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クリスマス前には 2024

また年末の寒い季節がやってくる。しかしクリスマスのおかげで街はライトアップされたり小売店は華やかになったりする。昔から年末は大晦日まで忙しかった。だからクリスマスだけではなかったが、年末の最高潮が大晦日だとしても、その直前の大きな盛り上がりといえる。最近日本では若い男女が愛を交わす日のように言われ、それを批判されたりもしている。しかしクリスマスのライトアップや商売の盛り上がりと同様で、クリスマスというトリガーで愛が動き始める、元々あった愛が実を結ぶ、いつもと同じように交わすのならとてもいいことだろう。残念ながら私にはそういったことは過去も現在も無縁で、無難に暮らしてるしいたが、そのような独自の文化のようなものが芽生えるのはいいことじゃないだろうか。そしてそこには必ずクリスマスソングが流れていると思う。それはただ私の願望のように聞こえるかもしれないが、絶対に流れているに違いない。確信がある。クリスマスってそういうものだろう、と思ってしまうのだ。

Adeste Fideles - Bing Crosby

私がビングさんのクリスマスソングを基本としているのはアメリカにおけるクリスマスソングのスタンダードで、私が子供の頃から父親によってクリスマスには聞かされていたからたった。私の父は私と同世代の友人の父親よりも、思うに年齢が上で、それは多分結婚も子供ができたのも遅かったのだろう。それは、それまで自分の美しい世界を生きてきた変わり者ともいえる存在だったと思う。いや、それは他人から見たらの話であり、本人は真面目に自分の美意識を追求していたのだろう。
それが海外への、光り輝く国、アメリカなどへの憧れというか思いにもつながっていたのではないかと思っている。戦争にも負け、それを経験してきて、土地は軍と軍需の町だった。だから不思議でもあるし、私には彼の美意識をある程度しか図り知ることはできない。だが彼がビングさんのクリスマアルバムを毎年、くり返し聞いていた理由は分かる。それは私が大人になり聞いたフランク永井さんのライブ音源でのMCにこんな言葉があったからだ。
それは「ちょっと古い話をいたしましょう。」で始まり、「戦後すぐにアメリカ軍のFENを聞いていてビングクロスビーショーというのがあり、随喜の涙を流していた。」そして「ポピュラーソングの歴史の流れにおいて、ビングクロスビーという歌手ほど偉大な歌手はなかった。」と続く。「例えば、フランクシナトラ、ペリーコモンにしても、ディーンマーティンにしても、ビングにあこがれ、ビングに傾倒し、そしてビングの模倣から始まったと言ってもいいかと思います。かくいう私も、開けても暮れてもビング、ビング、ビングクロスビーを通じてポピュラーソングの魅力にとりつかれました。」と、締めるのだ。
その言葉を聞き、裏にある情熱を感じた時に、私が子供のころからビングさんのクリスマスアルバムを聞いていた意味というか、理由が少しだけ分かり、初めてその入り口に立ったような気がした。

今年のビングさんのクリスマスソングはクリスマスキャロルの中でもより賛美歌のような曲のAdeste Fidelesだ。この讃美歌は、教会でも頻繁に合唱団によって唱われているものをビングさんの世界により素晴らしいポピュラーミュージックとして歌い上げている。ビングさんが歌うとその世界になってしまうというような典型ではないだろうか。オーケストレーションのアレンジが暖かさを呼んでいて、その音は豊かな気持ちにさせてくれる。コーラスは合唱団になっているが、そこに讃美歌としての厳粛な雰囲気を残しているのがとてもいい。そこにビングさんの歌唱が入ればやはりポピュラーミュージックの佇まいになり、気品のある豊かな声は暖かさを増し、深みを感じさせ、その向こうにやすらぎのようなものを感じさせる。さらに言えばこのポピュラーミュージックはビングさんのボーカルが際立っており、ボーカルミュージックとして秀でている。この曲は素晴らしく、とても暖かさを感じさせる楽器やコーラスであり、その中心にいるのはビングクロスビーさんの美しいボーカルで、それが暖炉の前の暖かいクリスマスを思い起こさせる。元は讃美歌ではあるものの、暖かいアメリカのクリスマスを象徴しているような、そんな曲だ。


I wish it could be Christmas everyday - 鈴木さえ子

鈴木さえ子さんといえばやっぱりシネマ、と言いたいところだが私にとっては彼女のソロや、特に忌野清志郎、坂本龍一両氏のい・け・な・いルージュマジックのテレビでのドラムや、高橋幸宏さんのバックバンドとしても見たことが記憶に残っている。そしてDear Heartからリリースされていたアルバムは特に好きでよく聞いた。Dear Heartレーベル自体の大貫妙子さんやEPOさんを聞いていたのもあるし、坂本龍一さんのラジオなどで取り上げられてアルバムを聞くようになったのだと思う。そしてアルバムには私のこころの師匠、サエキ師匠ことサエキけんぞう(佐伯健三)さんの作詞した曲もあり、そういう方面からも重なる。高橋幸宏さんの当時のライブなどを思うと、矢口博康さんと共に鈴木さえ子さんは大きな位置を占め、リアルフィッシュなどにも話が及びそうにもなる。そうなると戸田誠司さんやパソコンの話などにも発展しそうで際限がない。そういう時期を過ごしてた中の曲で、実際はクリスマスでもクリスマスじゃなくても大好きだった。アルバムそのものが好きだったし、それはその完成度が素晴らしいからだと思う。

