそういうことは「なるべくしてなっている」ことなんだろうけど、とは言っても絶対に変わることがないという保証はない。

長い地球の歴史を振り返ってみると、氷河期だってあったし、きっと反対にムチャクチャ暑い時期だってあったんじゃないかな。
もしも、自分が生まれるのがその時期と被っていたら生きていくことなんでできなかったはず。生まれてもいないかもしれない。

ぼくが生まれてからは大地震があったり、流行り病の時代も何回もあった。地球とか日本規模で考えたらそういう大変な時期はあったものの、生まれてからのこれまでは「ならしてみると」いたって平和な時代だと思う。

だからこその平均寿命の伸びだし、高齢化社会であったりもするんだよね。

自分が何回もの春夏秋冬を繰り返し経験しているあいだに自分の周りの環境も大きく変わっているだろうし、ぼくのように子どもがいる人なら人間の成長スピードをまざまざと見せつけられる。それはきっと自分が経験してきたよりもハッキリと感じることだろう。ぼく自身がそうだ。

Googleフォトにアップされている昔の写真を、Googleさんは時折通知して見せてくれる。春になると毎年、小さな体の女の子をぼくが抱っこして桜の木の下で写っている写真がピコンとスマホに表示される。

その娘も今や中学生だ。

noteに毎日のように記事を書いているぼくは、ほとんどの記事のアイキャッチに自分で撮った写真を付けているんだけど、それも自然とその季節感のある写真になっている。
「こうじゃなきゃダメだ」というこだわりがあるわけじゃないけれど、やっぱりなんとなく秋には紅葉が映り込んだ写真とか、冬には雪の積もった写真とかを貼りたくなっちゃう。

ぼくのnoteが春夏秋冬の1回目のサイクルに到達するまではまだまだ先があるけれど、もしも去年の秋に始めたnoteを続けることができていたら、最初の頃に書いた「なんのこっちゃ」な記事を見て恥ずかしい気分になったりするんだろうか。

あ、当日記の「なんのこっちゃ」は現在進行形でお届けしておりますのでどうかご安心ください。

意味深につけた長いタイトルもなんのことはない、ただの「春夏秋冬」をテーマにしてひたすらと連想して書き連ねただけの今日の日記。

春が近づいてあったかくなったら、ぼくのメンタルも安定して読んでくれたあなたがほっこりとするようなあったかい記事をかけるようになるかもしれない。

うん、たぶん無理。

またいつか見たような「しょーもない記事」をサイクルに従って書いてしまっているんだろうな。

乞うご期待。


じゃあ、またね。


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