見出し画像

「元旦の午後」は間違った日本語なのか?(承前の5)

前回は、「中國哲學書電子化計劃」サイトに公開されている漢籍から「元旦」用例をひろってみた。ただしOCRの精度にやや不安があるっぽいし、ここにあらゆる資料が載っているわけでもないだろうから、今度は「漢籍電子文獻資料庫」サイトの漢籍にもあたってみることにした。

こちらは中央研究院・歷史語言研究所が公開しておられるもので、無料で使えるけれども影印閲覧など機能に制限がある「免費使用」版と、すべてのサーヴィスが享受できる有料の「授權使用」版とがある。

ただし、どちらか択んでログインしないと中のデータはみられないので、前回までのようにサイト内コンテンツにリンクを張って、そこから直に内容をご覧いただくことができない

一応、無料版で検索して引っ掛かったデータは全部、ブラウザの機能で手許に保存してはあるけれども、それをこちらで勝手に公開しちゃうわけにもいかないし、スクショとかのキャプチャ画像ならば目でみて理解しやすいけれども、書いてある文言が択べないから資料としては使いづらいし、第一そういうやり方だと著作権の絡みでおこられちゃう可能性がある。

そこで、テクストデータのカタチで引用するのが一番マシだろう、という判断で、今回は記事を書いていくことにする。

文字起こしの画面には、間違っているところをユーザが報告する機能がついているからやはりOCRデータには違いなく、しかし有料版ではないので影印と見較べてのチェックはほぼできない。が、専門の研究機関が公開しておられるものだし、実際データをみてみると校勘や補注がこまごま加えられている資料も少なからずあるから、全般にそれなりの信頼性があるとみてよいのではないかとおもう。

中國哲學書電子化計劃」の方で利用したデータの底本は、ほぼ清朝期のものばかりだったが、こちらのはそれよりも古いものが多いようで、その点でもよりオリジナルに近い、と考えられる。

今回は図版が何もなくて図版研としてはツラいので、全く関係のない西湖風景の剪紙でも貼っておこう。

(追記:公開の翌朝、そーいえば歴史地図を貼っておいた方がわかりやすいな、と遅まきながら気づいて、早速『カラー世界史百科』(1978年 平凡社)の図版を追加。書影は☟「どうして重量単位「グラム」に「瓦」字を宛てたのか?(承前)」に掲載してある)

現存漢籍では最も古い(?)魏晉南北朝(〜六世紀後期)「元旦」用例

漢籍電子文獻資料庫」での検索結果リストは、無料版だからなのかどうかわからないけれども、オリジナルの成立年とか底本の刊年とかの順に並べ替える機能がない。とはいえ、おおまかな時代別に絞り込むチェックボックスはあるので、それを使っておおむね古い資料から順を追ってみていくことにしたい。

平凡社+成瀬治『平凡社カラー世界史百科』(1978年初版第1刷 平凡社)

「先秦」「秦漢」は該当なし。「魏晉南北朝」では顯慶四年(659年)成立とされる『北史』に、2ヶ所該当があるという。

【單本書命中章節、段落與頁次】 共 1頁,至 第 1 頁
……
第1/2筆: 北史 / 列傳 凡八十八卷 / 卷八十九 列傳第七十七 藝術上 / 蕭吉 ..[底本:元大德本]
段7133 ...,卯德在申,來年乙卯,是行年與歲合德,而在元旦之朝,此慶三也。陰陽書云:『年命與歲月合... 2954頁
第2/2筆: 北史 / 列傳 凡八十八卷 / 卷九十四 列傳第八十二 四夷上 / 新羅 ..[底本:元大德本]
段7520 ...「正」字,「主」字作「至」。按隋書是說正月元旦相賀,拜日月神;至八月十五日,又設樂競射... 3123頁

ひとつ目は「元旦之朝」だから「」とみてよいだろう。早稲田大学図書館ご所蔵の順治十三年(1656年)刊汲古閣版

では☟卷二十二の二十五丁表、「列傳」中「藝術上」の「蕭吉」のところ。

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri08/ri08_01735/ri08_01735_0212/ri08_01735_0212_p0026.jpg