この曲は一枚目のアルバムのタイトルソングで鈴木慶一さんと二人でのプロデュースだった。鈴木慶一さんは曲や詞にも大きくかかわっていて、ふたりで作ったアルバムという感じだ。私にとってこの曲の印象深いのはメロディなどのポップな感情がありながらこのスピード感、ミニマルな感じだ。特に気に入っているのはベースで、アナログシンセの太い音を使い、わざとブザーのようなエンベロープを使っている。それが心地よくリズムに乗り自在に動き飛び跳ねるように感じるのだ。もちろんドラムやピアノも心地よく、あちこちに顔をだすシンセサイザーの音もキラキラしているようだ。歌詞は幻想的な世界で満ちていて歌を聞くとわくわくしてしまう。夢の中の世界が現実になればクリスマスのような感じもする。そういう歌詞もこの曲の好きな大きな理由だ。また、この曲は後のアルバムのスタジオロマンチストにI wish it could be Christmas everyday in the U.K.として収録されているが、その歌は曲のアレンジも大きく異なり、歌詞も違っている。それも何度も聞いていた曲だが、その歌詞は幻想的な世界と現実的な世界の話が入り混じり、時代の変遷とまでは言わないにしても、そういう表現も好きだ。どっちにしろ曲がいいのでどちらを聞いても素晴らしい。クリスマスにはぜひ聞いて夢の中と夢の外を行き来したい。そんな曲だ。

I wish it could be Christmas everyday in the U.K.


Santa Baby - Madonna

この曲はポップスの女王ともいえるマドンナさんのSanta Babyのことを書いている。だが、これにはオリジナルバージョンがあり、それはリリース時の1950年代のとてもいい時代のアメリカのクリスマスの象徴のような歌だ。例えばニューヨークなどの大都市に住む女性の贅沢な雰囲気を漂わせ、それをユーモラスに歌詞にしているような。だがそれはユーモアというだけではなく、当時のライフスタイルそのものを表しているとも思ってしまう。よき時代のアメリカということが頭に浮かぶ。
曲はジャズをベースにポップス的な雰囲気も感じる。ベースなどのリズムはスイングジャズのようで、メロディーはポップな印象ということで、親しみやすい感じがするのだ。特にサビの部分は、というかサビの部分でなくても憶えやすく歌いやすいメロディーだと思える。歌っているEartha Kittさんは歌を簡単に歌っているのではなく、彼女の歌唱はセクシーでありかわいらしくもある。女性らしいこの曲の歌詞に似合ったものだと思う。彼女の歌唱にはこころがあり、そしてそのままに聞くもののこころに響いてくる。とはいえ今回はオリジナルソングではなく、マドンナさんのバージョンだ。

私は持論であるインプリンティングの法則から、最初に聞いたものが自分のオリジナルソングとして印象に深く刻まれると思っている。だからこのSanta Babyもマドンナさんのバージョンが一番しっくりくる。当時どこかの深夜のテレビ番組で、AMIGAのCGのバックにこの曲が流れていたように記憶していて、そしてそれは立花ハジメさんのグラフィックだったと思うのだが今は定かではない。この曲の歌詞の主体である女性をデフォルメしたようなマドンナさんの歌唱はとてもよく、ぴったりとハマっている。原曲のジャズっぽさは薄れていて、八十年代当時のポップスという感じだ。しかしそこは彼女の世界が如実に感じられ、彼女のSanta Babyを確立していて、それが新たなSanta Babyとして、ひとつのスタンダードになっているような気がしている。
それはまあインプリンティングの問題から私が大げさに思うだけかもしれないが、それだけ時代にも彼女にもあった曲になっていると思うのだ。しかしEartha Kittさんはこのカバーを快くは思っていなかったということも聞いた。オリジナルの雰囲気を壊すように思っていたのかもしれない。しかしそれは時代も違うし、マドンナさんという個性の強い人の、まぶしいほどの輝きから仕方ないこととも思える。それほど彼女のSanta Babyは魅力的で素晴らしい曲だ。それは多分多くの人が知っていて、それはオリジナルバージョンよりも多いかもしれない。残念ながら素晴らしいオリジナルバージョンも今からするとはるか昔になってしまった。だが、それを聞くことができるしあわせというものも感じ、私にはマドンナさんのバージョンがあったから到達できたしあわせだと思う。

Santa Baby - Eartha Kitt


今年はどういうクリスマスだろう、そうするともう年末だ。あと少し、今年を振り返ったりしながら過ごすのもいい。だが、なにも変わらない私には何もないのだろうか。それでもクリスマスともなると私の回りび世界は華やかに変わり、それによって気持ちも変わる。それは毎年のことだとしても、それもいい。いつもと同じようにだらだらと駄文を書くのも私にとっては少しは意味がある。クリスマスまではあちこちでクリスマスソングは流れるだろう。それを聞きながら考えて歩こう。そしてまた来年だ。もともと何もなければ多くを望むこともないのだろう。世界の移り変わりを見ているだけでもいいことだから。

クリスマス前には 2023




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