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傷だらけの戦士

気づけば、ボロボロだ。
何回切られたか、何回毒に侵されたか、何回傷が癒えるのを待ったか。


体の傷は目に見えるくせに、私の大好きなRPGゲームのキャラクターたちは何回瀕死になっても倒れても、傷なんて増えてないじゃんか。

回復したら平然と立ち上がってまた戦う。



私たちの体内では同じことが起きてるように感じる。


みんな自分の正義のために武器を持ってて、相手を切って、切られて、相手は狙ったつもりもないのに矢が刺さって、トゲとか毒とか抜けなくて、気づけば体内の一部になってて、もはや本当はボロボロなのに誰も見えないから自分すら見えないから「私は大丈夫」と笑う。



古傷ってのは厄介で、治ったかと思うのに急に痛んだりする。
ふさがったかと思って触れてみたら、なんだよ。また傷開いちゃったじゃんってことがある。


こんな傷、見る方も痛々しいでしょ?
そう思って、乱雑に絆創膏を貼っておく。
放っておけば、そのうち治るよって。


そうやって、絆創膏を隠している姿を見ると、辛かったろうな、痛かったろうな、と思う。

でも、ここで私が「ケガしたの?」なんて声をかけたら、嬉しいだろうか、痛みを思い出して辛いだろうか、危険な賭けだ。

みんな傷を持ってて、そこを無意識にえぐってしまうこともある。

トゲは取らなきゃ、取らなきゃ、と思っていたときもあるが、案外体の一部になるくらい溶け込んでしまった方が楽なときもあるかもしれない。

わざわざえぐらなくていいし、まるで戦士みたいに無傷に見せなくてもいい。



絆創膏を隠して笑うくせに、私の絆創膏はちゃんと見てるあなたの優しさが私の傷を癒してくれる。

そんな姿に憧れるし、いつまでも痛い痛いとわめく子どもではいけないし、見せたくないと思って私も隠す。


……隠すくせに、心のどこかで見つけてほしい気持ちがあって、一瞬絆創膏を隠すのをやめる。

なのにそんな時に限って気づかれない。私案外隠すの上手いんだな。
誇らしいような、情けないような気持ちを持ち帰って、もう少し貼っておくかと絆創膏を見つめる。



RPGの戦士みたいに平然と過ごすのは、強いんだか、弱いんだか、優しいのか、優しくないのか、よくわからないね。

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ぴい
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