ふたつ目は、該当箇所を開いてみたら「新羅」について書かれたところの、後代の校補の部分だった。

新羅者,其先本辰韓種也。地在高麗東南,居漢時樂浪地。辰韓亦曰秦韓。……
風俗、刑政、衣服略與高麗、百濟同。每月旦相賀,王設宴會,班賚羣官。其日,拜日月神主。八月十五日設樂,令官人射,賞以馬、布。〔[三九]每月旦相賀王設宴會班賚羣官其日拜日月神主八月十五日設樂令官人射賞以馬布 隋書「每」下有「正」字,「主」字作「至」。按隋書是說正月元旦相賀,拜日月神;至八月十五日,又設樂競射。北史疑是脫訛。〕(引用者註:〔〕は校補註、数字はその通し番号)

1111

なお底本の「元大德本」というのは十四世紀初頭、元朝の大德年間に編纂された『史記』『漢書』『後漢書』『三國志』『晉書』『宋書』『南齊書』『梁書』『陳書』『魏書』『北齊書』『周書』『隋書』『南史』『北史』『新唐書』『五代史記』の十七史書のことらしい。

現存する漢籍で確認できる「元旦」の用例としては、実は『北史』「列傳」が一番古いのかもしれない……本当のところはわからないけれども。


隋唐朝五代(〜十世紀中期)漢籍での「元旦」用例

つづいて「隋唐五代」では、『隋書』と『新唐書』が出てきた。

平凡社+成瀬治『平凡社カラー世界史百科』(1978年初版第1刷 平凡社)

前者は貞観十年(636年)成立の正史に顯慶元年(656年)完成の『五代史志』が付け加えられたものというから、オリジナルは『北史』よりも早いはずだ(実際、☝「列傳」「四夷上」の「新羅」補註には『隋書』に書かれていることが引用されている)が、リストでは後になっているのは、現存する『北史』よりも古い刊本が失われているからだろう。

第6/6筆: 隋書 / 列傳 凡五十卷 / 卷七十八 列傳第四十三 藝術 / 蕭吉 ..[底本:宋刻遞修本]
段3936 ...,卯德在申,來年乙卯,是行年與歲合德,而在元旦之朝,此慶三也。陰陽書云:『年命與歲月合... 1775

これも早稲田大学図書館蔵の順治十三年(1656年)汲古閣版

では☟ここ。やはり「蕭吉」傳のところだ。

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri08/ri08_01735/ri08_01735_0175/ri08_01735_0175_p0050.jpg

新唐書』の方もみてみよう。

第1/6筆: 新唐書 / 表 凡十五卷 / 卷七十四上 表第十四上 宰相世系四上 / 韋氏 / 東眷韋氏 ..[底本:北宋嘉祐十四行本]
段7050 ...參軍。 兢,初名慶儼,庫部員外郎。巨山。元旦,中書舍人。元曄,司勳員外郎。元晨,殿中... 3069頁
第2/6筆: 新唐書 / 列傳 凡一百五十卷 / 卷二百二 列傳第一百二十七 文藝中 / 李適 ..[底本:北宋嘉祐十四行本]
段12775 ... 唐書卷二百二列傳第一百二十七文藝中李適韋元旦 劉允濟 沈佺期 宋之問 閻朝隱尹元凱富... 5747頁
段12778 ...審言、沈佺期、閻朝隱為直學士,又召徐堅、韋元旦、徐彥伯、劉允濟等滿員。其後被選者不一。... 5748頁
〃 ...皆狎猥佻佞,忘君臣禮法,惟以文華取幸。若韋元旦、劉允濟、沈佺期、宋之問、閻朝隱等無它稱... 〃
第3/6筆: 新唐書 / 列傳 凡一百五十卷 / 卷二百二 列傳第一百二十七 文藝中 / 李適 / 韋 元旦 ..[底本:北宋嘉祐十四行本]
段12779 ... 韋元旦,京兆萬年人。祖澄,越王府記室,撰女誡傳... 5749頁
〃 ...兆萬年人。祖澄,越王府記室,撰女誡傳于時。元旦擢進士第,補東阿尉,遷左臺監察御史。與張... 〃
〃 ...員外郎,遷中書舍人。舅陸頌妻,韋后弟也,故元旦憑以復進云。... 〃

この「韋元旦」というのは、中身を読んでみると正月とは何も関係がなく、どうも人名らしいので、スルーしてよさそうだww 正月1日生まれだった、という可能性もあるが、おぎゃーと第一声を発されたのが「朝」だったかどうかまではわからないだろうし……。

