2.朝起きたらハグして挨拶のルーティンを作るなど、ボディタッチの機会を増やす。
モンスター母は、幼少期から甘えた経験がなかったようでした。
母はよく自分の苦労話を語っていたので、幼少期についても聞いていました。
両親(私の祖父母)は共に口下手で手が出るタイプだったみたいです。
母方の父である祖父には会ったことがありませんでしたが、祖母とは何度か会ったことがありました。
気難しくて口下手な祖母で、いつも親子喧嘩をしていました。
一方祖父は、働かず、数名の愛人たちの元へ忙しくしており、帰宅すると酒気帯びで家族を殴りながら金をせびるどうしようもないくず男だったようです。
母のきょうだい達は父に見つからないように押入れに隠れ、
見つかるとタコ殴りにされたようでした。
子である母たちにとって、両親は恐怖。
言葉もなく、ただ殴り続ける存在。
明日生きるか死ぬか。
飢死か、撲殺か。
具体的なシーンの話はグロテスクだと思うのでネット上では割愛しますが、
母たちが死んでいたかもしれないことも話してくれました。
自分の気持ちを押し殺し、家族内で談笑したこともない。
そして祖母に「お前はブスだな」と容姿をほめるどころか否定される。
母は私に「自分の気持ちがよくわからない」とよく言っていました。
きっと、このような生い立ちがそうさせていたんだと思います。
自分の気持ちに素直になっていたら身が持たなかったでしょう。
蓋をし、欲が無いものとすれば辛くもない。
だから生き抜けた。
そして母は学生時代を真面目に生き、首席で卒業。
大手企業に入社し、無遅刻無欠勤は当然で、責任感が強く、真面目で信頼される人だったようです。
しかし、20代後半で初めて欠勤し、自殺を図って退職。
その後出会った父と結婚し、第一子の私が生まれる。
その父も(母方の)祖父のように遊び呆け、家にいる時間は少ないが、会うと手が出る。
口下手すぎて普通の会話が成立しないので殴って意思表示をしている人でした。
父が会話をしている情景を思い出せません。というか知りません。
母はストレスで当時赤ん坊だった私たち子ども等に当たる。
まだ言葉も十分にわからない幼稚園児をベランダに逆さまにつるさげる。
「これってなあに?どうして?」と質問すると、
「聞くな。喋るな。自分で考えろ。」「すべてお前が悪い。」
と、金属の棒で殴られすぎた私は吐く。
自発的な問いかけは口答えとして捉えられ、母と会話らしい会話をしたことがなかった。
うっかり質問すると、「この性格悪い奴め」と殴られるか、包丁を持って「私が悪いって言うのか?」と自殺しようと脅す。
日本語で意思疎通ができないから、雰囲気で先回りして考えて忍んでいた。
私が中学生になり、両親は離婚。
母の暴力と暴言がエスカレートしただけでなく、
被害妄想も悪化し、「私を殺そうとしている」「いつかお前に殺されそう。」「この犯罪者気質め」と言い始めた。
私が自分の部屋に居ると、母は「なんかむしゃくしゃする」と言いながら来て、私を蹴り続ける。
私が進学や就職で一人暮らしを始めると、「死にたい」と連絡がくるようになった。
そして5年前から再び同居することになった。
私をさんざん殴り、ののしった母を見るのも触れるのもしんどかった。
でも、母が元気なうちに向き合わないと、後悔することは目に見えていた。
祖母は母と喧嘩し続けて他界し、生き方を後悔している母を見ていたから。
相変わらず私をののしる母を抱きしめてみた。
母は大声で泣きながら「愛し方がわからなかった。ごめんね」と、抱き返した。
母が初めて私に「ごめんね」を言った瞬間だった。
それからハグをルーティンにしてみました。
朝起きておはようのハグ。
仕事から帰宅してただいまのハグ。
時には「気持ち悪い」と拒絶される日もあったけど、無視してハグしました(笑)
そのほか、肩もみなどもしたりと、体に触れる機会を増やしてみました。