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わたし知らなさすぎ

先日、いかに自分が無知であるかを痛感する出来事があった。
無力さを感じつつも、学ぼうとすればいいだけという気持ちになったので、
全く悲観的なことではない。
「知らないことだらけ」なら知ることで前に進めそうと感じたのだ。
その時の気持ちをメモとして残しておきたいと思う。

ボールの競走

先日、4歳の息子と名古屋市科学館にいってきた。
科学のことが楽しく学べる館。

「みて、ふれて、たしかめて」だれもが楽しみながら科学に親しめる国内屈指の総合科学館

とにかく息子はボールで遊べるコーナーにどハマりでまったく動かない。
入館して1時間は2階のフロアーで遊んでいたほどだ。
そして4階にはさらにどハマりするコーナーを発見した。


名古屋市科学館HPより

一斉にスタートして奥から①②③のどれが一番早くゴールするか?
という遊びなのだが、一番速いのは ② か ③

結果を知れば「そうだよな」と思うけれど、
スタート前に「構造的にコレ!」と言い切れるかといわれると、怪しいところだ。

そしてこれを知ってどうなる?
という疑問も生じるのだが、③のような距離は長いが、ボールの加速度が増す構造を知っていることが後々何かの役に立つかも知れない。

もし仮に、パパ+子どもの親子対抗戦でボール転がしの対戦をする機会があったとしよう。
コースは各々で作成し、一番早くゴールできた親子が勝ちというルールだった場合。
もし、ボールの加速度を増す方法を知っていたならば、自分が作成するコースにそういった構造を入れこむことができる。
その結果、対戦に勝利できたならばどうだろうか。

きっと、ドヤれる!!
たかがそんなことだけれど、子どもたちの目にはどう映るだろう?
もしかするとパパがヒーローのように見えるかもしれない。
知識があったならば、パパだってヒーローになれる。

一方、子どもたちは①②③のボールレースで何度も繰り返し、楽しみながら一番速いのは②か③ということを理解している。
遊びながらの実験で、構造原理を知っているということはとても重要。
それが後々のあらゆる分野に活きてくるのだと思う。


考えるために数学を知る

ボール遊びで「なるほど!」とちょっぴりの感動を覚えながら他のコーナーを回っていると、その他にも学びだらけだった。

二進法やら骨伝導やら、波動と波長やら。
理系苦手のわたしにはすぐには理解しにく内容だが、遊びを通じてなら大まかな構造は想像できる。

この「大まかに想像できる」はとても重要な観点だと感じた。
ミクロな高技術を知っても、実際の生活でのイメージはわかない。
しかし、マクロ的にざっくりこんなことに活用されている要素と考えればイメージがわきやすい。

二進法が日常生活に何の役に立つ?と言われてもピンとこないけれど、
コンピューターなどでの計算や処理で使われている。というだけで身近に感じる。

学生時代によく分からず解かされたと感じていた数学の問題。

そもそも数学って何?
何のためになるから勉強しているの?
とハテナだらけだったが、ここにきてようやく意味がわかったように思う。

今回実感したことは、
数学は問題を正解することが目的ではなく、
「数学的思考」を身につけること。

数学的思考とは何か?
「数学 = 考える」
こちらの記事でわかりやすく述べられていた。

数学的思考を身につけ、一歩前進するための糧にする。
この機に日常の出来事を「数学的思考で考えるとどうなる?」と自分に問いながら前進できればと思う。


最後に、お店の売上を数学的思考で分解すると以下の通り。

売上=客単価✖️客数

客単価=一品単価✖️点数

客数=新規顧客+既存顧客

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