宋遼金朝(〜十三世紀後期)漢籍での「元旦」用例

次の時代区分「宋遼金」では、『金史』『宋史』と『宋會要輯稿』が挙がった。

平凡社+成瀬治『平凡社カラー世界史百科』(1978年初版第1刷 平凡社)

まずは『金史』。

第7/9筆: 金史 / 列傳 凡七十三卷 / 卷六十四 列傳第二 / 后妃下 / 章宗元妃李氏 ..[底本:元至正刊本]
段3748 ...忒隣祈福。丁丑,御慶和殿,浴皇子,詔百官用元旦禮儀進酒稱賀,五品以上進禮物。[七]用... 1529頁
" ...禮儀進酒稱賀,五品以上進禮物。[七]用元旦禮儀進酒稱賀五品以上進禮物 按本書卷九三... "
第8/9筆: 金史 / 列傳 凡七十三卷 / 卷七十六 列傳第十四 / 宗幹 子充 孫檀奴 永元 子兗 襄 袞 ..[底本:元至正刊本]
段4245 ...如故。天德四年十二月晦,薨。明日,貞元元年元旦,海陵為兗輟朝,不受賀。宋、夏、高麗、回... 1746頁

このうち、ふたつ目はひとつ目の補註。

泰和二年八月丁酉,元妃生皇子忒隣,羣臣上表稱賀。宴五品以上于神龍殿,六品以下宴于東廡下。詔平章政事徒單鎰報謝太廟,右丞完顏匡報謝山陵,使使亳州報謝太清宮。既彌月,詔賜名,封為葛王。葛王,世宗初封,大定後不以封臣下,由是三等國號無葛。尚書省奏,請於瀛王下附葛國號,上從之。十二月癸酉,忒隣生滿三月,敕放僧道度牒三千道,設醮于玄真觀,為忒隣祈福。丁丑,御慶和殿,浴皇子,詔百官用元旦禮儀進酒稱賀,五品以上進禮物。〔[七]用 元旦禮儀進酒稱賀五品以上進禮物 按本書卷九三忒隣傳作「百官用天壽節禮儀進酒稱賀,三品以上進禮物」。生凡二歲而薨。〕(引用者註:〔〕は校補註)

これも元日の朝賀の話とおもう。「朝」の意で使っているかどうかははっきりしない。

みっつ目は、「天德四年十二月晦」、つまり大晦日に対して「明日,貞元元年元旦」といっているのだから、これは「元日」と解釈してよいだろう。

宋史』は1箇所だけ。

第9/9筆: 宋史 / 本紀 凡四十七卷 / 卷七 本紀第七 / 真宗 趙恆 二 / 大中祥符二年 ..[底本:元至正本配補明成化本]
段652 ...巳,詔:晉國大長公主喪,罷承天節上壽及明年元旦朝會。交州黎至忠貢馴犀。乙未,幸惟吉宮視... 142頁

元旦朝會」ならば「元日の」とみてよいとおもう。

今度は『宋會要輯稿』。「會要」というのは、儀式の決まりごととか沿革とかをまとめたもの。

第4/9筆: 宋會要輯稿 / 禮 / 禮一八 / 祈雨 / 孝宗 / 乾道七年
段6341 ...易得。」虞允文奏曰:「陛下聖德上當天心,如元旦受冊寶,天色澄霽;近日恭請太上出郊,終日... 禮一八之二一頁
第5/9筆: 宋會要輯稿 / 禮 / 禮四五 / 宴享 / 雜宴 / 元旦宴
段11988 ... 元旦宴【宋會要】太宗淳化五年正月四日,以歲節... 禮四五之二六頁
第6/9筆: 宋會要輯稿 / 禮 / 禮五七 / 節二 / 壽聖節
段13652 ...,舊例詣慈孝寺朝謁作樂,各有妨礙。參詳每遇元旦御殿、聖節上壽,雖在正月上辛祠官致齋日內... 禮五七之三六頁

ひとつ目は雨乞いについてかかれたところ。

十八日,上宣諭宰執曰:「自去冬郊祀以來,雨暘時若,誠不易得。」虞允文奏曰:「陛下聖德上當天心,如元旦受冊寶,天色澄霽;近日恭請太上出郊,終日開晴,至晚乃雨。天心昭昭,其應不虛。」上曰:「雨暘尤好,麥已登場,稻田亦下種矣。」……

