見出し画像

映画『骨を掘る男』、第七藝術劇場、雑誌Big Issue

7月初旬、クソ熱い中、十三まで足を運ぶ。
映画館にいくなぞ数十年前にインデペンデンスデイに行ったキリである。内閣総辞職ビーム良いよね。
ともかく十三にある第七藝術劇場という映画館、通称ナナゲイらしい。周りに無料案内書があったりする怪しい場所にある。なぜか横にボーリング場がある。
この映画館を知ったのもごく最近だが、ドキュメンタリー映画を中心に上映しているらしい。10分に一回の爆破とかカーチェイスなど見れないだろう。そういう主旨なのですよと運営の主張を感じる。

この映画、『骨を掘る男』は沖縄戦の戦没者の遺骨を掘る男を取材したもので、ガマと呼ばれる天然の洞窟に埋もれている骨をただ掘っているという。
先に結論を言うと、退屈ではない。たっぷり2時間見る価値があるし、なんなら涙すら浮かぶほどだ。上映ももう終わりらしいのだが、これから配信やDVD化されるかは知らない。

ざっくり内容を紹介しておこう。
彼は28才からガマを掘り始めたという。現在65才だそうである。沖縄戦の際、沖縄の住民がガマに逃げ込んだ。ガマというのは沖縄の方言なのか分からないが、それは天然の洞窟の謂いらしい。沖縄戦の末期、南部に追い詰められた沖縄の人はそこに逃げ込んだが、米軍の猛攻に敗れそこで死んでいく。そして現在もまだその遺骨は放置されたままであるという。彼はその遺骨を小さなカギ型の道具でコツコツ掘っている。金属探知機で分かるのは、砲弾の破片とかヘルメットの欠片、ちょっとしたベルトなどの金属片だけだ。
「これで骨が分かればいいんだけどね」
とやや苦笑する。
少し政治のハナシが入ってくる。
辺野古基地建設のためにこうした南部の土砂を埋め立てのために使用するという決定がなされる。しかしまだ未発見の遺骨がある。それに対する抵抗運動の模様である。
それは人間の尊厳を奪うのではないかと彼は国に問う。しかし都内の衆議院会館?での陳情も「木で鼻をくくった」対応でしかない。
戦没者慰霊碑にある名前を一人一人呼びかけるというプロジェクトがあった。それを音読する中学生や沖縄市民を映し出す。

大体こんな感じだろうか。
個人的にやや説明不足だと感じたのは沖縄戦の説明がなかったことだ。ドキュメンタリー映画なのだが映されるのは、多少のアーカイブだけ。後は現代のことが大半である。

以下は私の個人的な感想である。やや長くなるだろうから、見たくない方はブラウザバックでお願いしたい。

私が最近見たのはこれである。

少子化対策について「戦争で日本を守るのは子供たち」と本音を言ってしまう聖子
野田聖子氏
「子供は大切な宝……現実として私たち国会議員が『安全保障』『安全保障』と言っても、いざとなった時に、そこで頑張ってくれるのは18歳から、せいぜい30歳ぐらいの子供達なんですよね…」

明治から敗戦まではまだ「皇室の藩屏」という遠回しな言い方をしていた支配者も、今の政治家は少子化になると我が身が危険だというのである。
私が視聴中ずっと思っていたのは、
「彼らは本土防衛の捨て石だった」
ということだ。市ヶ谷で阿南なんちゃらという陸軍大臣は「徹底抗戦、敢闘精神で日本人が絶滅するまで戦う」などと嘯いていたようだが、実際は自分の贅沢な生活、美味しい食事、へいこらする部下、カネで買える美人の愛人を手放したくなかった。和平交渉する鈴木貫太郎なども、私に言わせれば満州や南方の利権を手放すなどの自分に都合悪い事は何も提示せずただモロトフに頭を下げるだけで、何の意味もない行動でお茶を濁しているだけである。

彼らはただ国民に絶滅するまで戦えというだけである。交通、輸送、生産もズタズタになり食料もなく武器もない。「竹槍、鉈、出刃包丁で闘え」という内容の冊子である。

3月末に始まった激しい艦砲射撃は沖縄の地形を変形させた。その量は、沖縄の面積に対し「畳一枚に一発」という膨大な量だったという。6月に入り梅雨(南方を戦い抜いた米兵にとってそれは雨期と思ったそうだ)になり、雨水がたまった様子の写真である。
5月ベルリン入城で世界の趨勢は決したにも関わらず沖縄ではまだ戦闘が続いていたのである。余談だが、独ソ戦が終わったことでスターリンは兵力を極東に移動させ、それが満州侵攻に繋がるのは言うまでもないことだろう。

映画で気づいたことがある。
1つは、ガマに銃弾の跡がまだあること。
2つ目は、氏がハンストする抗議活動の際に右翼の街宣車が「やめろやめろ」という大音量で通り過ぎたこと。
3つ目は、(これは氏も声を上げていたが)ガマに監視の男がいること。一瞬しか映っていなかったがその場に相応しくない格好で、ガタイのいい感じの男がいた。
4つ目は、沖縄語(こういう言い方が正しいか差別的なのか分からない)で話す老人の言葉にはたまに字幕が出るのだが、日本人の事を「ヤマト」と言ってたこと。
5つ目は、右の靴下を脱ぐ、というハナシ。ライフルで自殺する際に人は右の靴下を脱ぐ。なぜかというと、引き金を引くのに邪魔だからである。天皇から「下賜」された銃身の長い三八式歩兵銃はそうするしかない。後頭部が粉々になった頭蓋骨でそう考えたという。
最後は、ふと偶然映し出された海が碧く澄んでいたこと。梶井風に言うなれば
「今、空は悲しいまで晴れてゐた。」
(梶井基次郎「城のある町にて」)

