「憧れ」と「尊敬」の弊害

年齢上は大人になって早数年。

歳を重ねるって表現はあまり好きじゃないけど、「経験を積んできている」と思えば案外悪くないものだなと最近は感じている。

外出はしつつも、自宅時間は相変わらずなので、YouTube鑑賞が捗る捗る笑

最近はくまみきさんから派生して佐々木あさひさんにハマり中。洗練されてて現実的に見て目指したい対象だなと思いながら見てる。弟さんとの掛け合いも結構好き。

あさひさんが「カッコいい姉貴」だとすれば、くまみきさんは「愛おしくて側にいて欲しいお姉さん」というイメージを持っている。チャンネルのジャンルは一応ビューティー系として同じで、同じコンテンツを扱っていることもたまにあるけれど、演出する人が違うだけで浮き出る面白さが変わる。

私個人のチャンネルの方はまだまだコンテンツ数が出せておらず。そもそも、カバー曲の弾き語りって、収益化されないやつが多いみたいで、音楽系は自分のオリジナル曲出さないとYouTubeで出す意味が薄い可能性が出てきた。実はマイクも購入してあるので録音環境も整いつつあるんだけど、中長期的にどんなコンテンツを出そうかを少し考えた方が良さそうだ。

たとえば、声を活かした何かをやれたら面白いだろうなあとは思ってる。朗読、ナレーションは他者から褒めてもらったことがあるので、そういう方面で自分だけのコンテンツを出せないかな、とか。

もちろん今習ってるウクレレのアウトプットの場として、収益にならなくても動画は上げるつもり。

裏話としては、結局原曲と聴き比べるとミスってる部分もあるような状態のものを公開している。でも自分のなかではある程度納得してるから、今のレベルはこれくらいなのね、という割り切りをしている。自分しかその場で聴いてる人はいないのに、なんでレコーディングってあんなに緊張するんだろうという不思議。




生きてるだけで価値がある、なんてよく表現されるけれど。そうなんだけど、(心のどこかでは、)自分の存在価値を認めてもらいたいってのが本音なんだとして。

常識に則って生きていけば上手く行くと、就職するまでは思ってた。

けれども最近は、今常識だと思ってるその「事実」や「価値観」は本当に合っているのか?周囲の雰囲気読んで察して行動してないよな自分??


・・・というのを、一歩引いて考えることが増えた。

最初は、変な考え方をする人に惹かれてるなあと思ったんだけど、どうやらそうではなくて、常識を疑って生きている、そんな姿勢に惹かれているような気がする。

何でもかんでも疑えばいいのではなくて、どうでもいいことには下手なエネルギーは使わなくていいだろうし、むしろ、自分の芯に関わる内容や意見を求められるような場で、枠に囚われない発想や行動を起こせるようになることが、今の自分にとっての理想の姿だ。


人は、目標とか目指すべき方向を実在する人に探し続けるんだろうなと思う。「憧れ」にしてしまうと、イデアとしての存在はあるけど、実在しているのかが分からなくなってしまうから、あくまで今の自分からイメージができる人、直結はしないけど踏むべき段階が見えるような人を見つけたくなってしまうんじゃないだろうか。



だから最近はあんまり「尊敬」や「憧れ」の対象をその人自身に置くのではなく、行動や思考の一部分をちゃんと可視化させて、「こういうことをできるようになりたい」と置くようにしている。行動に落とせるように考えを整理するのは、ある意味無形商材で営業しているからこそ鍛えられている部分なのかもしれない。

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