「冊寶」というのは「冊書」と「寶璽」のこと、らしい。

ん〜、「朝」なのかどうかはよくわからない。

ふたつ目は新年恒例の宴のことらしい。

元旦宴
【宋會要】
太宗淳化五年正月四日,以歲節賜近臣飲宴于中書。
. . . . . . . . . . . . . . . . . 
真宗咸平元年正月三日,賜近臣歲節宴于呂端第。每歲節皆就私第賜宴,自此為例。
. . . . . . . . . . . . . . . . . 
五年正月三日,以歲旦宴近臣于向敏中第,帥臣射于本司,內職射于軍器庫。
. . . . . . . . . . . . . . . . . 
六年正月三日,以歲旦宴宗室於含芳園。
. . . . . . . . . . . . . . . . . 
(太平)[大中]祥符三年正月六日,宴契丹賀正使于崇政殿,不作樂。以契丹國母喪輟朝,故御便殿。
. . . . . . . . . . . . . . . . . 

やはりよくわからない。みっつ目は「壽聖節」について書かれたところ。

壽聖節
英宗治平元年正月七日,詔減壽聖節所賜師號、紫衣、祠部牒。故事,聖節所賜三百道,而妃、修儀、公主猶別請,至是減為二百,而別請者在數中。
. . . . . . . . . . . . . . . . . 
二年十二月十七日,太常禮院言:「正月六日上辛祀昊天上帝,致齋之內不作樂。緣正月三日壽聖節在上辛致齋之內,若依嘉祐七年正旦御殿受賀例,改用正月十六日,舊例詣慈孝寺朝謁作樂,各有妨礙。參詳每遇元旦御殿、聖節上壽,雖在正月上辛祠官致齋日內,並當用樂。其大宴即乞移日,或就賜。」從之。
. . . . . . . . . . . . . . . . . 

この「壽聖節」というのは、元朝期に行われていた節日なのだそうだ。

それが宋朝から引き継がれたものだった、ということになるのだろうか。

ともかく、太常禮院が日にちのことについて陳べておられるらしいことからすると、これは「元日」の意味ではないかしらん……。

元朝(〜十四世紀中期)漢籍での「元旦」用例

次の時代区分「元」では、『元史』の2ヶ所。

平凡社+成瀬治『平凡社カラー世界史百科』(1978年初版第1刷 平凡社)

第3/5筆: 元史 / 志 凡五十八卷 / 卷七十一 志第二十二 / 禮樂五 / 樂隊 / 樂音王隊 ..[底本:洪武九十九卷本和南監本]
段3260 ... 樂隊樂音王隊:元旦用之。引隊大樂禮官二員,冠展角幞頭,紫袍... 1773頁
第4/5筆: 元史 / 列傳 凡九十七卷 / 卷一百七十八 列傳第六十五 / 王約 ..[底本:洪武九十九卷本和南監本]
段8220 ...六人,平反吳得誠冤,嫁良家入倡女十人,杖流元旦帶刀闌入殿庭者八十人。因議鬭毆殺人者宜... 4138頁

ひとつ目は「元旦」に用いられるという「樂隊」についての解説。装備とか役割ごとの人数とかパフォーマンスの次第とかが陳べられているものの、活動時間帯については書かれていなかった。

ふたつ目は「列傳」中の、「王約」という人物について書かれたところ。

尋詔約同宗正、御史讞獄京師,約辭職在清廟,帝不允。乃閱諸獄,決二百六十六人,當死者七十二人,釋無罪者八十六人,平反吳得誠冤,嫁良家入倡女十人,杖流元旦帶刀闌入殿庭者八十人。因議鬭毆殺人者宜減死一等,著為令。又以浙民於行省、南臺互訟不決,命約訊之。約至杭,二十日而理,省、臺無異辭。特拜刑部尚書,以錄前功。

この「元旦」は、日にちについていっているのだろうとおもうが……よくわからず。

明朝(〜十七世紀中期)漢籍での「元旦」用例

次の時代区分「明」では、『明史』『三國演義』と、『鄧尉山聖恩寺志』『臨平安隱寺志』というお寺の沿革について書かれた書物の4つ。うち『三國演義』は、前回紹介したのと同じ部分だったので省く。

平凡社+成瀬治『平凡社カラー世界史百科』(1978年初版第1刷 平凡社)

