ep.13 初めて海を泳ぐ | サントリーニ島の冒険
バスの中、隣に座ったご夫婦はおしゃべり好きで、運賃を集めるお兄さんにお金よりもジョークを出しているかのようだった。その内ドライバーにも目をつけて「ハンサムじゃない」と彼をも巻き込み始めた。確かにフロントミラーに映るその顔は、キリッとしていて何かの広告に出ていそうである。そんなことを全く気にも留めないドライバーの彼は、とてもエキゾチックなラテンっぽいノリの音楽を大音量でかけている。そう、先日から気づいていたが、サントリーニのローカルバスドライバー達は音楽をガンガンかけて運転する。曲のチョイスに異国感があふれていて、まるで図書館のような静かなバスに乗って育った私でもあまり気にならない。流れる音楽は茂みをかきわけて進むジープのような冒険感があり、今日はちょっと足をのばして、人生初めて海で泳いでみたいという不安の混じった目標を抱えた自分自身を盛り上げてくれる感じがあった。旅先で聞いた音楽は、後で聞き返すとその時の感覚や風景を思い出せたりしてよいものである。
目的地に着き、バスのお兄さんが「レッドビーチ!」と大きな声で知らせてくれる。このバスに音声案内やディスプレイ、押しボタンなどない。ドライバーが運転とDJを。もう一人のスタッフが、運賃回収、乗客の行き先確認(整理券がないためと思われる)、次のストップ先を乗客に知らせるという仕事分担で、全てが人によってまかなわれている。昔にタイムスリップしたかのようなバスなのだ。
レッドビーチのバス停に降りると、そこは先ほどのPrehistroic Museum前であった。ここは前日泊まった宿で働いていたハラさんのおすすめの場所で、Akrotiri(アクロティリ)遺跡を見られるようだった。営業時間を確認しようと受付のお姉さんに話しかけると、とてもフレンドリーで可愛い笑顔の方で、15時にはメインゲートが閉まり、見学には約1時間かかると教えてくれた。ハラさんとは一度しか会っていないものの、彼女がおすすめしてくれた場所は行っておいた方が良い気がするという旅の直感のようなものが働き、まずは閉まってしまう前にミュージーアムを見ることにした。チケットは12ユーロ。入り口で、荷物を預ける場所はあるか尋ねると「この辺に置いていい」という。荷物がとられるという心配は皆無のようで、残りの世界もこんな風だったらいいのにと思わずにいられない。
ここは紀元前16世紀頃の噴火によって失われたTheran societyの街の遺跡ということのようだ。当時のよくできた水道や排水の仕組みが説明されていたり、また、考古学的には階段の大きさなどからどの建物が公用だったかどうかわかることなどが説明されていた。失われたといえど、この美しさはなんだろう。枯れた花が美しいように、本質的な美しさを持つものは、時間の経過が取り去れないものがある。家によっては壁に絵が施され、地下に貯蔵庫があったり、屋上にバルコニーがあったりと、現代の家と大まかなところで変わらないように感じた。3500年以上前にも人々が同じように生活していたことをこれだけ現実に感じられることはなかった。私だったらこの道を通って、この広場に出たいなと、実際に歩くイメージをしたくて目を閉じると、この街の人々が懸命に生きていた頃のざわめきや話し声が聞こえてくるようであった。
束の間のタイムトラベル気分を満喫してミュージーアムを出ると、確かにちょうど1時間経過していた。先ほどの受付の前を通ると、お姉さんが手を振ってくれた。大きな声で帰りのバスは何時まであるか尋ねてみると「恐らく21時!」と返ってきた。ミュージーアムは素晴らしかったと伝えると、また可愛い笑顔で「よかった!」と答えてくれた。
さて、本日のメイン。レッドビーチへと続く道は、太陽が真上からのぞきこみ、日陰になる場所がなかった。見知らぬ地、人のいない道を一人歩いていると冒険感が高まり、このドキドキが心地よく、楽しく感じられる今は、何が起きても大丈夫だと思えてなんだか急に勇ましくなったように感じた。途中、ケバブの店を見つける。一度通りすぎるも、今朝はJimmy’sでケバブを買えなかったのでまだちょっと食べたい気持ちが残っていた。店に入ると、おかあちゃんと呼びたくなるような包容力のある雰囲気の女性が迎えてくれた。ポークの串を一本頼むと、「それだけか?パンはいらないのか?」と聞かれたので、串だけでいいですと答える。お母ちゃんが串を焼いてくれるのを待って、支払いの受け取った紙袋には「おまけだ」と言ってお母ちゃんがピタブレッドを入れてくれていた。見知らぬ私への親切に丁寧にお礼すると、お母ちゃんは笑顔で見送ってくれた。
