美しい心とは何か
私が勤める会社で1ヶ月に一度開催される「人間塾」という研修がある。
今回のテーマは「美しい心」。
今回の研修に参加して感じたことを綴っていこうと思う。
決して正解はないため、感じ方は人それぞれ違うことが前提の上で読んで頂ければと思う。
日本人古来の民族宗教である「神道」。
神道と他宗教の違いは何か。
まず、多神教か一神教かという点で大きな違いがある。
もう1つの違いは、教えがあるかないかという点。
もっと言ってしまえば、神道には「善悪」という概念がないということ。
善悪という概念がない変わりに、神道には「美」という価値観がある。
昔から物事を判断する上で、美しい心であるかという基準があったというのだ。
では、美しい心で判断するということは何なのだろうか。
私が考える美しい心かという基準は、「無邪気さ」ではないかと思う。
幼少期はただただサッカーが楽しくて、他のことに気が散ることもなく、夢中になってサッカーと向き合っていた。
これがまさに、自分の心に邪気が無い、美しい心で物事を判断するということなのではないかと考えた。
これが年を重ねるに連れて、外部からの影響が加わったり、善悪で物事を考えようとするようになってきてはいないか。
環境だったり、他人に影響された物事の判断で自分自身は本当に満足できているのだろうか。
善悪で物事を判断しようとしたときに、あなたの本心は正直になれているだろうか。
だとしたときに、邪気が無い状態で物事が判断できれば、それがそれぞれの美しい心であり、本心なのではないだろうか。
この先には、集中仕切っている自分自身がいて、頭で考える前に心で感じた行動が取れているのではないかと思う。
私たちが大人になるに連れて薄れてゆく「美しい心」。
改めて自分自身に本気で問いかけてみようと思う。
お前は何がしたいんだ。今を本気で楽しめてるのか。集中仕切ってるか。