CR-X 自由で不自由な特別
バラード
この前、選曲について多少の駄文を書いたときに思ったことがある、思ったというよりも鮮明に思い出したということか。それはSALON MUSICについて当時のことを思い出しながら書いていて、当時の鮮烈だった第一印象を思い出したことだ。そういう鮮烈さがあったからか事柄としてよく憶えていて、それはホンダのバラードスポーツCR-XのテレビCMのことだ。そこにSALON MUSICの楽曲が使われていて、一番最初に曲が印象として入ってきたということを書いた。そしてその音楽はもちろんのこと、チープではあるがコラージュされた写真と、素材紙を切り貼りした画像をコマ撮りのような映像、そのポップなセンス、そこに出ているバラードスポーツのスタイリングと赤と白のツートンのカラーリング、そのスポーティーというよりもポップ感、それはヨーロッパの恋人たちを意識しているのだろうと感じ、キャッチコピーは接頭語として二人のという言葉がずっと付いていた。
初めに見たのはSALON MUSICの最初に発売されたシングルで、デュエットに夢中(You Know What (Wrapped Up In Duet))という曲だった。そのニューウェイブっぽいサウンドに耳を持ってゆかれ、目はテレビ画面に向かった。そこには上記のようなポップな世界が広がっていて、そこにも引き込まれたのだ。そして次のバージョンのCMに使われた楽曲がSpending Silent Nightという曲で、実際には歌のない部分に間のよい感じでC-R-Xという声が入れられている。今聞きなおしてみれば、それはSALON MUSICの吉田仁さんの声だと思える。その当時はナレーションというか、曲の合間に入れられているただの商品名だと思っていたが、アーティスト自らが言ってたのだ。もちろん厳密には真偽は分からないが、先のデュエットに夢中にも歌詞の一部をCRXという言葉にしている。しかしそれを歌っているのが竹中仁見さんかどうかは分からない。そういうことを思い出し、考察し、その後のことを思い出した。
自動車の所有
そんなただテレビを見ていた時代から時間が経ち、大学生になり、芸術がどうだとかそんなことを言ってる学部に行った。多少の貴重な体験はできたが、ほとんど大学には行かず結局はやめてしまう。そしてその後生活してゆく中で最初に自動車を所有することになるが、選んだのはクリフカットが目を引く東洋工業の初代キャロルだった。軽自動車が360cc時代のものだ。もちろんその時点でも結構なヒストリックカー状態で安くなかったが、若くて何も考えてないということもあったのか結局買った。一方ではとても魅力のある車だったが、現実的な問題は普通に使用する上で走行性能は原付きよりも非力で、なのにエンジンはアルミ合金の360ccの四気筒という不思議なものだった。大学のころからずっとバイクをメインに使用していたので気にならなかったが、そのバイクより排気量が少ないにも関わらず、同じ気筒数で四発なのに回らない。昔のエンジンなので仕方ないことだが、バイクがなければ買わなかったかもしれない。でも満足はしていて結構な期間所有していた。
その後は同居人の兄のお下がりのマーチターボを譲ってもらい、初めて現代の車というものに触れた。引き続きバイクも所有していたし、どちらかというと相変わらずそっちがメインだったが、車の運転も案外楽しいものだと知った。車自体楽しくいいものだとは思っていたが、バイクに比べると運転の魅力は落ちると思っていた。そういえばターボタイマーをして弁当屋に行ったところ、盗まれかけて道路を横切るように放置されていたこともあった。そのマーチターボも結構な期間乗ったが、最後はいろいろとガタがきて新しい車を買うことになった。そこで買ったのがサイバースポーツCR-Xだった。これらは全部中古車だし、その頃は新車を買う気持ちはなかった。そしてキャロルのことも、マーチターボのこともいつかあらためて書きたいと思うくらいの思い入れはある。
サイバースポーツ
