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サングラスという機能 - 最近何をしたか 7/24-8/3

サングラスという機能

夏、暑い、眩しい。晴れている夏の日に外出する時はサングラスをしている。実はサングラスをするのには抵抗があった。ただのファッションアイテムのように思っていたのでサングラスをすることでカッコつけているような気がしていた。もちろん機能性のことも分かっていたし、分かっていたがゆえに夜にサングラスをしている人間を揶揄したりもした。眼鏡が身近な私にとってそういう微妙なアイテムであったのは確かだ。しかしサングラスを使ってみる日がやってくる。それはふとしたことで手に入れたメガネ店の金券が理由だった。

そこそこ老舗のメガネチェーン店の金券をもらったので何を買おうかと思っていた。初夏だったのでサングラスを思いついたのだが、もう夏に入るところだったので店舗に行って見てみたが、めぼしい品物が残っていなかった。そしてその年はあきらめて次の年の春に買うことにした。それが一昨年のことだ。そして去年の春が終わるころ、同じ店に買いに行き自分が掛けたいサングラスを探した。直ぐにあるかと思ったが消去法で一つ二つくらいだった。以前他のお店で断られたことがあるので市販のサングラスに度付きのレンズを入れられるのか不思議だったが、前の年に確かめたところ対応できるという。そこでサングラスとして売られているもので掛けたいフレームを探した。その時は結局女性向けのマリークワントのサングラスが一番よかった。女性向けモデルということで嫌な人は嫌なんだろうが、私は自分が欲しい、掛けたいものだから男性向けブランドだろうが、女性向けブランドだろうが構わない。それが多少フェミニンなものでも一向に。

それを購入し、日を空けて受け取りに行き、調節してもらい、そのまま掛けて帰るかと聞かれたのでそうすることにした。注文してから少し時間を空けたのでその日はもう夏といっていい日だった。行きも帰りも車、掛けてみると店舗の中では少し暗いかなという感じだったが、外に出て車に乗る前に見回してみると素晴らしい。この光景はいい。サングラスが機能的にこんなに優れたものとは思わなかった。まぶしさや余計な光を遮ってくれてちょうどよい。今まで敬遠していたのがバカみたいだ。機能性のことを分かっていると思っていたのもお笑いである。車に乗り運転しても快適だ。その後ずっと使ってみて立体駐車場に入ったりするときは暗いなと思うこともあるが、気をつけて運転すればどうということもない。この素晴らしさを伝えたい。本当にそれを思っている。こんなに便利なものがあったとは。今はその一つしか所有していないが、いくつかサングラスを増やしたいとも思う。しかし私の場合、度が必要なので色々と考える。最近はサングラスが脱着式の眼鏡も売っている。そういうのもいいかなとも思うが、やっぱりサングラスはデザインを優先したくなってしまう。だがそのこだわりがあってもなくても有用なものだといえる。サングラスという機能、それはとても便利な道具だ。


伝えたい

音を生み出せないので難しい。しかしどうにか整合性はつけているつもりだ。実際はそんなものはいらないのかもしれない。誰かと溶けあいたいように、溶けあえると思えるように、歌詞も曲も歪でも溶けあえるような気がしている。勝手なことを言ってるね。でもただ自分にとって大事なこと、そのどうしてもをね…


お腹いっぱい

相も変わらず旅の途中、躓いてばかりだけど楽しい旅路、有線イヤフォンの高級機を使う友人と話したがどれだけの差があるのだろうか、考えてみた。どうせ私の耳には分かるまい。しかし音に価格以上の満足感があるとするならどんな世界か。だがTWSの場合Bluetoothというだけでレベルは下がってしまうしね。それに私はこの新しいスタンダードでお腹いっぱいだ。大満足してる。でも旅は続くだろうな。


肥大な無

抑圧やまやかし。自分を保つためにどうしていたのだろうか。でも自分には自分自身を偽れないので結局すべては白日の下となってしまう。そうするとそれらが刃となり自分自身を切りつけてくるような。そしてその滴る血は、冷たい。誰もが暖かく迎えてくれたとしても、いつかは別れる現実。それらを抑圧し続けて、まやかしに頼り続けて自分という汚泥が肥大化してしまう。そんな肥大な無なんて。どういうことだろう。




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