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握りしめても

近く遠く

母親が死んだ。人が死ぬのは考え方によれば業でもあり仕方ないことだと思うし、私は肉親という近親者であってもいつも死のことはよく分からない。だが、昨日までと何か違うとは感じる。私の目の前で旅立った父親の時とは違い、今回の母親の場合は一人暮らしで実際にいつ逝ったのかは明確ではない。その事柄にも表れているように、実際はこっち側の問題で、逝ったから世界が変わるなど絶対的な世界の仕組みなどでもないのも分かっている。もちろんそれを誰でも知っているとも分かる。だが、それでも死亡という事柄を知ったその時点で、こちら側としてははやはり何かが変わってしまう。現実の物理的ことがらとは違うという意味では滑稽なことだとも思うが、心の移りようで何かが変わると感じてしまうのは仕方のないことだろう。

私は母親と何年か会っていなったが、毎日でもないけれど電話はある程度の頻度で、いつもと言ってもいいくらい話をしていた。それに母親の生活から見れば、年末年始と孫などと旅行に行ったりもして楽しんでいたようだし、他界したのも正月が終わり孫らと別れた二日後くらいの事のようで、洗濯物も干してあったらしく、普段の生活に戻ってゆく時だったのだろう。それはずっと本人が望んでいて何度も言っていたピンピンコロリで逝けたのだろうと思えば少し気分も晴れる。もちろん最期をどう苦しんだとか、そういうことは分からない。人がいれば救急車などで助かっていたのかもしれない。しかし、それも含めて寿命だと思っている。現実には誰もいなかった、それだけだ。それを悔やむ気持ちはない。

会っていなかったということは、私の中では大きいことではなかった。最期の葬式や出棺なども含め、死後も会っていない。そのことに私はなにも感じない。母親からすれば親不孝なのかもしれないが、週に何度も話していたし、本人も含め誰もがこういった事態になるとは思わなかった。ただそれだけだ。最近は多少認知症の入り口に入っていたが、それでも自分で生きてゆきたい、そうやって自分自身が人間として暮らし、自分自身の始末をつけて過ごしてゆく、それが当たり前の当然の望みだった。だからそれを完遂できたのだからとてもいいと思っている。本人は私の顔を見たいとも思っていたのかもしれないが、それは分からない。話だけでも表情は伝わると思っていた。会話の表情は人間は記憶に生きている部分もあると思え、その記憶は不確かなものだが、それでも輝く光だろう。それは誰にとっても。

衰え

今回思ったのは、コロナの問題は相当大きかったことだ。コロナ過という嵐の中で、行動制限やマスクなどの規範が母親の生気を奪っていったと思う。毎日でも買い物や運動がてらあちこち歩いて出かけていた人間が、コロナ過の行動制限という予防政策で、予防どころか見えぬリスクを顕在化させてしまったのではないかと思う。それは漠然とした話だが、私にはそう思える。彼女は薬局に長年勤めていて、ワクチンはまだ治験が終了していないものを体に摂取するのは気持ちが悪いと打たなかったようだが、マスクや行動制限は風が悪いという人の目を気にしていた母親らしく守っていた。コロナ過など無関係とマスクを一切しない私にも何度か電話で話していた。やはり人様と違うことをしていると風が悪いということだが、それは私の性質そのものでもあるので多くは言わなかった。

それらもあり肉体の筋力が少しずつ衰え、だんだんと認知的な問題も出てきた。外に出ないと人に会わない、家に一人でいると会話などの言語機能を使わない、話すということは思考や記憶の問題でもあり、その欠損は大きなことだ。そしてただ歩くというだけの運動でも、しないと血流や脳そのものへの刺激、思考能力、集中力や注意力、そしてリラックスなど、あるはずのものが何も起こらない。どこが不要不急だったのだ、と今でも思っている。無意味に出歩く必要はなくとも、人間が人間の生活を行うのに何の問題があったのだろうか。そういったコロナ過というものが私には人災に思えてしまう。後にワクチンを接種したことのない母親もコロナに罹患したが、大きな問題はなく回復した。一切マスクをしなかった私は幸運にも一度も罹患していない。何かがおかしいと思ってしまう。

享受した問題

もうひとつ大きく思うことは医療へのアプローチだ。これは過去何度か触れることもあったが、いつかはちゃんと書きたいとも思うし、それらの問題は既出だろうから人には触れて考えてほしい。そういう私の思考は母親から来ているのだろう。母親は若いころからずっと、高齢者になっても病院へはあまり行かなかった。ウイルス性の風邪になったり、転げたりして外傷を負ったり、目が悪くなれば病院へは行った。歯科医もそうだ。だが、普段から大した病気で意味もなく病院に行くことはなかった。それは病院は病気の人が行く場所で、そこにはいろいろな病人がいる、だから感染症の人もいるし、病院で病気をもらう可能性もあると考えていたのだろう。私には病院に行けということもあったが、それは深刻な病気だからで、いくら病院に行けと私に言ったところで、自分と同じように大した病気ではない場合、行かないと分かっていたからだろう。

後期高齢者になり医療負担が一割になると、大したことでなくとも病院に行くという人がいる。病院に行くのが習慣になっている人も。そして病院側も患者というお客さんを呼んでいる状況もあると思う。それはコロナの時に周知された病院の多さを知れば分かることだ。現に75歳という年齢を境に病院の受診者数は急に伸びる。年で見た場合、74歳11ヶ月と75歳1ヶ月では健康状態に大きな差異はないはずで、年齢による段階的な変化というよりも制度変更時点での急激な増加と考えるしかない。そこには上に書いた一割負担になり通いやすくなるのと同時に、医療機関側の積極的な勧誘もあるのだろう。母親がそれを選択しなかったのは至極普通のことだし、それで死期が早まったとも思わない。それが自分らしく生きてゆけたのではないかと思える程だ。

握りしめても

今回のような死について昔から考えていたことがある。人間の大部分は一人で産まれ一人で死んてゆくのだろう。産まれた時は少なくとも産んだ母親の存在が近くにあるが、死の時に一人だとすれば本当に一人だ。だからこそ、そばにいて手を握っていたいし、あげたいのかもしれない。もちろんこれも残ったものの思いかもしれないが、自分の死を考えれば自分なりの答えは出るのかもしれないとも思う。私の答えは、意識があれば言いようのない淋しさに襲われるのだろうか。だがやっぱり一人で死んてゆくのだろうとも思っている。父親の時も私がすぐそばにいてどうだったのだろう。母親は誰もいなくてどうだったのだろう。最期の最後は意識もなく、自分の中の世界で旅立っていてほしい。自分自身もそうなりたい。意識があるとつらいかもしれない、でも、人は弱いものだし強いものだから。



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