夕焼け空を定点観測してみよう
3時のおやつが終わり、夕食までの時間。
僕は空を見上げている。
だって、夕焼け空が好だから。
夕焼けの時間になると、そわそわしてくる。
可能なら外に出て空を見上げる。
じっと空を眺めながら頭の中をからっぽにする。
からっぽにしたくても何かを思い出す。
いつか見た夕焼け空の記憶や、むかし付き合っていた女の子のこと。
僕が20歳の時、電車と夕焼け空を眺めていた。
車がたくさん通過する道路の上から電車を見下ろしていた。道路は線路よりも高い場所にあった。
電車は僕に向かって来たり、僕から離れて行った。僕の位置から見下ろす電車は、ちょっと大きな模型のようだった。
空はゆっくりと時間をかけて色を変えていく。僕はその場所から空を見たり電車を見たり好きなように過ごしていた。あの時の僕は、世界の定点になっていた。
じっと動かずに夕焼けを見ている僕は、世界の中心になっていた。
小学生の時、紙の上にコンパスで円を書いた。針のように尖った部分を中心(定点)として、鉛筆の部分を回転させて円を書いた。
中心はコンパスの尖った部分だった。
世界には中心(定点)が存在するのだろうか。
全く動かない中心となるモノがあるのだろうか。
物体は動き続けている。風も太陽も車も人間も。考え方や感情、想い、記憶だって定まった場所に保管されてはいない。少しずつでも動いている。変化している。
諸行無常で万物流転。何かの本に書いていた。
音は壁に反射してこちらに帰ってくる。空気も光も同じことが起こる。
例えば、扇風機の風を壁に向けて反射させると、風が柔らかくなる。電球を壁に反射させると間接照明になる。僕たちの体には心地よく感じる。
僕の出した声は音となって誰かの耳に届く。誰かの耳に届いた声は、意見や独り言として処理される。何かの返事を返してくれるかもしれない。
誰かが発した声は僕の耳に届く。僕はその声に対して返事をしたり聞こえないフリをする。僕という存在を壁として、反射させたり吸収したり透過させたりする。
反射させる時の僕は不透明な物体となる。
りんごやフルーツになる。
透過させる時の僕は透明な物体となる。
ワインや液体になる。
こう考えていくと、僕は透明人間にもなれる。何もリアクションしない時の僕は、透明人間と同じなのだ。
誰かが言ったことに対しての返事、誰かが作った物に対しての感想。リアクションを返してもらえない時、行き場を失った声や想いはどこにたどり着くのだろう。
みんな独り言を喋っているのだ。返事が返ってきたら会話になる。返ってこなかったら独り言なのだ。
恋愛も同じ。みんな片思いなのだ。相手が自分を好きになってくれたら両思いになる。最初からみんな片思いなのだ。
仕事も同じ。最初はひとりの想いから始まるんだ。想いが行動になる。賛同してくれる人がいれば仲間が増える。仲間は一緒に歩む同僚となったり、お客さんになったりする。
最初は誰かひとりの想いから始まる。
僕やあなたの想いから始まってもいいよね。
夕焼け空を見上げる時、僕は気分が落ち着いてくる。いろんなことが起きる毎日。楽しいことも、あまり楽しくないこともあるんだけど、僕の定点は夕焼け空を見上げている僕自身なのだ。
空の色は毎日違う。雲が浮かんでいたり飛行機が飛んでいる。都会ではあまり見ないけど、渡り鳥が飛んでいることもある。
僕にとっての夕焼け空は、リセットボタンなのかもしれない。やり直しのきかない人生の中で、自分を一瞬でもリセットできる時間。
あなたにとっての定点は何ですか?
おしまい。