氏は反対運動をしたいわけじゃないという。彼は別にボランティアでやってるわけじゃなさそうだ。じゃぁなぜしてるんですか?と監督が申し訳なさそうに尋ねるが彼は無言である。
ただそこにあるかもしれないというだけの理由で掘っていると、上下の感覚がなくなっていくという。その天然の洞窟だけでなく、南方戦線では日本人はただトンネルを掘っていた。その暗い洞窟の中で身を潜め「可能性としてかなり高い」死を想像しながらそこにいるのである。
もし宇宙空間に一人ぼっちになったとしたら、そういう感覚を覚えるのではないかと私は思う。宇宙にはヒトは住めない。その日の差さない暗い洞窟も人が住むべき場所ではないハズである。映像は他人が見たものしか映さない。彼が何を思っているか余人には計り知れないが、少なくともそこで死を待つ人を見たこともあるのではないだろうか。私は疑似体験している男を疑似体験しているのである。

私はそもそも沖縄に行ったことすらない。行く金も動機も何もない。しかし戦争を知るにつれ沖縄について無意識に知りたいと思うのは不思議だ。彼らは私たちを「ヤマト」と呼ぶ。それは私が韓国人を韓国人と呼ぶのと同じようにだ。琉球藩だったのも知っているし、廃藩置県で沖縄県として組み込まれたのも知ってるが、一体彼らは何者なんだろうか?とつくづく思う。着ている服だって日本人の絣模様と何か違うのだ。

先ほど私は沖縄を時間稼ぎだという軍部の事を書いた。
しかし余り言われない気がするのだけど、軍部は沖縄戦に対し、事前に特攻部隊を台湾に移動させているし、九州から出た戦艦大和の目的は沖縄防衛が目的だったと言われている。大和は到達することさえできなかったが、台湾からの片道だけの燃料を積んだ特攻隊は米艦隊に相当な被害を与えたという。「映像の世紀」でよく出てくる特攻場面の殆どは、沖縄戦のものらしい。
こういう言い方は許されないとは思うのだけど、日本人だって何もしなかったわけじゃないという、まぁ妙な言い方だ。軍部のやることも辻褄があっていない。ハッキリ言うと、最後の全戦力をすべて投入してる感がある。本当に捨て石なのだとするならやらなくてもいいことだってしているのだ。
確かに日本兵が地元民の服をはぎ取り沖縄人のフリをして逃げようとしたとか、映画「ひめゆりの塔」のように、書類を焼き捨て責任逃れをしてたというのも事実である。
しかし本当にこんな大阪住まいの戦争も何も知らない甘っちょろいオッサンが言うのもおかしいのだけど、日本人だって何もしてなかったわけじゃないと思う。許すとか許されないとか戦後のゴタゴタを考えると沖縄が余りにひどい仕打ちを受けていると思うが、実際は沖縄戦の後に続いて死ぬのは私の祖母であり祖父だったのだ。上の人は死なないだろうが、庶民として私が語れるのはこの程度だという事だ。

ショウペンハウエルの「自殺について」で、こんな一節がある。

人生は、シルレルの「霊視者」のように、続編の欠けている小説のようなものだ
ショウペンハウエル 自殺について p23

と紹介し、納得できるものではないと書いている。
錆びたかんざし、幼児の乳歯、折れ曲がったキセル、前腕の吹き飛んだ骨。
母と幼い子、その老人、そして手榴弾で自決した兵士の痕跡。
この一家とも想像できる人の人生はここで終わっている。この掘る男はその死に対し物語という続編を与えたのではないかと私は思う。
続編が与えられないのは、横柄な政治家、妨害するヤクザ、これらを見ないようにする我々のことだろう。名もなき市民だけが物語の続編を与えられる。泥まみれになり音もなく上下の感覚すらなくなるその空間だけに、物語の続編があるのである。

―――
付記
雑誌 Big Issue について

この劇場で雑誌Big Issueが置かれているのも奇縁というものだろう。この雑誌はホームレスが街頭で販売するというちょっと変わった雑誌である。
私もこの販売先と書かれているところに立ち寄った際、探したりするのだが見つけた例がなく入手することもなかったのだが、この劇場で販売していたので買ってみたのである。
この成り立ちから分かるように、これは雑誌というより寄付行為に近い。
世界中で売られているらしいのだがその詳細は分からない。内容自体は、まぁ昨今のLGBTqとか女性の社会進出等々の内容で、まぁ正直に言うが私にはあまり興味の無いものではある。むしろジャコバン新聞のように剣呑な雑誌でも困っちゃうわけだが。しかし独自の取材をしているようだから、各国で内容がバラバラなのだと思われる。
まぁ、右手の為すことを左手に知らしむべからずということではあるのだが、興味はあるが売ってる場所が分からないという向きもあるかと思われるので、敢えて書いたのである。

―――
注釈 沖縄戦について以下のドキュメンタリーを参考
ドキュメント太平洋戦争 第6集(最終回) 一億玉砕への道 ~日ソ終戦工作~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?