明史』は、「元旦」がちょっといっぱい出てきてタイヘン。

第1/29筆: 明史 / 本紀 凡二十四卷 / 卷十一 本紀第十一 / 景帝 朱祁鈺 / 景泰七年 ..[底本:清武英殿本]
段535 ...畿內、山東、河南水災。癸亥,帝不豫,罷明年元旦朝賀。是冬,免畿內、山東被災稅糧,並蠲逋... 149頁
第2/29筆: 明史 / 志 凡七十五卷 / 卷二十九 志第五 / 五行二 / 木 / 鼠妖 ..[底本:清武英殿本]
段1819 ...多鼠盜食,與人相觸而不畏,亦鼠妖也。至甲申元旦後,鼠始屏跡。又秦州關山中鼠化鵪鶉者以數... 477頁
第3/29筆: 明史 / 志 凡七十五卷 / 卷三十 志第六 / 五行三 / 金 / 金異 ..[底本:清武英殿本]
段1845 ... 金異洪武十一年正月元旦甲戌,早朝,殿上金鐘始叩,忽斷為二。六月... 488頁
第4/29筆: 明史 / 志 凡七十五卷 / 卷三十 志第六 / 五行三 / 土 / 風霾晦冥 ..[底本:清武英殿本]
段1850 ...風作,赤黃霾,至二十一日乃止。隆慶二年正月元旦,大風揚沙走石,白晝晦冥,自北畿抵江、... 491頁
第5/29筆: 明史 / 志 凡七十五卷 / 卷五十九 志第三十五 / 禮十三 / 凶禮二 / 睿宗帝后陵寢 ..[底本:清武英殿本]
段3057 ...、淺淡服受朝。」疏未下,帝諭大學士夏言:「元旦玄極殿拜天,仍具祭服,先期一日宜變服否?... 1464頁
〃 ...例」。不從。於是定議,歲除日變服玄色吉衣,元旦祭服於玄極殿行告祀禮,具翼善冠、黃袍御殿... 〃
第6/29筆: 明史 / 志 凡七十五卷 / 卷六十 志第三十六 / 禮十四 / 凶禮三 / 謁祭陵廟 ..[底本:清武英殿本]
段3075 ...秋仲月,遣太常宗正卿朝諸陵。我朝舊儀,每歲元旦、清明、七月望、十月朔、冬至日,俱用太牢... 1472頁
段3085 ...,歲暮已祫祭於廟,旬日內且復有孟春之享。故元旦陵殿止用酒果,非儉也;諸王諸妃則祫祭春祭... 1476頁
〃 ...用酒果,非儉也;諸王諸妃則祫祭春祭皆不與,元旦一祭不宜從簡,故用牲帛祝文,非豐也。特恭... 〃
第7/29筆: 明史 / 志 凡七十五卷 / 卷六十四 志第四十 / 儀衞 / 皇帝儀仗 ..[底本:清武英殿本]
段3202 ...團黃扇、紅扇。皆校尉擎執。 洪武元年十月定元旦朝賀儀。金吾衞於奉天門外分設旗幟。宿衞於... 1588頁
第8/29筆: 明史 / 列傳 凡二百二十卷 / 卷一百五十二 列傳第四十 / 儀智 子銘 ..[底本:清武英殿本]
段7254 ...智對,即日召之。既至,拜禮部左侍郎。十一年元旦,日當食,尚書呂震請朝賀如常,智持不可。... 4188頁
第9/29筆: 明史 / 列傳 凡二百二十卷 / 卷一百九十六 列傳第八十四 / 夏言 ..[底本:清武英殿本]
段10091 ...之不召,監司府縣吏亦稍慢易之,悒悒不樂。遇元旦、聖壽必上表賀,稱草土臣,帝亦漸憐之,復... 5197頁
第10/29筆: 明史 / 列傳 凡二百二十卷 / 卷二百十 列傳第九十八 / 趙錦 ..[底本:清武英殿本]
段10974 ...官錦衣,錦極陳不可。尋清軍雲南。 三十二年元旦,日食。錦以為權奸亂政之應,馳疏劾嚴嵩罪... 5560頁
〃 ...亂政之應,馳疏劾嚴嵩罪。其略曰:臣伏見日食元旦,變異非常。又山東、徐、淮仍歲大水,四方...

