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20240803 自分の全てを捧げるつもりで作り上げたものが周りに評価されない結果が出ない、なんてことは世界中どこにでもありふれている訳だが、それはそれとして悔しがる権利は存分にあると思う

こんにちは、蛯原テトラです。
暑い日が続いておりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
屋外で働く蛯原は、毎日四リットルの汗を流しております。
水分って大切!

休日は散歩に行くことを日課にしているのですが、仕事のない日まで暑さに苦しみたくはないので、朝五時ごろに起きてテクテク歩いています。

今朝は散歩がてら、郵便ポストに封筒を投函してきました。
書き上げた小説の紙原稿を運営本部に送るためです。
最近の公募では、専用のプラットフォームに入力したり、投稿サイトにアップロードしてあるものをタグ付けしたりなどと、利用者側からしてみれば手間がかからなくてありがたい方法で原稿を受け付けていることも多いですが、こうしてわざわざ印刷したものを綴じて封筒で送るのも、少し”おつ”な感じがして僕は好きです。

でかめの封筒をポストに投函した後、散歩コースにある神社をお参りして、良い結果が出るように祈願してきました。神頼み、という訳ではないですが、こういうのは心の持ちようなので……。寺でも神社でも、なんなら先祖の墓でもかまわないのですが、こうやってお参りしておくと、結果が出るまでの期間を、あまりやきもきせずに過ごせる気がしています。

こうして毎年、書いた小説を公募に出すようになったのは、つい三年ほど前からのことです。
大学生の時に創作をはじめた僕は、社会に出て働くようになってからもチョコチョコ小説を書いていましたが、それを出版社に送るようなことはしていませんでした。

ジャッジされるのが怖かったからです。

公募には必ず「受賞した人」と「受賞しなかった人」が存在します。
ほとんどの場合、受賞するのは一握りの人で、そのほか多くが落選します。
落選は辛いです。どんなに心血注いで書き上げたものであったとしても、評価を受けることが出来なかった時は、まるで価値がないものと判断されてしまったような気がしてしまいます。
だから僕は書いた小説をあまり人に読ませずにいました。十年弱、そうしていました。今になって思えば、もったいない期間だったと思います。僕は恐れていました。精一杯作り上げたものが否定される気がして怖かったのです。

けれど、小説の公募だけでなく、そんなことは世界にありふれています。
甲子園で優勝するたった一校の生徒以外は全員敗北を経験していますし、複数の社が参加するコンペに採用されるのも一案だけです。この世界では実に多くの人が必死に物をつくりあげています。そしてそのほとんどが日の目をみません。町を歩いて目に飛び込んでくるもの全てがクリエイティブという巨大な氷山の一角。不可視の海には競合に敗れた作品たちが幾千幾万と沈んでいるわけです。

だから、自分の書いた作品の全てが評価されないのも当たり前。
数多くある敗北の内の、たったひとつ。
それは数的な事実ですが、かといって「どうせそんなもんだよな」と開き直るのも、僕は違うと思うのです。

精一杯書き上げたもの、心血を注いだもの。
それが競合に負けてしまったのなら、存分に悔しがってもいい。
もちろん公募が全てではないのですが、負けて当然、という態度では結果もついてこないように思います。
前提としてまず全力を尽くす。だからこそ、選ばれなかった事実が悔しい。
悔しさがあるから、次に進めるとも思います。
選考から下されるジャッジは、けして応募者を否定しているわけではない。
そのことにもっと早く気づけていれば、僕の創作ライフにも少し違いがあったのかもしれません。

けれど、後悔しても仕方がない!
ということで、僕はまた次の公募に向けて原稿を書き進めることとします。
明日の為に、うつべし、うつべし!!(キーボードを)

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