ぴい

主に日記。着飾らない自分を大切にしたい。着飾らない相手を大切にしたい。noteの画像は…

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主に日記。着飾らない自分を大切にしたい。着飾らない相手を大切にしたい。noteの画像は撮った写真か自作の絵です。

マガジン

  • たぶん、日記。

    雑記、日記。自分語りもここ。自由なところ。

  • 辛いと幸せの境界線

    キラキラ系なんて無縁な闇の経験。辛いことは絶対に幸せになる。それを体現したいから私は語る。

  • くだらない話

    無益な話。笑ってもらえたらラッキーな話です。

  • 音のまほう

    音の持っているパワー、語感、響きについて。いわゆる音霊。50音がメインだけど周波数的な話も。

  • 好きを語る

    好きな人好きなものへの好きをひたすら書くところ。

最近の記事

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30年の中で唯一後悔してること

中学3年のときかな。 親はより偏差値の高い高校に入ってほしいことがわかっていた。 けど自分の能力では偏差値60の雰囲気が好きでないA高校か、偏差値50の雰囲気が好きなB高校かの選択肢しかなかった。 公立高校はこれと決めたら変更できないけど、1度だけ変更できるチャンスがある。 私は、最後の最後でB高校に変更した。 そのときに思ったのが「何選んでも後悔してたから、結局後悔するときはする。Aに行っても後悔するかもしれない。でも今の私にはBを選ぶことしかできなかったから仕方ないよ

    • 婚活の果てに

      夫がわたしのnoteを読んでいる。 わたしは元々、SNS→リアルの繋がりは良くてもリアル→SNSはあまり好きではない。 恥ずかしいからだ。 夫とはSNSの話をしていて「これ検索すれば見つかるのでは?」というレベルの情報もくれたので案の定見つけて、先にブロックした。 しかしたまに名もなきアカウントで私だけ夫を覗いている。ズルい笑 そんなわたしはエッセイが好きなこともあり夫との会話の中で「エッセイ書けば?」となり「noteいいよ」となった。 登録した夫の反撃である。私のアカ

      • ついったーでいえなかったこと。

        2022年、どんな年だった? と、聞かれたならば私はこう答える。 「辛かったけど、良い年だった」 と。 どうして辛かったか。何が辛かったか。 これをTwitterで言う勇気がなかった。 恥ずかしいといえば恥ずかしいのもある。 でもそれ以上に、変に勘違いされたくない。 デリケートなものだからと、気を遣われるのが嫌だ。 わかったようなこと言われるのも嫌だ。 といった所だろうか。 あえて言う必要もないのだが、なぜ言いたくなったのだろう。 うーん、わからない。 「いらないプ

        • 小魚の骨が喉に刺さっていたような5年間

          4年前、私は私を励ますためにTwitterを始めた。 ただただ毎日が辛かった。仕事もお金も恋人もいなくなり、希望も何もなかった。 毎日3ツイート。朝昼晩。私は自分のために言葉を紡いだ。 読んで元気になるツイートや素敵だなと思う人をフォローした。 私を励ますひとつとして「素敵だな」と思う人に声をかけた。 その人たちと仲良くなりたいなんて思いつきもしない、ただ声をかけたかった。でも知らない人に声をかけるのはパワーが要るので、多くて1日5人。5人話しかけたいなとなぜか思うように

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        30年の中で唯一後悔してること

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        記事

          「育ちの良さ」なんて褒めてるんだか貶してるんだか

          お店で1人でも、静かに「いただきます」というのは育ちの良さを感じさせる。 なんて聞いたことがある。 初めてそれを聞いた時、1人じゃなくても言わないこともある私は『育ちの良さ』から縁遠いと言われている気がした。 だって、習慣づいてないもん。 「いただきます」は目の前にある食事への感謝だとも聞く。 作ってくれた人、育てた農家の人、そもそもの動物や自然に、感謝を。 どれだけ心が綺麗だったら、本気でそんな風に思えるのだろうと思った。 でも私にとって、そんな人は嘘くさい。

          「育ちの良さ」なんて褒めてるんだか貶してるんだか

          アリになるのは、暇が暴力に感じるからかもしれない

          今の職場Aは、暇だ。 「仕事」と言える、役割を持つ時間が短い。 1日8時間いるとして、そのうち半分くらいは暇なんじゃなかろうか。 最初はこの「暇」が苦手だったわたしだが、開き直って読書や他の仕事をする時間にしたら、もう暇に慣れてしまった。 そのくらい暇な職場なので、ほとんどの職員はのんびりしている。眠くなるくらい。実際、うたた寝する人がいるのは日常茶飯事だ。 その暇な時間に、何か仕事を探して書類の整理をしたり掃除をしたり、誰かが動かなければならない数少ない場面で忘れず必

          アリになるのは、暇が暴力に感じるからかもしれない

          宗教の家に生まれること②

          私は親から愛情をたっぷり与えられて育った。 そう自信を持って言える。 ちゃんと愛された。 4人も兄弟がいて、3番目の私は割と放任されてたし、弟の方が手がかかるし、初めての子どもほどアレコレと気にかけてはもらえない。 それでも、親は私を愛してくれていた。今だって愛してくれている。 それはわかってるし、伝わっている。 それだけ大切にしてくれたから、私はお母さんのようなお母さんになりたいと思っていた。幸せな家庭を築くんだと、幼い頃から根拠のない自信があった。 一見幸せで、一