ひとつ目とななつ目とは朝賀の話。いつつ目は以下のような文。

睿宗帝后陵寢〔[四]睿宗帝后陵寢 原無此標題,據卷目增。〕
睿宗帝后陵寢在安陸州。世宗入立,追諡曰睿宗獻皇帝。葺陵廟,荐號曰顯陵。既而希進之徒屢言獻皇帝梓宮宜改葬天壽山。帝不聽。嘉靖十七年,帝母蔣太后崩。禮部言:「歲除日,大行皇太后服制二十七日已滿,適遇正旦,請用黑冠、淺淡服受朝。」疏未下,帝諭大學士夏言:「元旦玄極殿拜天,仍具祭服,先期一日宜變服否?」禮部請「正旦拜天、受朝,及先一日俱青服。孟春時享,前三日齋,青服,臣下同之,餘仍孝貞皇太后喪禮例」。不從。於是定議,歲除日變服玄色吉衣, 元旦祭服於玄極殿行告祀禮,具翼善冠、黃袍御殿,百官公服致詞,鳴鐘鼓、鳴鞭,奏堂上樂。(引用者註:〔〕は校補註)

これは「元日」の儀式のこと、とみてよいのではないか。

むっつ目の最初のは、続けて「清明、七月望、十月朔、冬至日」と出てくるから日にちの話だろう。

八年詔翰林院議陵寢朔望節序祭祀禮。學士樂韶鳳等言:「漢諸廟寢園有便殿,日祭於寢,月祭於廟,時祭於便殿。後漢都洛陽,以關西諸陵久遠,但四時用特牲祀。每西幸,即親詣。歲正月祀郊廟畢,以次上洛陽諸陵。唐園陵之制,皇祖以上陵,皆朔望上食,元日、冬至、寒食、伏臘、社各一祭。皇考陵,朔望及節祭日進食,又薦新於諸陵。永徽二年,定獻陵朔望、冬夏至、伏臘、清明、社等節,皆上食。開元中,敕獻、昭、乾、定、橋、恭六陵,朔望上食,冬至、寒食各設一祭。宋每歲春秋仲月,遣太常宗正卿朝諸陵。我朝舊儀,每歲元旦、清明、七月望、十月朔、冬至日,俱用太牢,遣官致祭。白塔二處,則用少牢,中官行禮。今擬如舊儀,增夏至日用太牢,其伏臘、社、每月朔望,則用特羊,祠祭署官行禮。如節與朔望、伏臘、社同日,則用節禮。」從之。

その次のは、これも日にちの話のようにおもえるが……どうだろう。

萬曆八年,謁陵禮如舊。十一年,復謁陵。禮部言:「宜遵世宗彝憲,酌分二日,以次展拜。」乃定長、永、昭三陵,上香,八拜,親奠帛。初獻,六陵二寢,上香,四拜。其奠帛三獻,俱執事官代。十四年,禮部言:「諸妃葬金山諸處者,嘉靖中俱配享各陵殿,罷本墳祭。今世廟諸妃安厝西山者,宜從其例。至陵祭品物,九陵、恭讓、恭仁之陵止於酒果,而越、靖諸王及諸王妃則又有牲果祝文,反從其厚者,蓋以九陵帝后,歲暮已祫祭於廟,旬日內且復有孟春之享。故元旦陵殿止用酒果,非儉也;諸王諸妃則祫祭春祭皆不與,元旦一祭不宜從簡,故用牲帛祝文,非豐也。特恭讓、恭仁既不與祫享於廟中,又不設牲帛於陵殿,是則禮文之缺,宜增所未備。而諸王諸妃祝文,尚仍安厝時所用,宜改敍歲時遣官之意,則情順禮安。」報可。

やっつ目は「列傳」の「儀智」という人の話だが、これも朝賀のことのようだ。

永樂元年遷寶慶知府。土人健悍,獨畏智,相戒不敢犯。召為右通政兼右中允。未幾,遷湖廣右布政使。坐事謫役通州。六年冬,湖廣都指揮使龔忠入見。帝問湖湘間老儒,忠以智對,即日召之。既至,拜禮部左侍郎。十一年元旦,日當食,尚書呂震請朝賀如常,智持不可。會左諭德楊士奇亦以為言,乃免賀如智議。

