わたしの中に父とのやりとりや「思い出」と名付けるにはささやかすぎるほどの小さな記憶の粒があるように、父には父の、わたしとの語らいや思い出があったに違いなくて、それはわたしが持つものとは重ならないものもだいぶんあるのだろうな。

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