          宗教の家に生まれること②

          ステージが変わる時は閉鎖的になるんじゃないかって話。

          「ステージ」が変わる、上がる。 そういう時は今までの交友関係が変わって、合っていた人と合わなくなる。 「変わっちゃったね」なんて言われたりする。 そんな話を聞いたことはないだろうか。 わたしは、自称ステージが上がった民の「自分は上に行ってしまったから合わなくなった」「変わっちゃったなんて言葉気にしなくていい」というセリフをたまに見ては、「すげー上から目線」と思っていた。 いやさ、友達だったんじゃないの? 合わなくなったのはいいんだけど、今まで仲良くしてた人を下に見る発

          ステージが変わる時は閉鎖的になるんじゃないかって話。

          「引き寄せ」なんて言うの、ズルい。

          「人は鏡」 「類は友を呼ぶ」 「引き寄せの法則」 そんな言葉が現代には蔓延していて、私もわりとその考え方を採用している。 だが、起きる物事すべてが自分のせいとか、自分が引き起こしてるとか、自分の思考の反映とか、そんなことは思わない。 出会う人すべてが、類を呼んでるわけでもないし、引き寄せているとも思わない。 もしすべてがそうだったら、苦労する人はずっと苦労しかしないし、悲しい気持ちの人には悲しいことしか起こらないし、楽しく過ごしてたら楽しいことしか起こらないはずでしょ

          「引き寄せ」なんて言うの、ズルい。

          だって考えちゃうんでしょ?

          延々、同じことを考えてしまう。 こんなの考えなければいい。 考えたってグルグルするだけ。 どうせ答えにはたどり着かない。 考えてる時間が無駄。 いつまでも同じことを考えて、バカみたい。 そんな言葉が頭をよぎる。 それでもわたしは、考えずにはいられないタチなのだ。 わたしが考えている時、堂々巡りをしていることは自覚している。 それでも聞いて聞いてタイプの自分は、人に聞いてもらうという傍迷惑な発散方法を取りがちである。 何度も同じ話を聞かせるのは申し訳ないので、何度も別の

          だって考えちゃうんでしょ?

          わたしという時間

          お久しぶりです。2022も下半期ですね。 最近のわたしは文章よりも話をしたいのですが、コロナの後遺症なのかいかんせん喉の調子がよくありません。そして連続でnoteに綴っている言葉に触れて、なんとなく書きたくなりました。 2022年が半分過ぎて、わたしも1つ年を重ねました。 33歳。ゾロ目。なんかいい歳になる気がする。 そう思った矢先に、コロナに感染してしまいました。 規則正しい生活、基本3食自炊、毎日30分以上自転車を漕ぎ、朝はなるべくストレッチ。タバコもしないし、お酒は

          わたしという時間

          それが人間じゃないの?

          今日、「自分ダメだなぁ」と一瞬思った。 一瞬だけ。一瞬で、それ以上思うのをやめた。 今度、職場でカウンセラーの勉強会がある。 自分のカウンセリングを録音して、みんなであーだこーだ言う会だ。 今日その録音をした。 特別悪くはないが、良くもない。 録音していると意識をしてしまう。 「上手くいかなかったカウンセリングの方が勉強になる」 と、同僚が言っていた。 前回録音したものの方が、出来が悪い。 じゃあ前回の方がいいのでは… と、思ったその次、 「この人達にあーだこーだ

          それが人間じゃないの?

          本音と本心

          本音と本心の違い。 今朝からずっと考え始めたテーマ。 きっかけは些細なことだ。 別の人に対してこう思ったから。 調べると、本心とは嘘偽りのない本当の心。本音とは本心を話すことらしい。 なので辞書的な意味でいえば、言語化されているか否かのみの違いなのだろう。 ただ、私の中ではそんな違いではない。 無意識に「本音」と「本心」を分けたのは理由があるはず。 そう思って考えていた本日。 これからその思考を書いていく。 まず、本音を言ってくれない人とは仲良くなれない。好きにな

          本音と本心

          人の話を聞かない奴になりたい

          私は、年配の人が苦手である。 こんな書きはじめにしたら、めちゃくちゃ酷い人間にしか見えないなぁとドキドキしつつ、みんなに良い人と思われたいなんて気持ちもないので、正直に書いてみる。 私は、真ん中っ子ということもあるのか、年上でも年下でもある程度話せる。なんなら上の人は好きだからか、歳の離れた先輩友達も多い方だと思う。 だが、年配。つまりお年寄りは昔から苦手だ。 何度か耳を悪くしている私は、元々耳が弱いのだろうか。 お年寄りの言っている言葉が聞き取れないのである。 「言

          人の話を聞かない奴になりたい

          人間パズル

          未完成のパズル。 それが目の前にある時、あなたは完成したピースたちに目を向けるだろうか。それとも、欠けたピースに目を向けるだろうか。 わたしは、欠けたピースに目が向きやすい。 これは、欠点を見つけるとか自分の技術不足に目が行く、ネガティブ要素が強い。 そもそもわたしは幼い頃、ネガティブだったと思う。 クラスの友達が内緒話をしていれば自分のこと悪く言っているんじゃないかと恐怖を感じた。 自分のことも好きではないし、長所なんてよくわからなかった。 いつからポジティブに

          人間パズル

          まっしろな穴

          わたしはたぶん、SNSにハマりやすい。 高校のときはSNSでプロフィールを書いたりブログを書いたりして、見知らぬ人とやり取りしていた。 そこで知り合った北海道の女の子と文通もしていた。1年くらいだったろうか。プリクラを交換したり、恋バナをしたり、その子から手紙が届くといつも心が満たされた。 それなのに、わたしが日常にいっぱいいっぱいになり、しばらく返事できなくなった。いつしか返すタイミングもわからなくなって、自ら音信不通にしてしまった。 大学時代は、mixiにブログを書

          まっしろな穴