ここのつ目の「夏言」傳も同様。

言久貴用事,家富厚,服用豪侈,多通問遺。久之不召,監司府縣吏亦稍慢易之,悒悒不樂。遇元旦、聖壽必上表賀,稱草土臣,帝亦漸憐之,復尚書、大學士。

終いの「趙錦」傳のは、「元旦」に日食が観測され、続いて洪水やら地震やら災いが立て続けに起きた、という話。

三十二年元旦,日食。錦以為權奸亂政之應,馳疏劾嚴嵩罪。其略曰:
臣伏見日食元旦,變異非常。又山東、徐、淮仍歲大水,四方頻地震,災不虛生。

日食が起きたのが朝なのかどうかはわからない。

ふたつ目からよっつ目を後廻しにしたのは、これがどれも怪異の話でちょっと面白いかな、とおもったからww

鼠妖
萬曆四十四年七月,常、鎮、淮、揚諸郡,土鼠千萬成羣,夜啣尾渡江,絡繹不絕,幾一月方止。四十五年五月,南京有鼠萬餘,啣尾渡江,食禾稼。崇禎七年,寧夏鼠十餘萬,啣尾食苗。十二年,黃州鼠食禾,渡江五六日不絕。時內殿奏章房多鼠盜食,與人相觸而不畏,亦鼠妖也。至甲申元旦後,鼠始屏跡。又秦州關山中鼠化鵪鶉者以數千計。十五年二月,衞鼠渡江,晝夜不絕。十月,榆林、定邊諸堡鼠生蝦蟆腹中,一生數十,食苗如割。

ねずみが大発生して、前のヤツのしっぽをくわえた大群が何日もかけて大河を越え、あちらこちらで稲を喰い荒らしたりし、人を怖がるどころか触りにきたりして「ばけものだ」とおそれられていたが、「甲申元旦」になったらぱたりといなくなった、ということらしい。これは日にちのことだろう。

次のは金属に関する怪異。

金異
洪武十一年正月元旦甲戌,早朝,殿上金鐘始叩,忽斷為二。六月丁卯夜,寧夏衞風雨,兜鍪旗槊皆有火光。十二年十二月甲子,徐州衞譙樓銅壺自鳴。乙丑,復鳴。是歲,胡惟庸井中生石笋,去之,笋復旁出者三。次年,惟庸伏誅。建文二年四月乙卯,燕王營於蘇家橋,兵端火光如毬,上下相擊,金鐵錚錚,弓絃自鳴。成化十三年六月壬子,雨錢於京師。正德四年三月甲寅,蓋州衞城樓鐘自鳴者三。七年,文登秦始皇廟鐘鼓自鳴。成山衞如之。嘉靖六年五月甲午,京師雨錢。隆慶六年七月七日,有物轟轟,飛至直隸華亭海濱墜於地,乃鐘也。鑄時年月具在,識者謂其來自閩云。萬曆二十一年十月甲申,山東督撫令旗及刀鎗頭皆火出,且有聲。二十六年五月庚寅,古浪城樓大鐘自鳴者三。天啟六年五月丁未,京城石獅擲出城外。銀、錢、器冊飄至昌平閱武場中。崇禎六年五月癸巳,有鐵斧飛落霍山縣。八年十二月辛巳,夜四鼓,山東鎮南城樓大礮鳴如鐘,至黎明,大吼一聲及止。十三年三月丙申,蘄州城隍廟古鐘自鳴。

洪武十一年正月元旦」の早朝に、宮殿の鐘楼の鐘がいきなり鳴りはじめてはぴたりとやむ、というのが2度あった、という話。これも日にちだろう。

次の「風霾」というのは煙霧を指すらしいが、おそらく黄砂のことではないかとおもう。隆慶二年の「元旦」に砂埃が舞い上がり石が転がるほどの大風が吹き、北畿から江蘇・浙江にかけて昼間なのに真っ暗になった、という。