レッドビーチまでは石がゴロゴロとしたちょっとした坂道を登って降りる、名前のとおり目の前の道は赤い。ビーチにつくと、ちょうどいいくらいの人数の人々が横になったり、海に入って静かに楽しんでいる。私も腰を下ろして、まずは様子をみる。荒波でフェリーが立て続けにキャンセルとなった昨日までと比べると、波はずっと静かで、海にいるほとんどの人は足のつく位置で遊んでいるようである。
海で泳いだことのない、そしてプールでもしばらく泳いでいなかった、ペーパースイマーである私の脳内では、泳ぐかどうかまだ迷っている設定だったが、心の中でもう泳ぐと決めていることもわかっていた。今日を逃したら、もう一生海で泳ぐチャレンジをできない気がしたのだ。周りの誰かに泳いでも大丈夫そうか尋ねたくて見渡すと、隣にいた小さな子が私のことをじっとみている。空き缶に砂を入れて遊んでいたその子は、その空き缶を振ってシャカシャカ音を出し始めた。大げさに「え?何の音?!どこからだろう?」という反応をすると、その子が喜んでイタズラっぽく笑う。海の方に視線を戻すと、その子がまた空き缶を振りはじめる。ハッと振り返ると、空き缶を振っていたその手を止めるのだが、顔は満面の笑みである。その可愛さに完全にやられてしまい、その遊びをしばらく続けたものの、その内思い切って隣にいたお父さんの方に話しかけ、「一度も海で泳いだことがないのだが、大丈夫だろうか?」と尋ねてみる。そのお父さんにしてみれば、知らんがなという質問だが、お父さんはウーンとちょっと考えたのちに「海は穏やかだし透明で、多分大丈夫だよ!」と言ってくれた。その言葉に、ついに私の脳も「Go on then.」と了承を出してくれたのを、しかと聞き取った私は立ち上がり海へと足を進める。
さすがに秋に入ったサントリーニの海水は冷たいが、泳げばこの冷たさもわりと大丈夫になるいうことを事前のプール練習でわかっていた私は、思い切って全身浸かる。顔を水につけてみると、そこにはエメラルドの世界が広がっていた。そのまま少し泳いでみると小さな魚の群れが下にも横にも見える。こんな世界を見るのは初めてだった。心配していたクラゲも、ここにはいなさそうである。一瞬、足首の辺りがチクっとして驚いたが、恐らく小さな魚がこのジャイアントの足を噛んだのだろう。そのうち、さっきの子がお父さんと海に入ってきた。その子が私に「スキューバーダイビングできるか?」と聞きたいとのことだったので、「酸素吸うのはできないけれど、こうやって潜れるよ」と説明して潜って見せると、また可愛い笑顔を浮かべる。聞いてみれば、彼らはドイツから来たのだという。
少しずつ波が強くなってきたのを感じ、人々はビーチに上がり始めていた。時々、他のビーチとの間をめぐっているらしい小型の船が到着しては「誰か乗りたい人はいるか」とスタッフが大声で聞く。この古きスタイルが私は好きだ。普通ならあの船は何なのだろうと思って終わるようなところを、ここでは大きな声でみんなに教えてくれる。ローカルバスもそうだ。一人一台スマホ時代で旅は便利になったが、長い間覚えているのって、やっぱり現地で出会った人たちのこと。この島には、まだまだそんなダイレクトなコミュニケーションで物事を動かす仕組みが残っている。私も最後と決めて海に潜り、ちょっと勇気を出して足のつかないところまで泳いだあと、再びビーチに戻る。今回の旅で掲げていた一つの目標、海で泳ぐことができて、水から上がる瞬間はとても清々しい気持ちだった。
ドイツから来た家族は帰り支度を始めていて「Have a good holiday.」と声をかけてくれた。私が勇気を出してこの海に入れたのは、この家族がたまたま近くにいてくれたからだと思い、感謝の気持ちで彼らの後ろ姿を見送る。安心したらお腹が空き、今朝Jimmy’sで買ったグリークサラダを開ける。大きなフェタチーズがドーンとのっていて、トマトやオリーブ、きゅうりなど野菜がゴロゴロと入っている。エーゲ海に髪と肌が浸かり、オリーブオイルのかかったグリークサラダを喉に通すと、何だかこの土地の人間になれたような気がした。高かった太陽が、低く西に近づいている。バスの時刻表を確認すると、終バスまでは残り4本ほど。再び何か間違える可能性も考えると、もう戻る時間だと気がつき、さっと荷物をまとめて、初めての経験を与えてくれたこの眩しいビーチを後にする。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
月曜日のなんだかだるい一日を終えた私です。今日は元気をつけるためにカレーライスにしたいと思います。ロンドンで初めて福神漬けも買ったので、楽しみです!よく考えるとすごい名前ですね。
「サントリーニ島の冒険」は、100ページを超える手書きの旅誌をもとに、こちらnoteでゆっくり更新することにしました。
バスで乗り過ごしてしまい、出発地に戻ってしまった、一つ前の記事はこちらです。
また、これまでの記事はこちらに綴っています。お時間があればぜひ訪れていただけますと嬉しいです。