CR-Xはそう書いたがもちろん中古車で、その時点でSiRも出ていたし選べるといえば選べたが、やっぱりバイクがあるので安い1.5Xを買った。バイクも車も車検があるし、エンジンがよく回るホンダ車のVTECとはいえバイクのエンジンに比べれば回らないだろうし、やはりバイクが思考の中では上位というイメージもあった。そしてバイクはホンダを選んだことはなかったので、そういう微妙な感情も影響したのかもしれない。人間とは難しいものだ。だがやはり価格のこともあり、車に求めるものはエンジンではなかったのだろうと思う。それまで車種的に当たり前な気もするが、すべてMT車だった。MT車は坂道発進などが嫌われるが、そこれは別に慣れていた。半クラッチを多様すれば渋滞もなんだか楽しくなる。CR-Xはマーチターボと同様楽しかった。AT車に乗ったのは随分後の記憶だが、いつどの車種だったか憶えていない老化。ATは楽だというが、そんなに優位性は感じなかった。ブレーキの効きなどちょっと違和感を感じたのは憶えている。
そうやって型式は違うが子供の頃にCMで見て好きだったCR-Xに乗るという不思議なつながりを感じた。型式の違いというのは、サイバースポーツという時点で初代のバラードスポーツとは一線を画すソリッドなスポーツモデルのイメージがあったので、二人のという接頭語が付くバラードスポーツとは幾分か毛色が違っていた。それでもスポーツというコンセプトは同じだろう。よくリアが見えにくいのではないかと言われたが、それはバラードスポーツとは違い、少し見えるようになっていたので気になったことはない。老化の今なら苦労するのかもしれない程度。それに、よくホンダ車は剛性がよくないなどと聞いたりもしたが、そういうガタつきのようなものは少し感じないでもなかった。だが当時の車は軒並み1tを大きく下回っていたので果たしてそれが事実だったのかは分からないし、そういう言葉に引きずられた感覚かもしれない。
CMの頃のポップさは感じなかったが、軽快さやスタイリングはとても気に入っていて、そのソリッドさがとても気に入っていた。当時も今も黒の車を選ぼうとは思わない私でも、CR-Xを選ぶのなら黒を選ぶと思うし、所有していたものももちろん黒だった。分かりにくい表現かもしれないが、闇夜に目が開くような感じだ。サイバースポーツのCR-Xには、いや、同型のシビックにも黒が似合っていたと思っている。実際にはシビックには白やシルバーが多かった。スタイリングに関しても現在でもサイバースポーツのCR-Xは色あせていないと感じる。同型のシビックにはそれを感じはないのも、黒の引き締め効果のようなものがあるのかなと思っている。それほどの車だった。最後は同居人の姉が運転していて事故を起こし廃車になってしまったが、その突然の別れもなぜか受け入れられたような、だがやっぱりずっとなにかが足りないという感覚も残っている。
当時そのときの車という感覚ではマーチターボの方がホットモデルだったし、楽しかったのかもしれない。しかしサイバースポーツのCR-Xも同様に楽しく素晴らしかった。それは車のエンジンや運転だけではなく、エクステリアなどの総合的なまとまりが当時の私に、いや、今の私にも相性がいいのだと思う。完成度というと大げさだが、私にとってはすべてにおいて満足といってもいいもので、それは小さな不満はあったとしても、それでもすべてを気に入っているような車だった。例えばもう私の肉体のようになったような、リコーダーが私と一体化したような時の感覚と似ている。リコーダーの場合は車に置き換えると操縦ということになるが、そこではなく美的な存在感のような、感覚のようなものの延長に居座って同化しているのだ。
自由で不自由な特別
いつも同じようなことを書くようだが、車はやっぱりただの物ではない。人間を大幅に自由にするものだ。そして美意識の具現でもあり、感情のそれでもある。空は飛べないが羽が付いたのと同じこと。どこまでだって行ける。夏には人間が死んでしまうほどの灼熱、冬には静寂が永遠に続くような寒さ、そういった不自由なものでもある。だが、その無機質なものを嘘のように有機的な存在に変えてしまうほどの魅力があるものがある。それは他のものでもあり得るだろうが、車はもっと特別なものだとも思わずにはいられない。