風霾晦冥
建文元年七月癸酉,燕王起兵,風雲四起,咫尺不辨人。少焉東方露青天尺許,有光燭地,洞徹上下。天順八年二月壬子,風霾晝晦。成化六年二月丁丑,開封晝晦如夜,黃霾蔽天。三月辛巳,雨霾晝晦。九年三月癸未,濟南諸府,狂風晝晦,咫尺莫辨。二十一年三月戊子,大名風霾,自辰迄申,紅黃滿空,俄黑如夜。已而雨沙,數日乃止。京師自正月至三月,風霾不雨。弘治二年二月辛亥,開封晝晦如夜。三月,黃塵四寒,風霾蔽天者累日。四年八月乙卯,南京晦冥。七年三月己亥,廣寧諸衞晝晦。正德五年三月甲子,大風霾,天色晦冥者數日。十六年十一月辛酉,甘肅行都司黑風晝晦,翌日方散。嘉靖元年九月己巳,大風霾,晝晦。八年正月戊戌朔,風霾,晦如夕。二十六年七月乙丑,甘州五衞風霾晝晦,色赤復黃。二十八年三月丙申,風霾四塞,日色慘白,凡五日。三十年正月辛卯,大風揚塵蔽天,晝晦。四十年二月己酉,亦如之。四月癸巳,大風雨,黃土晝晦。四十三年三月望,異風作,赤黃霾,至二十一日乃止。隆慶二年正月元旦,大風揚沙走石,白晝晦冥,自北畿抵江、浙皆同。萬曆十七年正月乙丑,蓋州衞風霾晝晦,壞廨宇、廬舍。二十五年二月戊寅,京師風霾。二十九年四月,連日風霾。三十八年四月戊戌,崇陽風霾晝晦,至夜轉烈,損官民屋木無算。四十八年八月以前,雲南諸府時晝晦。天啟元年四月乙亥午,寧夏洪廣堡風霾大作,墜灰片如瓜子,紛紛不絕,踰時而止。日將沈,作紅黃色,外如炊烟,圍罩畝許,日光所射如火焰,夜分乃沒。四年二月辛丑,風霾晝晦,塵沙蔽天,連日不止。崇禎元年正月癸亥,永年縣晝晦,咫尺不辨人物。七年三月戊子,黃州晝晦如夜。十三年閏正月丙申,南京日色晦曚,風霾大作,細灰從空下,五步外不見一物。後四年三月丙申,風霾晝晦。

人間と環境』誌7号(2016年)に載った河住玄明代の教育制度(一)」によると、北畿というのは北直隷、つまり現在の河北のあたりを指すらしい。明朝の直轄地だったので「直隷」と呼んだのだそうだ。

同じ記事のほかのところには別に時間帯を示すような表現は見当たらないので、これも日にちではないかとおもう。

ふたつのお寺の縁起は、よくわからなかったのでリストだけ貼っておく。

第20/29筆: 鄧尉山聖恩寺志 / 卷四 / 禪祖 / 附遺 鄧山剖石大和尚道行碑 ..[民國十九年聖恩寺藏本  本書與法鼓文理學院合作製作]
段145 ...湼槃闍黎及峯主鄧尉命為堂中主規不言而肅戊辰元旦與一老宿相拜下頓證玄要主賔臨濟用處峯大喜... 22-2頁
第21/29筆: 鄧尉山聖恩寺志 / 卷九 / 語錄 / 聖恩剖石弘璧禪師上堂 ..[民國十九年聖恩寺藏本  本書與法鼓文理學院合作製作]
段219 ...隨顧左右云會麼三醉岳陽人不識等閒飛過洞庭湖元旦楊承宣居士請上堂一年十二箇月今日又從頭起... 15-1頁
第22/29筆: 鄧尉山聖恩寺志 / 卷九 / 語錄 / 癸巳元旦祝聖上堂拈香 ..[民國十九年聖恩寺藏本  本書與法鼓文理學院合作製作]
段229 ... 癸巳元旦祝聖上堂拈起香曰透出威音之外高超象帝之先... 36-1頁
第23/29筆: 鄧尉山聖恩寺志 / 卷十四 / 塔銘 祭文 像贊 / 傳臨濟正宗三十二代重興聖恩禪寺剖石璧禪師塔銘 ..[民國十九年聖恩寺藏本  本書與法鼓文理學院合作製作]
段281 ...隱皆侍左右日臻玄奧丁卯峰主鄧尉命職堂規戊辰元旦與一老宿相拜次洞明濟上主賓峰大喜曰專望汝...

第28/29筆: 臨平安隱寺志 / 卷之五 弘宗演教傳 / 弘宗傳 / 澹予禪師傳 ..[明刻本  本書與法鼓文理學院合作製作]
段6 ...受罪者酷苦萬狀獄吏曰好酒肉者得此報師遂驚寤元旦即茹素而夢中惡境時時現前因努力誦持蕐嚴經...

いずれにせよ、ここまでみてきた限りでは、明らかに「元日の朝」の意味での用例はなかったような気がする。

次の清朝漢籍は、これまでと同じやり方ではとても無理なほど「元旦」用例が出てくるので、かいつまんで傾向を紹介してから、いよいよ〆にもっていきたいとおもう。


いいなと思ったら応援しよう!